・第一章 五節 「五十(いそ)双(ふた) 錠(じょう)華(か)」

 皇火は目が覚めた。視線の向こうには変わり映えのしない自室の天井があるだけで、それを邪魔する物は何もなかった。首を動かし、周囲を見回してみるが、何も変わらぬ部屋の風景があった。それは当たり前の日常の光景だ。そしてとてつもなく欠落している光景だ。
 枕の近くにあった時計を手に取ってみる。その針が指し示す時間はすでに学校の授業が始まっている時刻であり、皇火は驚いた。
 幼馴染である緋鳥が皇火を起こしに来てくれなかった事は過去にも何度かある。そのどれもがつまらない喧嘩の果ての結果であって、今日のように何の理由も無くすっぽかされる事なんて無かったはずだ。いや、もしかしたら皇火の気づかぬ内に緋鳥を怒らせるという愚行をやってしまったのかもしれない。急に不安になったが、どうしていいのか分からない。会ったらとにかく謝り通すしかないなと情けない解決案を思い浮かべて、皇火は布団から這い出た。
 皇火は自分の携帯電話を手に取る。緋鳥に連絡すべきなのではないかと迷う。もしかしたら、緋鳥の身に何か不幸があったのかもしれない。そんな不安感に駆られたが、それが見当違いの考えだった時は無駄に恥をかくだけなのだと思って通話ボタンを押す事は出来なかった。自分が、誰かに依存しているという事を知らしめされる事がたまらなく屈辱に思えたのだ。親から離れて生きてきたから余計にそう思ってしまうのかもしれない。自分は寂しさなど感じていないと常に表現しつづけなければ、どこかで決壊してしまうと皇火は理解していたのだ。

 遅刻が決定してしまっているので皇火は急ぐことをせずに、ゆっくりと登校する事にした。普段滅多な事では立ち入る事の無いキッチンへと入り込み、軽い調理でもしようと試みる。冷蔵庫を開けるとまず多くのストックがある卵のパックが目に入ったので、目玉焼きを作る事に決めた。卵を手にして、フライパンを探す。
 皇火の料理は酷い物だった。先日どの口で緋鳥の目玉焼きを馬鹿にしたのかと思える程の一品になった。黄身が無残に割れただけに留まらず、白身の部分もまともに円形状を保てず歪んでいる。所々に黒く焦げ付いた部分が露出しており、とても美味しそうには見えない。
「これを緋鳥に見せたら大爆笑されただろうな……」
 絶対に彼女の前では料理しない事を決意して、皇火はソファに座る。自作の目玉焼きを箸で切り分けて口に入れてみると、パリパリとしたこれはこれで美味しい食感が広がった。料理は見た目じゃないのだと謎の言い訳をして、1人の朝食を楽しむ。
 朝食を終え、皇火は家の鍵を閉めて通学路を歩いて行った。一人で歩く道はどこか寂しさを感じさせたが、それは他にこの道を歩いている登校途中の学生たちを見ないからだろうと結論付けた。自分が寂しさを感じている事を認めたくなかった。ただそれだけの強がりだ。
 学校に着き、教室に入って教師に怒られた。非は自分にあるのだから、小言は甘んじて受け止める。休み時間となり自由が与えられると、何でもないというような顔を貼り付けて緋鳥の教室へ向かった。教室の中をちらりと覗くと元気そうに友人らしき人物を会話している彼女を見つける事が出来た。元気である事に安心して、そして何らかの理由で自分は置いていかれたのだと理解してショックを受ける。
 緋鳥と直接顔を会わせる事が怖くなり、皇火はその場からこそこそと逃げ出す。もし何らかの拍子にばったり顔を突き会わせてしまったら、何か言葉を交わさなければいけなくなってしまう。彼女に問いかける事はたくさんあるが、そこから得られる答えが自分を傷つける物になるかもしれないと理解していた皇火は、その身を隠せる場所を探し求めた。

