・第一章 終節 「可能性は夕闇に消える」

 今日はいつもよりもずっと早く目を覚ます事が出来た。しかしそれでも皇火は、起き上がる事が出来ずにいた。結局昨日から、緋鳥と会話する事無く、こうして日を跨いでしまっている。いろいろ問いただしたい事はあったはずなのに、ひとつとしてそれは出来はしなかった。
 これからどうしたものかとぼんやりする頭で考えていると、自室の扉が開く音がした。皇火は思わず息を止め、目をつぶって狸寝入りの恰好をしてしまう。部屋に無断で入ってきた人物は、ゆっくりと歩みを進めて皇火のベッドの横まで近づく。小さく鳴る鈴の音が、緋鳥がいつも付けている物なのだと思い出す事が出来た。
 このまま彼女がいつもの調子で起こしてくれれば、それで万事オッケーに思えた。いつもと同じく眠たげな口調で文句を言って、そして何ら変わりない日常に戻れる。それを皇火は期待していた。
 だがその願望に反して、しばらくじっとしていた緋鳥は皇火のベッドから離れていこうとする。小さく鳴る鈴の音が、それを知らしめる。予想もできなかったその振る舞いに慌て、皇火は飛び起きる。
「緋鳥っ!」
「きゃあ! 皇火!?」
 突然動いた皇火に緋鳥は驚き声を上げる。腰を抜かして倒れこもうとした彼女を支えようと、皇火は腕を掴んだ。
「どうしたんだよ! なんでお前……ここまで来て、俺に何も言わずに行こうとしたんだ!!」
 問い詰めるような皇火の物言いに、緋鳥は言葉を選び出す事が出来ないようであわあわと口を開け閉めしているだけだった。
「緋鳥っ! どういう事なのか教えてくれ! なんで急に俺を無視なんかしたり……」
 皇火のさらに追い詰めるような言葉に、緋鳥はただ黙ってその眼から涙を流した。皇火はそんな彼女の様子に慌てて宥めようとするが、女の涙の止め方など知らない彼は大いに戸惑った。
「緋鳥、ちょっと待て! 落ち着け! 俺が悪かった……いや、何が悪いのかよく分かってないけど、とにかく悪かった! 謝るから、泣くのはやめてくれ!」
「ちがっ……違う、の! 私、私は……」
 緋鳥は言葉上手く紡ぐ事が出来ていない。ぽろぽろと零れ落ちる涙と共に、言語の大切な部分が欠けてしまっているような印象を受けた。
 どうすれば正解であるのか分からず、皇火はとりあえず彼女の背中をさすってやる。それは最後の奥の手であったが、彼女の涙を止める事は出来なかった。それどころか、余計に彼女は嗚咽を漏らす。
 怒りたい事はたくさんあった。尋ねたいことも、知りたいことも、数えきれないぐらいあった。しかしそれらが全て少女の涙ひとつで止められてしまう。男の決心というのはこうも簡単に女の涙に挫かれるのだなと妙な教訓を得て、皇火はため息をついた。

 何とか緋鳥を泣き止ませて、下の階のリビングまで連れてきた。そのままソファに座らせ、皇火はキッチンへと移動する。とりあえず皇火でも出来る紅茶でも入れてやろうと思い、水を入れたケトルをコンロにかける。
 リビングの緋鳥を見てみると、泣き止んでは居るようであったが何度かしゃくりあげるような音が聞こえてきた。まだまだ彼女は会話できるような状態では無いと確認して、どう話しかけてやれば良いのか頭を悩ませた。
 インスタントの紅茶を二つのカップに入れて、リビングまで持っていく。まだ瞳に涙を浮かべている緋鳥の前に湯気の立つカップを置いてやり、自分の分の紅茶に口を付けた。いつ買ったかもさだかでは無い紅茶は、それほど美味しいとは思えない。これで傷ついた心が癒されるなら安いもんは無いなと皇火は思った。
 緋鳥も皇火に習ってか、紅茶に口を付ける。口に含んで、そして泣いて荒れた喉を潤すように飲み込む。皇火は、とりあえず彼女が話してくれるのを待つ事にした。物事の解決を時間に委ねた。無理に聞き出そうとしてもまた泣かしてしまうかもしれないし、どう扱ってやればいいのかほとほと困っていたのだから、ごく自然な成り行きだった。本来であれば登校のために急いで朝食を摂らなければいけないはずだったが、今日限りはそれも気にしない。二日連続の遅刻は教師に何らかの説教をされる可能性もあったが、目の前にある大事に比べればどうとでもない事のように思えた。
