・第二章 終節 「未来(みらい)未確定(みかくてい)少女(しょうじょ) カナカ」

 今日は緋鳥が旅立って行ってしまう日だった。ろくに眠る事も出来ずに、ただただ朝日が昇るのを待った。しかしその想いを裏切るように、いつまでたっても日差しは窓に差し込まなかった。のろのろと窓を覗いてみると、分厚く黒い雲が空を覆っている。せっかくの旅立ちの日なのに、こんなに天気が悪いのかと、どこへ向けて良いのか分からない怒りが湧いてきた。
 皇火は両親の寝室を開けてみる。つい昨日まではそこに未来の自分の娘が居たはずだが、すでにその姿はない。蜃気楼のように消え去ったのだと、そう納得した方が座り心地が良かった。
『ピンポーン』
 家の呼び鈴が押される。それに自動的に反応するように玄関へと向かうと、鬼鍔 七切が心配そう立っていた。
「大丈夫か? 皇火」
「え? ああ、うん。まあなんとか」
 全てウソだった。緋鳥に拒絶された事が悲しかった。カナカに吐き捨てられるように去られた事に納得がいっていなかった。それでもなんともないというような顔を貼り付けて、日常を送っていかなければならない。そうやっていつか、本当に大丈夫になる時を心待ちにするのだ。
「今日は突然発生した台風が近くにあるらしい。もしかしたら日の中ごろに休校になってしまうかもしれないが……行くか? 休んでもいいそうだぞ」
「うん、ああ……行くよ」
 家に居てもやる事なんて無かった。だから、普段通りの生活を出来れば送りたい。そうすれば、自動的に一日も終わって、悩む事もなくなるはずだ。


 学校へと着くと、現在の台風の状況が教師から伝えられた。急速に発達を遂げ、暴風域が拡大している。ただ進行速度が速いので、夜には都内から通り過ぎ去っていってしまうだろうと。だから学校に来てしまった生徒は無理に帰ろうとせず、校舎内で安全を確保していて欲しいと。
 学校に来ていない生徒たちも多いので、今日の授業は全て自習となった。ほんの少し非日常な空気に、生徒たちはワクワクしているようだった。持っている携帯電話で台風情報を取得しながら、外で吹きすさぶ風を興味深く見ていた。
 皇火は教室に居るとなんだか居心地が悪かったので、人の少ないであろう図書館へと移動する事にした。あの建物も丈夫そうであるし、避難する場所なんてどこでも構わないだろう。
 皇火はすでに歩き始めた後だったために、教室に居る生徒の声を聞き逃してしまった。その生徒は見ていた携帯から伝えられてくる情報を見て、思わず声をあげてしまったのだ。
「ねえ見て見て! 今空港が暴風圏に入ったらしいんだけど……あの魔法少女が現れたんだって!」


 魔法少女は……カナカは、吹きすさぶ風が溢れる中ビルの屋上に立っていた。彼女が着ているのはいつもの魔法少女風の服で、ヒラヒラとしたリボンが風に煽られ歪んでいる。
 カナカは目の前の嵐を見た。分厚い雲が恐ろしい速度で回転している。まさにそれは自然災害で、地上に在る物をまとめて薙ぎ払おうとしている。
 恐ろしい事に、この台風は『敵』だった。『虚映ゴースト』。その存在が揺らぎの物質で占められたそれは、今回は嵐に姿を変えた。未来の可能性をどう弄ればそんな物になれるのだろうか。いや、過去の蝶の羽ばたきは未来の嵐となると語られるし、もしかしたら当たり前の事柄なのかもしれない。
 おそらく核となる物質は嵐の中心に居るのだろう。出来れば手っ取り早く狙撃したかったが、今の彼女にはその力は無かった。カナカは地面に降り、歩いて嵐の中心へと接敵しようとする。しばらく歩を進めると、ごうんという、不気味な音が鳴った。
「っ!? 車!?」
 近くに駐車されていた自動車が、風に巻き上げられカナカに向かって飛んでくる。それを拳で力任せに払ったが、注意の外から来た攻撃には対処しようが無かった。重い鉄の塊が少女の身体を押しつぶし、弾け飛ぶ。
「ぐ、はっ! これ……ヤバっ」
 口から吐血する。ミシミシと骨が嫌な音を立てる。彼女の今の姿ではまともに近づく事さえも出来ないのだと悟る。
 敵はこのままであれば少女をやれると思ったのか、直接風圧をぶつけてくる攻撃も入り混ぜてきた。物質の投射よりはダメージは少なかったものの、攻撃そのものが見えぬが故に回避する事がとても難しかった。目に見えぬ攻撃で身体がバラバラになりそうになり、何度も地面に叩きつけられる。そしてその風で近くの高層ビルに叩きつけられた。外壁は砕け、オフィスの中に入り込んでしまう。建物内に入りこむ事が出来たのはカナカにとって幸運だったのかもしれない。敵は屋外での攻撃方法には困らないようだったが、建造物の中に居る小さな物体をどうにかする直接的な攻撃方法は持っていないようであった。