 まず皇火が一番最初に思い浮かべたのは、この学校の図書館だった。学校の規模の割には巨大であるその施設は、かなりの蔵書数を誇り珍しい書籍がある事を何かと自慢している。だが自由奔放なこの学校の生徒たちはその恩恵にあずかる事は稀で、人通りがとても少ない場所となっていた。図書館という静の場所である事に加えて人の寄り付かぬ所であるがために、世界と隔絶された場所のように思えるそこは、皇火が逃げ込むには打ってつけの場所だった。
 皇火は図書館の入り口を通り、奥へと進む。綺麗に掃除されている窓から外の景色を見ると、青々と茂る木々の姿を見れる。生命力の溢れた絵画のように映るそれと、死んだように静かな自分の居る場所の対比に現実感を喪失しそうになった。
 とりあえず自分でも理解できるレベルの教養のある場所、一般的な小説の類が貯蔵されている場所へと足を向けようとした皇火の後頭部に、コツンと何かが当たった。大して痛くなく、気のせいかとさえ思えてしまうその感触に頭をさすっていると、足元に白く光る小さな球体を見つけた。子供の頃はよくこのような銀玉を詰めたおもちゃの鉄砲で遊んだよなと思いながら、皇火はそれを拾い上げる。ころころと手のひらで広がるそれを見ながら、呆れた笑いを出した。
この銀玉を当ててきた傍若無人な人物には、それなりに心当たりがあった。
 皇火が立っていた場所からかなり離れた本棚の奥。誰も居ないように思われる場所へと入っていくと、一人の少女が直接床に座って本を読んでいた。とても行儀が良いとは思えないが、それは手に持つ本に夢中になるがあまりが故の物なのだろう。
 彼女の傍には犯行に使われたであろう銀玉鉄砲があった。よくこんな狭まった場所から正確に頭を撃ってきたものだと感心してしまう。それと同時に、わざわざそんな事しなくても自分の名前を呼べば良いだろうと文句も湧いてくる。彼女は感情の発露が苦手らしく、このようなツールを利用して間接的に意志疎通を図る事が多かった。自分に気づいてほしい時、気に入らない時、もしくは暇つぶしにその手に持った銀玉でっぽうで皇火の頭を射貫いてくる。なんというかとても迷惑な行いである事は間違いない。
「よう、相変わらずだな」
「……」
 皇火が声をかけると、手に持った本に向けていた視線を一度彼に向ける。そしてそのまま何を言う事もなく、また目線を元に戻してしまった。これはかなり失礼な事だ。怒りをそのまま表現しても良いのかどうか皇火は迷う。
 皇火が声をかけた少女、彼女の名は、五十双 錠華という。学年は皇火と同じ2年生であったが、その小柄な体躯を見ると小学生にさえ間違う。ただ身体に似合わずその頭の回転は大したもので、この学校の定期試験の不動の一位を思うがままにしている。彼女に与えられた図書館の魔女という二つ名は、少々のやっかみと尊敬を込めて呼ばれているのだろう。
 錠華は時折やってくる皇火に話しかけられると、興味の無い視線を返してくれるのが常であった。一応皇火の事は個体認識してくれているのだろうが、あまり彼女からアクションを起こしてくれはしない。そういう人間なのだろうと、どこか諦めはついていた。
「何の本を読んでいるんだ?」
「……」
 ナチュラルに無視された。なんて酷い態度だ。彼女からこちらに呼んでおいてそのリアクションはありえ無いと文句も出る。
 皇火は腰をかがめ、本の表紙を確認しようとする。その際に視線が彼女のスカートの中に入ってもおかしくなかったが、それを気にする素振りを錠華は見せなかった。女としての慎みさえ捨て去ったのかと呆れ果てる。
 本の背表紙には『未来予測量子物理学』という文字が連なっていた。おそらく自分には一生縁の無い事柄に夢中になっているのだなと結論付ける。彼女が暴君のように降臨しているこの場所には皇火が求める類の本は無いのだなと理解して、もっと優しい書物がある区画へと移動しようとする。出来れば絵本ぐらい分かりやすい類のものである事が好ましい。
 この場から皇火が離れようとした瞬間、錠華が口を動かし、声が響く。元々静かな場所であったために、その声はしっかりと皇火の耳に届いた。
「今日はどうかしたのか?」