 およそ十分間、皇火と緋鳥は無言の時間を過ごした。外から聞こえてくる車の音と、差し込んでいる日差しだけが時の進みを受けているかのようなひと時だった。この家の物はすべて時間の流れの枠から外れてしまったのだと、そう空想してしまいそうになる。そしてふと、緋鳥が閉ざしていた口を開いた。その第一声は、なんともない日常の一言だった。
「……遅刻になっちゃうね」
「……そうかもな。でも、まあ仕方ないし、諦めたよ。よく遅刻するし、今更構わない」
「私は皇火みたいに不真面目じゃないから、とっても気にするよ」
 緋鳥は笑ってそう言う。聞きたい事はそんな言葉じゃなかったが、それでも彼女に任せるままにした。
「ねえ、昔の事覚えてる? 私も皇火も、両親が揃って家に居る事なんて稀だったから、寂しい思いをしたね。いつもあなたは泣いていて……それをずっと私が慰めていた」
「そんな昔の事は忘れたよ」
 皇火は恥ずかしがりながらそうぶっきらぼうに言った。忘れるわけが無かった。辛さと、優しさの入り混じった思い出だった。
「昔は、私が居なければ皇火はダメになってしまうと思っていた。……だからずっとあなたの傍に居るべきだと思っていた。それが、私の務めなのだと。今にして思えばなんて高慢な想いだったんだろね。私は、自分の寂しさをそうやって誤魔化してきたんだ」
 そう語る緋鳥の目は遠い。遠き過去を思い出し、思いをはせている。彼女が思い浮かべているのは楽しい過去なのだろうか。それとも、辛い事のあった思い出なのか。
「でも今はどうなんだろう? 確かに昔は皇火に私が必要だったけど、それじゃあ今は? あなたの周りには、あなたをとても大切に思っている人たちが居て、そして支えてくれる。じゃあもう、私じゃなくていいんじゃないかな? あなたはもう、大丈夫なんじゃないかな? 昔の泣き虫のあなたとは、きっと違う。そんな事、皇火の寝顔を見てたら思っちゃった。そうなるとね、辛いの。だから、逃げちゃった」
「何くだらない事言ってるんだ。お前、訳わかんないよ」
 お前を必要としないなどと言う時なんて、来るものか。そう笑い飛ばしてやろうとする前に、緋鳥は言葉を呟いた。
「私、お父さんとお母さんに……海外に来て、一緒に暮らさないかって、言われているの」
 皇火は思わず言葉を詰まらせる。それは、まったく想像する事も出来ない言葉だった。ぐるぐると回る思考の中、緋鳥が海外へと行ってしまったらどうするのだと自問自答する。混乱しかけた頭で、ただ一人日本に残された自分の姿を幻視した。
「そう、か……。それは、良かった、んじゃないかな……」
 絞り出せたのがそんな言葉だった。ただ一片たりとも本心でさえ無いウソつきの言葉を吐くだけが、皇火の精一杯だった。緋鳥はそんな皇火の心を知ってか知らずか、儚げにほほ笑んだ。
「うん。そうだね。良かった……んだよね。そう思うよ。うん。
……だからね、皇火ともう会えなくなっちゃうのも、仕方ないんだよね……」


***

 今度の戦場は巨大高層ビルの基礎工事が行われている工事現場だった。夜に塗れているので、すでに作業員の姿はない。あるのは積み置かれた建築資材。そして動かぬ建機たち。
少女は、ここでならば何らかの物を壊しても大したことないだろうと勝手に思う。壊れたらなら、また作ればいい。作業途中の広場であるのだから、そう手間は変わらないだろう。そんなここで生きる者たちの事をひとつも考えていない都合の良い思考を組み立てる。
 少女の目の前に怪物が現れる。いつもと同じ形状で、いつもと同じ不気味さを持った生命だった。もちろんこれがこのまま終わってくれるとは期待していない。彼らは『可能性』を弄る術を持っていて、それを自分を倒すためならば惜しまず使ってくる事を少女は知っていた。
「グオオオオッ!!」
 怪物は叫び声をあげる。そして例の如く身体を発光させ、構造を組み替える。
 敵は上半身を発達させた姿になった。筋肉隆々に発達させた上腕を醜く見せびらかす人型で、その両手によって繰り出されるであろう打撃はとても痛そうに思えた。
 恐らく敵は、少女の基本的な耐衝撃防御力の高さを考慮して、それを打ち破る火力にパラメータを偏らせたのだろう。一撃で少女を沈める自信が彼にはあるのだ。その好戦的な戦意に身震いする。
「オオオオオンッ!!」