『見ましたでしょうか! 今、あのビルに魔法少女が衝突していきました! 安否は不明です! こちらからは確認できません!』
 もともと空港近くの台風中継をやる予定だったテレビ局のクルーが、全国の生放送でカナカの戦いを放映していた。今まで一般素人の投稿動画で場を濁していた彼らが、初めて自社のテレビ機材での撮影が可能となった千載一遇のチャンスが今だった。それ故に、彼らは冷静な判断を失っていた。出来るだけこのスクープを一番良い場所で、限りなく臨場感を損なわずに家庭に届ける。そんな職業意識に囚われていた。
『わ、私たちは、出来る限り魔法少女に接近して、彼女の姿を収めると共に、独占インタビューを取り付けたいと思います! 現在この地域は、時速40メートルの暴風圏に入っており、大変危険で……避難民への対応に、自衛隊の出動も考えられているらしく……それでも私たちは、この取材を決行したいと思います!!』
 完全に彼らは自分に酔っていた。すでに正しい判断は出来ず、クルーの直属の上司たちも降って湧いたスクープの虜となっていた。視聴者も視聴者で、早くもっとすごい映像を見せろとせがむ。全てが同じ方向に間違っていたために、誰一人として正す者などいなかった。
 リポーターとカメラマン、そして音声スタッフはカナカの衝突したビルへと入る。すでにその棟内の避難は完了していたらしく、無人だった。停まっているエレベーターの代わりに階段をいくつも上り、魔法少女の倒れた場所へとたどり着いた。そしてついにテレビ局のカメラは、謎に包まれた魔法少女の姿をお茶の間に届ける事が出来たのだった。

 世界中の皆が、絶句した。テレビに映ったのは可愛らしい服を着ているただの少女で、それが衣装を台無しにする出血に塗れて倒れている。皆が夢見た魔法の素敵な力で戦う乙女ではなくて、現実にあるのは荒い呼吸をぜーぜーと繰り返す血塗れの女の子。それがいったいどういう意味を持つのか、理解した人間はどれほど居たのだろうか。
『あ、あなたは、魔法少女、なん、ですよね?』
 目の前の惨事に殆ど混乱したレポーターが、間抜けな問いを口走る。魔法少女は、カナカは、返事をする事は無く、荒い息遣いを繰り返すだけだった。

「この子……まさかっ」
 テレビの向こうでは、友人からニュース映像を見せてもらっていた鬼鍔 七切が絶句していた。つい数日前まで共に遊んでいたカナカという名の少女が、酷い姿でテレビ画面に映し出されている。これは何の冗談なのかと気が遠くなる思いがした。
「ねえ……」
 クラスメイトの一人が呟く。その声に、耳を傾けてしまう。
「この子が負けたらさ、世界ってどうなるの?」
 いろんな物語で、世の終わりが語られてきた。嵐が吹き、地面が割れ、空が壊れるらしい。もしそれの始まりが、今この時だとするならば。今まさに、滅ぶ瞬間を目にしているとするならば。おそろしいその想像に、誰もテレビの画面から目を離す事が出来なくなってしまった。