 たった一言だったが非常に気怠そうに錠華は言葉を吐いた。彼女にとっては会話は疲れる物で、積極的にやる物だとは思っていないのだろう。しかしそんなコミュニケーション不能の人間にさえ、今の皇火は気を使われている。その事に少なからずショックを受けた。それほど酷い顔をしていたというのか。
「別に……気が向いたから来ただけだよ」
「気が向いた? 気が向くとお前はこの知識の宝庫にやってくるのか? 冗談は止してくれ。お前、それほど勉学に対して殊勝な人間じゃないだろう。お前がこの小難しい場所に来るのはね、何かから逃げ出したくなった時だけだよ。今日は何から逃げてきた?」
 彼女は一度話し始めるととても尊大な物言いをする。非常にムカつくのだが、言葉で彼女に勝てた試しが無いので下手に怒るわけにもいかない。
「そんな事ねえよ。本当に、ただ何となくここに来たかっただけだ」
「そうか。じゃあ無意識の逃避という事だな。以前は確か、定期試験での勉強で難しい設問があった時、試験勉強をするのだという建前でここに来た。それからは味を占めて、少し何か困るとここに来るようになった。
 君の姉……いや、血は繋がっていないんだっけ? 鬼鍔 七切が君の嫌いなニガウリをどうにか克服させようと張り切っていた時。
 君の友人の永音 月歌が、あなたはもっとしっかりした身のこなしを身に着けるべきだと半強制的に上流階級の躾けを行われそうになった時。
 君の後輩の透風 駿姫に、自分の体力づくりに付き合ってくれと散々過酷なトレーニングメニューに振り回された時。
そんなつまらない、だけども彼女たちにとっては大切な物事にここへ逃げ込んできた」
 そんな事は無いと皇火は返したかったが、饒舌に語る彼女に舌戦で勝てるとは思えなかった。
「お前は嫌がっていたけども、それら全ては彼女たちがお前を想ってやった事だ。それを忘れないようにすべきだと思うよ。君は、もう少し人の好意を真正面から受ける努力をすべきだ」
「じゃあ今日緋鳥に置いて行かれたのも、俺のためにだって言うのかよ」
「ああ、今日はそんな理由でここに来たのか。なかなか情けないね」
 錠華は笑う。皇火はぐうの音も出ない。
「まあどんな理由であれ、ここは来る者を拒まない。好きなだけ居ればいいさ」
「まるで図書館の主のような物言いだな……」
「知らなかったのか? 私は、図書館の魔女なんだよ」
 皇火は錠華の隣に座り込む。人と話している方が本と向き合うよりも気が紛れる気がしたのだ。例えそれが、コミュニケーション不全のキツイ物言いをする少女との会話であっても。
「その本、未来予測ナントカっていうの、どういう内容の本なんだ?」
「お前に説明しても無駄だけど無理やり説明するならば、とても小さな物を見る事で未来がどのように進むのか予測できるのではないかと一生懸命計算している本だよ」
「ふーん、そんな事が本当に出来るのであれば、予言者になれるな」
「そうだよ。誰でも正しき知識があれば、予言者になれるのさ。予言者に必要なのか神がかり的な力では無くて、この世を計算式として見れる冷静な視点なんだ」
 皇火には何を言っているのかよく分からなかったが、多分彼女は自分をからかっているだけなのだなと決めつける。
「この世の未来が見通せるなら、きっと楽に生きられるだろうにな」
 皇火はそう呟く。幼馴染の分からない心に悩む事も無くなる。そんな皇火の心中を察してか敢えて無視してか、錠華は返答する。
「果たして、決まっている物事を未来と称して良い物なのかね? あやふやで形の無いあらゆる方向性を持った物こそを未来と呼ぶべきであって、先が決まっているならばそれは未来では無くて、ただの波動関数が確定してしてしまった事象にすぎないと思うよ」
 また難しい事を言い出したと思って、皇火は再び無視するが、自分と話すときはそれなりに楽しそうな錠華を見て、少しだけ満足した。