 怪物はその巨木の如き両腕を見せしめの様に振るう。彼の近くにあった鉄骨に腕が触れると、飴細工のように溶けたように穴が開く。あの拳に触れるのは得策ではない。無残な鉄骨が未来の自分の姿になり兼ねないと少女は唾を飲む。
 ただし、彼の馬鹿力に真正面から挑む義理は無い。大振りのその攻撃は直線的で、予備動作も分かりやすい。正面から打ち合うより、速さで引っ掻き回して戦闘力を奪い、そして止めを刺すべきだ。優雅で誇り高い戦闘方法では無いかもしれないが、確実に勝利を求めるのは少女に課せられた責務だった。敗北は決して許されない。勝ち、守る事でしか、その存在価値を認められない。
 少女は腰のバックルに手をやる。スピードで掻き回すには、速さに特化した『SKATE FORM』が良いと思って、バックルの歯車を回した。
「……っ!? 変わら、ないっ!?」
 しかし、何も起こらなかった。いつものように身体から光が弾けぬ事に驚愕して、つい目の前の敵から視線を外してしまった。たった一つの油断。それが勝敗を決する事などよくある事で、血の味のする敗北を味わって、ようやく自分の愚かさを知らされる。彼女もこれまで居た敗北者たちと同じように、大きな代償を支払わされる。
 目を離した一瞬の隙に、怪物が少女へと音も無く接近していた。肌に感じたピリピリとした予感で少女はすぐに接敵に気付くが、対応に遅れた。怪物はその拳をしっかりと握りしめ、少女の小柄な体躯に渾身の力を叩き込んだ。
「うっ、ぐううぅぅ!!!」
 少女の身体は思いっきり吹き飛ぶ。今まで受けたどの攻撃よりも激しい痛みが肉体を襲う。拳が直撃した右腕は感覚が無く、目で直接見なければ弾け飛んだと言われても信じてしまいそうだった。本来、大型トラックの衝突でさえも衝撃を吸収できるはずの少女のドレスは、繊維が弾け、痛々しい色をした肌が見える。少女は追撃を避けるために早く立ち上がろうとするが、ガクガクと震える足が邪魔して上手く立てない。まるで地面で溺れもがく様な、無様なさまを見せてしまう。
 少女は痛みに我慢できず、涙を流した。何故自分はこのような苦しみを受けなければいけないのか、後悔と恨みの感情が直接的な恐怖を麻痺させる。憎しみの対象を怪物に挿げ替えて、無理やり戦意を奮い立たせる。一度恐怖に負けてしまえばダメだ。もう二度と、戦えなくなってしまうと本能で知っていた。
 少女はゆっくりと立ち上がる事が出来た。怪物は不気味な呼吸音を鳴らせながら、一歩一歩距離を詰めてくる。表情は何一つ変わっていないようだったが、何故か今はそれが醜く笑っているように見えた。
 少女はまだ自由に動く左手で、腰のバックルに触れる。今まで頼ってきた力が発揮できないのだと改めて理解して、戦慄した。いつかこの時が来るのではないかと思っていたが、このような最悪の形で現実の物になるのだとは思ってもみなかった。
「グオオオオッ!!」
 怪物は叫び、その凶器たる拳を振り上げる。少女は彼の予備動作に反応して、攻撃を避けようとする。
「うぐっ!」
 きちんと敵を見ればその攻撃を避ける事など何の問題も無いと思っていたが、速く動こうとした自分の身体が軋み、鈍い反応しか見せなかった肉体にぞっとする。今回はあと少しで直撃するという所で何とか躱し、敵の拳は地面に突き刺さり地面を弾けさせた。地面が揺れ、地表が弾け、バラバラになる空気が圧力を持って小規模な嵐を起こす。少女はその攻撃の余波によろめき、前につんのめってしまった。顔に近い地面が、屈辱をもたらす。
 だが少女は戦士だった。目の前の屈辱に囚われ頭に血を上らせる前に、自分の手のひらにある物を冷静に見る事の出来る人間だった。力を失ったとするならば、今手元に残っている物すべてをかき集めて、立ち向かわなくてはならない。この戦いに退却はあり得なかった。どんなに泥臭くても、勝利を手にするためにそれこそ命をかけなければいけない。
 少女は怪物に注意を向けながら、この工事現場の中央部分を見る。ここに建つ高層ビルのために深く掘った基礎部分。そこにはいまだ硬化しきっていないセメントの沼がある。重そうな身体を持つあの怪物の動きを止めるには、適切な罠だと判断する。
 少女は軋む身体に鞭打って、全身全霊の力を持って跳躍する。吐き出されそうな内臓が、痙攣する筋肉が、ダメージの深さを物語る。少女はセメント沼を背後にして、敵に正面を向ける。あの死ぬほど痛い一撃を、もう一度真ん前から受け止めなければならないかもしれない。血の味がする奥歯を噛みしめて、少女は覚悟を決めた。