『あの、あなたは、なんで、戦っていて……』
 テレビクルーたちはまだインタビューを試みていたが、倒れているカナカが示す反応は薄かった。その時、地響きのような音がした。なんとか動く首を動かして、カナカは窓の向こうから外の景色を見る。するとそこには、悪夢の世界のような光景が広がっていた。
『ひ、ひぃ! み、皆さん、あれを見てください。これは、こんな、本当に起こっている事なのでしょうかっ!!』
 窓の外で、無人の雑居ビルの一つが、風の力で根元からへし折れ宙に浮かび上がっていた。航空力学的には、どんな形をしている物だって推力さえあれば飛べるらしいと思い出して、カナカは思わず笑った。それは、私を殺すには過剰すぎる質量だ。
『あっ、あっ、あっ! ヤバ……逃げろ! 死ぬ!!』
 宙に浮かんだビルが、恐ろしい速度でカナカの居るビルへと突っ込んでくる。それを間近で見る事となってしまったカメラは、おぞましい臨場感を持った映像を生放送として届けた。
 激しい轟音と、ノイズの走るテレビの映像。そして転がるカメラが映す支離滅裂な場面転換。そして床を映したまま止まる映像。人々はそれをじっと見守る。目の前で死が起こったのだと恐れおののく。しかししばらくすると、映像が動いた。誰かがカメラを持ち、自分たちの状況を伝えようと必死になる。
 カメラが映したのは、飛んできたビルの塊。そしてそれをただ一人の身で受け止める、魔法少女の存在。
『なっ……あ、ああ、あ……』
 あまりの事にもはや言葉を正しく紡げないレポーターが呻く。彼に怪我は無いようだった。
「私……私、は」
『え!? ええ!?』
 小さな体で飛んできたコンクリートの塊を受け止めた少女が、言葉を絶え絶えに紡ぐ。初めは放心状態だったレポーターだが、すぐに彼女に向けてマイクを向けなおした。
「私は、ありと……あらゆる物のために、戦っている。全ての者の……未来のために。好奇心を抑えられない、お前たちみたいな愚か者も……あの敵を排除しようと向かってきている向こう見ずな戦士たちも。その、全部のために……。そう言ったら……信じてくれる?」
 カナカは痛々しげな微笑みを見せる。テレビクルーたちは、絶句してしまった。