「お前、たまにはそっちから俺に会いに来いよ。会話する場所がいつもこの図書館だなんて、思い出になった時にヘンテコすぎる」
 その言葉を受けて、錠華は笑った。笑顔だけは無邪気な少女そのものだという印象を持った。
「嫌だよ。自分の居場所を離れてフラフラするのは、好きじゃないんだ。
でもその代わり、私はここに何時だって居るよ。お前が会いたくなった時に、ずっとこの場所に居る。そういう女も、お前には必要なんじゃなかろうか」
そんな保護者のような物言いに居心地の悪さを感じる。皇火は前を向く事で、彼女と向き合う事をやめた。
「その鉄砲で良く歩く俺の頭狙えたな」
「まあ、簡単だよ。ここ、風もないし、君の歩く速度は一定だし、鉄砲の精度の悪さも、繰り返した試射でどこに飛びやすいか分かっていたし。あとは力学の計算にそれぞれ当てはめて、到着点の位置と時間を導き出せば赤子でも当てられる」
「お前、自分が出来ることは皆それなりにやれると思っている所あるよな。人はそんな優秀じゃないんだから、他人にレベルを合わせるという事も学んでくれ」
「それこそ無理な話だな。人は、人の身の丈のまま生きるべきだと思うよ。無理に背伸びする事も、身を屈める事も、どちらも卑屈だ」
「その例えはとても分かりやすくていいぞ。特に背の低さで難儀しているだろうお前が言うと、説得力が増す」
 しばし錠華はこちらを見て、地面に置いてあった銀玉でっぽうを手に取り、引き金を引いた。発射された玉は正確に皇火の眉間を射貫く。どうも自分の言葉にとてもご立腹らしいと理解して、言い返してやったぞと嬉しくなった。


***

 少女は敵を追って巨木が地面から生えている森へとやってきた。視界が遮られ、でこぼことした大地がどうしても歩みを遅くする。あまり良くない場所だなと、少女は思った。彼ら怪物は戦場を自分の能力に適した場所を選ぶという事を学んでいたので、ここに誘い込まれたのも何らかの算段があっての物だろうと予想がついた。しかしだからと言って逃げ出すわけにはいかない。あの怪物を放って置けば人を襲い出すのだろう。そしてそれはいずれ、多大な被害へと繋がっていく。少女は自分を正義の使者だとは思っていなかったが、課せられた責務のためには命をかけなければいけない事を知っていた。それほど大切な事だったのだ。人を、守るというのは。
「ヴォオオオオオオオオッッ!!」
 少女が来るのを森の中央で待っていた怪物は、彼女の姿を確認して咆哮を上げた。そして光を放ち、自分の肉体を組み替え始める。見慣れたその変異に、少女は驚く事もしない。
 光がなりを潜め、敵の変化した姿が明らかになる。今度の怪物の姿は、かなり異形の物だった。一つの巨大な球体とそれを中心に回る小さな直方体が数個、宙に浮かんでいた。直方体の方はまるで太陽系の惑星のように球体を太陽として周回している。これはもはや、生命の形では無い。正常な進化の果てに獲得した形状ではありえない。
 何か特別な攻撃をしてくる奴だと判断して、少女は怪物の正面から離れようとする。しかしそれを邪魔するように、怪物が球体の身体を光らせる。少女に向いた前面からバチリと弾け、光弾が恐ろしい速度で飛んでくる。拙いと思った時にはもう、それは少女の肉体に着弾していた。
「きゃあああっ!!」
 焼けつくような痛みと焦げたオゾンの匂いを鼻腔に感じる。何らかの光学的な攻撃だと理解し、足を必死に動かして木の幹の影へと滑り込む。自分の傷痕を見て、一撃でこちらを戦闘不能に出来る威力では無い事に安堵する。下手をすれば一撃で終わっていた可能性があった。不用意に近づきすぎたと反省する。
 少女は少しだけ安堵した。威力はそれほど強くなく、そして直線的な攻撃であればどうにも対処のしようがある。この障害物が多くある森の中であれば、ちょっと頭を使えば簡単に接敵出来るだろう。
 夜の森が、一瞬明るくなる。先ほどのように敵がビームを放ったのだと理解した少女は、木の後ろで体勢を屈める。太い木の幹を貫通できるとは思っていなかったので、それでやり過ごせると思った。しかし少女の予想は、まったく別の方向から裏切られる。