 怪物は立ち止まった少女を見て、狙いをすませたかのように走り出した。単純に強い能力だからか、下手な小細工をする必要を感じていないのだろうか。正直、それは助かった。
「こいっ!」
 真正面に迫った怪物は、拳を振り上げる。受けた痛みがフラッシュバックし、足をすくませる。閉じそうになる目をしっかりと見開いて、少女はその攻撃をギリギリまで直視した。
 ゴウンという、空気を削る不気味な音が鳴る。その音に何かが砕ける音階が混じらなかったのは、少女が紙一重での回避に成功したからだった。怪物の拳は少女の脇腹を掠り、噴き出た鮮血は空気中に霧として散った。
 攻撃を躱された怪物はそのままの勢いでセメントの沼に突っ込む。重すぎる自重が粘りつく地面からの脱出を困難にし、もがき苦しむ。
 少女はそれを見ながら、近くにあった鉄骨の山に近づく。少し息を整えて、その山を一気に持ち上げた。傷から血が噴き出る感触がする。感覚の無かった右腕が、思い出したように痛みを訴える。おそらく何十トンもあるはずの鉄塊を、傷ついた身体ひとつで上げ切った。
「う、がああ、ああああああっ!!!!」
 そしてそのまま全身全霊の力で持って、それを沼で足掻いていた怪物に投げつける。敵は多大な質量を持つ鉄骨に押しつぶされ、そして沈んでいった。

「なんでこんな、こんな風に……っ!」
 こんなに、歪にしか戦えないのか。戦闘の反省と、生き残った安堵。そしてようやく実感の湧いてくる恐怖が、頭の中で濁流となる。思考の流れを上手くコントロールできず、感情のまま涙を流す。
「死ぬ所だった。負ける所だった。なんでなんでなんでっ! どうして、私の『未来』が裏切るのかっ!!」
 ゆっくりとその場に座り込んで、少女はしゃくりあげる。涙が止まらなかったが、誰も見ていないこの場ではそれも許される気がした。
 自分を幾度も勝利に導いてきた力に裏切られた。その失望感と喪失感に、絶望してしまいそうになる。もうこれ以上自分は戦えないと、そう弱音を吐いてしまいそうになる。『力』は、少女を守る愛そのものだった。今まで一人で戦ってこれたのは、それらがいつも傍にあるのだと信じていたからだった。
 5分程冷たい夜の風に吹かれて、冷静になってきた。痛む身体と、凝固してきた血液が、少女のやるべき事を指し示しているようにさえ思える。彼女はゆっくりと立ち上がって、歩き出した。
 少女には力が必要だった。この揺らめき消えてしまいそうな程儚い『今』を守る力が。


***

 天戸 皇火は暗い部屋でじっとしていた。もう深夜になっていたが、電気を点ける気にもならずこうしてベッドに寝っ転がっていた。かと言って睡魔が湧いてくるわけでもなく、ただただ無意味に時間を浪費する。
 今朝緋鳥から聞かされた、両親の元へ行くという話。それがぐるぐると頭の中を回り続ける。彼女はもう、それを決意している。そして皇火には、それを止める手立てなどない。とても単純なそれを理解していたのに、認める事が非常に苦痛だった。緋鳥はここに居るべきなのだという根拠不明の論理を組み立てて、どうにか説得出来ないか考えている。
 そこまでぐちゃぐちゃの思考を客観的に眺めて、何故自分はこんなにも緋鳥の幸せを邪魔しようとしているのだろうかと気づいた。子は、家族と共にあるべきなのだ。それは同じ孤独を知っている皇火には分かっているはずだった。単純に自分を置いて幸福になられるのが気に食わないのか。それとももしくは、緋鳥に自分の傍から離れてもらいたくないのか。
「どっちにしたって子供の駄々だな……」
 自分に絶望して仕方がないというように、皇火は呟く。そんな言葉をいくら腹から解き放っても誰も慰めの言葉をかけてくれない事は知っていた。それでも独り言は出る。
「家族同然だったから、こんなにも寂しいのか……? 居て当たり前だと思ってたから、こんなに辛いのか……? くそ、こんな事なら、もうちょっと自立しておくべきだった。何から何まで、緋鳥に頼り過ぎたんだ……」
 そんな恨み言を言った所でどうにもならない事は知っている。緋鳥が居ない人生など、成り立つわけが無かった。この歳まで生きる前に、寂しさに潰されていただろう。