***

 その頃、皇火は図書館に居た。いつものように本棚の奥へと歩いていくと、そこには久しぶりに会う錠華の姿があった。
「よう。お前、散々呼び出したのに全てお誘い無視しやがって……」
「前にも言ったけど、私に会いたいならここに来ればいい。それですべてが片付くんだからいいじゃないか。……で? 今日はどうした? どんな悩み事だ?」
「別に俺は悩み事があるからここに来ているわけじゃ……いや、まあそういう事も多いんだけど」
 皇火は錠華の隣に腰掛ける。彼女は面倒くさそうな顔をしながらも、出てけとは言わない。
「カナカと、喧嘩した」
「そうか」
「あいつは自分に頼らず一人でやっていくって言ってた。俺が緋鳥を好きなのが、たまらなく嫌らしい」
「なるほどな」
「そもそもアイツが戦う理由なんてあるのかよ。アイツは敵の対処に当たった自衛隊が死傷したらどうするんだって言っていたけども……多分上手くやれば問題ないはずだろ? こっちの時代の事は俺たちに任せて、カナカは未来に帰ればいいんだ。それですべて丸く収まる」
「ははは、なかなかくそったれた冗談だな。そんな事お前が口にするとは思っていなかったぞ」
 錠華が何を非難したのか分からずに、皇火はぽかんと間抜けな顔を見せる。彼女はその表情を見て、ようやく察した。
「そうか。先ほどの言葉は、お前の無知さから出てきた言葉か。何にしても最低最悪な物言いだと思うけど」
「錠華、お前何を……」
「お前の娘、カナカは未来に帰れないよ」
 皇火の肌がざわめき立つ。帰る事が出来ない? アイツが居た未来に?
「一方通行なんだ。カナカが語ったタイムトラベル理論だとな」
「どういうことだよそれ! そんな事、ひとつも言わなかったじゃないか!!」
「よくよく考えろ。未来から来た物質が不安定の未確定状態になるのであれば、まず真っ先に変化してしまうのは何か? 簡単な話だよ。未来から物を乗せてきた、タイムマシン自身に決まってる」
 確かに錠華の言う通りだ。現在タイムマシンという機構が存在しないこの時代に置いては、未来から来たタイムマシンはその形を保てない。
「彼女の語った理論で安全にタイムトラベル出来るのは、タイムマシン完成後の過去までに限られる。そこから先は10メートル先の目標に向かって生卵を投げるような物だ。着地の衝撃で殻が破れ、元の形状を維持できない。そしてドロドロに流動しながら、時間の経過と共に歪に干からびて凝固するのを待つしかない」
 皇火はカナカが作ってくれた目玉焼きの事を思い出した。溶け、焦げ、歪に凝固したそれは何を表現していたのか。
「欠陥品なんだよ。彼女たちのタイムトラベルは。いや、欠陥というよりも、物理学的にそうしかならないと言った方が良いのかもしれない。結局人類は、時間の流れを自由に手にする事なんて出来なかったんだ。
 だがその欠陥品でも、未来の危機に対しては戦える。彼女の敵……『虚映ゴースト』はおそらくなんらかの方向性を持った物を、過去にばらまいているという戦術だ。そのどれかが未来を変える事になればオッケー。そんな、不確定な作戦目的を承知でこの時代に送り込んでいる。
 それを防ぐために、カナカの側は自立した思考を持つ人間を送り込んだ。皇火、多分彼女はね、人の形のまま死ぬ事はもう諦めていると思うよ。そんな決意で、この時代までやってきた」
 わずかな時間過ごした、カナカの姿が目に浮かぶ。未来の母親に会い、喜び、そして笑っていた。彼女が切り捨てた全ての物が再び目の前に垂らされて、彼女は何を思ったのだろうか。
「そして彼女の戦う目的だが、これも分かりやすい。彼女は未来の変化に応じて揺らぐ生命体だ。もちろん思い出も意思も、一定ではない。だがそんな人間が戦うという意志に関しては一切揺らがなかったのであれば、彼女の確固として固定されている存在こそが、戦う理由なのだと推測する事が出来る」
「アイツの、変わらなかったこと?」
 皇火が知る限り、それはただひとつだけだった。カナカと、初めて会った時のことが思い返される。彼女は笑い、そして縋り付いてきた。ようやくこの世界で会えた父親に、甘えようとしてた。
「つまり……アイツが戦っていた理由は、くそったれた父親……未来の俺って事か」
「そうだよ。お前が直接的な原因なのか、それともただ単に世界を救う意義を説いたのがお前だったのか。どちらにせよ起点は君だ。彼女は移り変わる思い出の中、皇火を導として戦い続けた」
 皇火は自分を許せなくなった。考えの至らなさと、カナカの抱いていたあまりにも大きな強い意志に、どうしようもなく悲しくなる。
「なんで俺にそれを教えてくれなかったんだよ……」
「教えてどうなる? お前は物理学を捻じ曲げる能力でも持ってるのか? 彼女の惨めな死はもはや決定された物で、どうにもならん。自分のやれる事とやれない事の区別はきちんとつけておくべきだと思うよ」
 あまりにも酷い錠華の物言いに、もはや抗議する気さえ起きずに打ちのめされる。