 正面の森の奥深くから、一直線に光が走るのを少女は見た。その突然の光弾の出現に対処することは出来ずに、その身体に再び敵からの攻撃を受ける。
「うぐっううっっ!!」
 歯を噛みしめて痛みに耐える。ビームの発射光は背後に発生したはずなのに、正面から攻撃が飛んできた。それはあり得ない事のはずだ。光は直線に飛ぶのは自然の摂理だ。
 理解不能な攻撃にパニックになりかけるが、少女は視線の先に先ほど球体の怪物の周りを回っていた直方体状の物体を見て何となく理解する。あれは、光を曲げるリフレクターの様な物だ。何かの物理学を使って、本体から発射されているビームを曲げて攻撃してきているのだ。
 このままこの場所に留まっているのは好ましくないと判断した時には遅かった。少女が察知する事の出来ない速度の攻撃が森の中で何度か乱反射を繰り返して、彼女の足を穿つ。威力としてそれは一撃必殺になりえなかったが、肢体を傷つけ機能を失わせる事ぐらいは出来る。これで戦闘に必要不可欠な機動力が奪われたのだと知って、少女は恐ろしくなった。
 敵は初めからこれが狙いだったのだ。木々の隙間から自由自在に攻撃して、少しずつ少女の戦闘力を削いでいく。そんな持久戦の末に、少女に勝利したいと思っているのだ。なかなか骨のある奴じゃないかと、不利であったはずの少女は笑いを浮かべた。
 少女は木を背にして、必死に死角を無くそうと努める。何度か正面方向から光弾が飛んできたが、それは両手で必死に防ぐ。耐衝撃機能のあるドレスはビーム相手にもそれなりに効果を発揮して、衣装が焦げ付くだけで貫通する事は無かった。だがそれも一撃二撃程度であればこそで、このまま攻撃を受ければいずれすり減り身を守る事など叶わなくなる事を理解していた。
 そんな絶望的な状況下で、少女は大きく笑う。それは希望を持っているからだ。未来へと?がる可能性を、彼女が手にしているからだ。
「お前、もしかしてもう勝った気で居るんじゃないだろうな? 遥か彼方に居るお前に、私の攻撃が届かないとでも? ありとあらゆる場所を見通す力を、私が持っていないとでも思ったのか。それは、大間違いだぞ」
 彼女は力を持っていた。この未来を掌握する冷静な視点を。全てを無常に見極める、非情な算眼を。少女は腰のバックルの歯車を回す。いつもと変わらぬ機械音が響く。声は語った。『GUNNER FORM』と。
 少女の姿が光と共に変わる。色のついた透明な素材で作られたバイザーを頭に備え、そのドレスは防弾ジャケットの様なそれに姿を変える。いくつもあるポケットには筒状の多目的手りゅう弾が入っていて、付けられた安全ピンがチリチリと無機質な音を立てる。彼女は背中に大型のライフルを背負っていた。その口径の大きさから対戦車用の対物ライフルと思わしき形状だったが、現存する銃器のそれとはどれとも違っていた。
 少女はライフルを構え、先ほどまで背後に居た敵を捉えるために木を盾に後ろを向いた。
「……移動したか」
 少女の当ては外れて、視線の先には敵の姿は無かった。自分の位置を分かりやすい所に置いておけば反撃を喰らうと分かっていたのだろう。その戦術は非常に正しい。こうやって反射衛星に攻撃を任せて身を隠していれば、少女が飛び道具を持っていた時に反撃を受けずに済む。それは理想的な攻撃手段だ。相手が届かない位置から、一方的にいたぶる。現存の兵器も、その射程距離を伸ばす方向に進化した。
 森の奥で何かが明るく光る。そしてその数瞬後、背後から飛んできた光弾が少女に直撃する。
「うっぐ!! このっ……!!」
 『GUNNER FORM』は直接的な装甲は所有していなかったが、分厚い衝撃吸収機構のおかげで防御力は高かった。それでも決して軽くは無い痛みに耐える。
 敵はこちらの位置を正確に把握している。まずはそのターゲットマーカーを外す努力をすべきだった。