「緋鳥……緋鳥緋鳥緋鳥ひとりひとりっ!! くそったれ!!」
 怒りに任せて、皇火は枕を殴りつける。慟哭のような言葉にならない叫びをあげ、暴力で心の均等を取ろうとする。
 たった一人の人間が自分の傍から居なくなるだけで、こんなにも心が砕かれる。自分の弱さと、緋鳥の偉大さを教えられる。皇火は大きくため息をついて、吐き出すように言葉を絞り出した。
「こんなにも傷つくのは、俺が緋鳥の事を大切に思っているからだ。無くしたくないと思っているからだ。俺は多分、緋鳥の事を本当に……」
 そう呟いた瞬間、家に轟音が響く。壁や床が軋み、衝撃が走る。木材の様な物が砕ける音。ガラスのような物が壊れる音。ありとあらゆる破壊の音色が、皇火の部屋まで届いた。
 何が起こったのか把握できない皇火は、しばらく身を固まらせてしまう。残響のように揺れる床を感じて、そこでようやく正気を取り戻した。皇火が寝室から廊下に出てみると、無残に砕けた家の断片が足元に転がっているのを見つける事が出来た。思わず息をのみ、暗がりに支配される向こう側を見通そうとする。彼の視線の先には、上下にぽっかりと空いた穴があった。
「隕石か何かでも降ってきたのかっ……!?」
 その割には焦げ臭い匂いがしないと努めて冷静に判断しながら、皇火は歩く。空から何かが降ってきたのであれば、下の一階に向けて突き抜けたはずだ。危険な物でないか確認しなければならないと奮い立ち、皇火は駈け出した。
 光の無いリビングへと下りると、無残に砕けたテーブルがまず目に入った。それなりに気に入った代物だったのにと、危機感とはまったく逆の思考が走る。隕石の熱で着火した炎の姿は無い。火事の心配は無さそうであった。
 上に視点を向けてみると、大きく空に向かって空いた穴が綺麗な夜空を映し出している。パラパラと降ってくる破片から目を守るために、皇火はすぐに見るのを止めた。
 リビングの床へと視線を戻すと、壊れたテーブルの中心で何かが動いた。宇宙から降ってきた侵略者かと見当違いに身構えると、それは勢いよく顔をあげた。
「な……っ!?」
 それと、皇火は視線を交わす。元々家の屋根を構築していたであろう破片を髪に散りばめ、そして闇夜でも輝く双眸を持ったそれは、間違いなく人間だった。一人の、少女だった。
「お前は一体……?」
 彼女の髪の色と、着ているヒラヒラの付いた服には見覚えがあった。いつの日かテレビで見た、質の悪い動画で活躍していた魔法少女。テレビ越しに見た空想と現実が曖昧な産物が自分の前にあるのだと知って、皇火はどうすれば良いのかただただ困惑した。
 テレビ局が企画したタチの悪い冗談なのだろうかと、頭が目の前の事態をフィクションと捉える事で逃避しようとする。目の前の魔法少女は、そんな皇火をしっかりと見て、にこりと笑った。不覚にもその笑顔を可愛いと、皇火は思ってしまった。
 魔法少女は、何の前触れも無しに、皇火に向かって抱き付いてきた。急激な事態の変化に取り残される形となった皇火は、柔らかな少女の感触に身体を硬直させるだけで何も対応できなかった。少女は、叫ぶ。とてもとても嬉しくて、仕方がないと言ったような声色で。
「会いたかった……ずっとずっと、会いたかった! それでも我慢して、ずっと耐えてきたけど、でももうそんな事はどうでも良くて……やった! やったやった! 本当に天戸 皇火なんだね!?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! お前は一体何なんだ!? いったいどこのどいつで……」
 少女は皇火の胸に顔を埋めていたが、彼の言葉に返事をするように顔をあげて皇火の顔を真正面から見る。少なくとも皇火に、彼女のような知り合いは居ないはずだった。
「私の名前は『叶(かな)火(か)』。遠い未来から、今の時代に使命を持ってやってきた」
「未来人……?」
「そう、簡単に言うと未来人。そして私の父親の名前は、『天戸 皇火』。未来の、あなただよ」
 突然の宣告に皇火はポカンと口を開ける。その間抜け面を気にする事無く、叶火と名乗る少女は微笑んだ。
「ようやく会えたね、パパ」


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