 少女は3つのポケットから缶状の手りゅう弾を引き抜き、無造作に自分の傍にいくつか落とす。すると一つからは銀色に輝く煙が吹き出し、周囲を覆い隠す。もう一つは明るく輝き、まるで新しく生まれた太陽のように熱を発する。最後の一つは大きな爆音を立てて、森の中で数秒間木霊し続ける。
 視覚と、熱と、音を封じてみた。これでこちらを正確に射撃してくるのであれば、自分が思い描いている索敵能力以外で狙撃してきている事になる。それはとても面白くない状況だ。
 少女の視野も奪われているのと同じ状況だったが、森の奥でまたしても何かが輝いたのを視覚保護のバイザー越しに確認できた。そして一秒とも経たない間に、光の矢が少女の背面に当たり弾けた。
「くそっ! 重力か!!」
 少女はそう叫ぶ。ありとあらゆる物質が持ち合わせている万有引力。それらを個別に判断する能力が、敵は所有しているとしか思えない。あの光を反射する衛星も、重力でもって光を捻じ曲げていると考えれば相手の能力に納得がいく。
 だがそれが分かっても少女は冷静だった。いや、むしろ安心していた。重力だなんて、そんな分かりやすく誰にだって平等な法則を使っているのであれば、こちらから逆算する事だって簡単なはず。本来であれば量子コンピューターが必要なそれだって、今の姿ならば容易く行える。だってこの彼女の姿は、全てを見通すための力であったから。冷静に、離れた場所から、自分の大切な物を見通すための力であったから。
 少女はゆっくりと目を閉じて、頭の中で演算する。今までの射撃角度。発射から目的に到達するまでの秒数。初めに直視した時の敵の直径。木々の揺らめき。風の音。夜の月が地面を照らす反射。そのすべてが、神羅万象が、計算にはめ込まれる数式となる。そう、この演算は、全ては世界とつながっているのだと示す説法のような物だ。どんなものも自分ひとりでは存在を許されず、何かに関わって生きていかなければならない。孤独と愛の計算式。
 少女は目を開け、はるか先の闇に塗れた空間に向かって銃を向けた。一瞬にも満たない間で狙いを定め、呼吸を止めて引き金を引く。するとガオンという大きな音と共に、空間を穿つ砲弾が発射された。大口径の砲撃は直線状にあった全ての物を貫き、少女の見通した対象に向かって突き進む。それは答えへと直線状に向かう、人の意思の様な方向性だった。
 少女はその射撃体勢のまま数秒待って、敵からの反撃がこない事を確認する。痛む足をかばいながら立ち上がって、自分が計算ではじき出した位置へとゆっくりと歩いて行った。
 その場所には当然というかやはりというべきか、大きく穴を開けた敵の残骸が横たわっていた。崩れていくその死体を見ながら、命の終焉は無残な物だという感想を抱く。
 少女は今現在地上に居る誰よりも遠くを見通す事が出来る。ほんの少しだけ、この世の真理に近づいたように思える。それは思い上がりなのだろうか。本来であればこの世界で生きている全ての者たちと同じように、ただ目の前の事だけを見て生きていくべきなのだろうか。
 少女はため息を一つ漏らし、ゆっくりと空を見上げた。天空には何の感情も示してくれない、非情な月がある。
「今日も生き延びた……っ! 死なずに居られたっ!!」
 戦いに塗れた生活を送るにつれて、どうしようもなく寂しさが胸を占める時があるのだと知った。自分と言う存在は、多くの愛によって支えられていると、そう確認しなければ耐えられない現実があるのだと知った。少女は自分の身体を抱きしめる。この血と、肉と、骨は愛から生まれた。戦う意志は、身体を動かす希望は、全ては愛から生まれた。自分はこの世界から望まれて生まれた子なのだと言い聞かせて、嵐のように吹きすさぶ悲しさに吹き飛ばされないようにじっと耐えた。


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