「皇火っ!」
 図書館に鬼鍔 七切の声が響く。彼女は何やら急いでいる様子で部屋に入ってくる。その後ろには永音 月歌と透風 駿姫が居て、彼女たちも何やら不安げな顔をしていた。
「皇火! どういう事なんだ、説明してくれ。カナカが、魔法少女として戦っていた! いや、それも大切なんだが、暴風域が拡大して緋鳥のいる空港まで危険地帯に……」
 突然流れ込んでくる情報を数々に、皇火は助けを求めるように錠華を見やった。
「魔法少女たるカナカを助ける事。おそらく空港に居るであろう、緋鳥を助ける事。それらをどうにかしたいと思っているんだろうが、諦めろ。お前はただの学生だ。何も出来ないよ」
「そんな、そんな事は無いだろっ……何か、俺たちでも出来る事が、あいつらを、助ける何かが……」
「言っただろう? お前は何も出来ない。ずっとそうだったじゃないか。緋鳥の海外行きでさえ変えられなかった。そういう人間なんだよ。お前は」
 悔しくて悲しくて涙が出る。なぜ自分は、こうも役立たずに生まれたのだろうか。もっとやれる事があったはずなのに、それをせずにここまで来てしまたのだろうか。そんな絶望が皇火の心を占める。
「だがまあ、それはお前ひとりに限った場合の話だ。よく周りを見渡してみろ」
 皇火は錠華に言われるまま周囲を見渡した。そこには自分を心配そうに見つめる3人の少女が居る。
「世界でも特段な才能を持つ物たちがここに集っている。私がお前だったら、この者たちに何が何でも縋るがね」
 彼女の言葉で吹っ切れた。皇火は七切たちを前にして、大きく頭を下げる。
「最初からこうしていれば良かった。今までだってひとりで何か出来た試しなんて無いのに、なぜ黙っていたんだろうか。何故君たちに助けを求めなかったのか。
お願いだから、俺を助けてほしい。幼馴染を、俺の娘を、助けてほしい」
皇火の土下座を見て、彼女らは互いに目を見合わせた。


 空港のロビー。そこにはこの飛行場に閉じ込められた者たちが押し込められていた。初めの内は嵐が過ぎ去れば航空も再開されるとアナウンスされていたのだが、徐々に強まる風が乗客たちを不安にさせていた。
 その場所に、空乃 緋鳥も居た。すでに荷物は預け終わっていて、今持っているのは手荷物だけだった。
「ねえこれ、マジでやばいんじゃない? 逃げた方が良くない?」
「でもまだ距離はあるんだろ? 指示が無い限りは動かない方が……」
 緋鳥の後ろで、携帯端末を見ていた男女が何か話していた。何かあったのだろうかと後ろを振り返ろうとした時、ガラスが割れる音が大きく響き、そして侵入を許した風が縦横無尽に吹きすさぶ音が木霊する。
「きゃー!!!」
 誰かの悲鳴が響き渡る。その声の方向を見ると砕けたガラスの破片と天井の一部分。そしてその中央に、人の姿があった。それは少女だった。あのテレビで有名な、魔法少女。
 彼女がここに落ちてきたのだと理解した瞬間、さらに大きな轟音と衝撃がロビーを揺らす。人の悲鳴と逃げ出す足音が風に遮られ、不気味な音階を奏でだした。恐る恐る目を開けてみると、元は車らしき物体がロビーに突っ込んでいた。あれも、風で飛ばされてきたというのか。
「みなさん! この場所は大変危険です! すぐにこちらへ避難してください!!」
 空港の係員が慌てふためく客たちを誘導する。緋鳥もそれに続こうかと思ったが、落ちてきた少女の事が気になった。
「これは……拙い。ここまでされると、手が出ない……」
 魔法少女はゆっくりと立ち上がる。するとボタボタと多くの質量を持った血液が、空港の白い床に零れ落ちる。痛みに気が飛んでしまいそうだった。失われていく体温が死の危険を伝え続けていた。だがそれでも彼女は敵が居るであろう嵐の中心を見る。敵があそこに居るのだと、自分に奮い立たせる。
 すると、目の前の嵐に変化が起こった。分厚い雲が晴れ、その中心におよそ30m程の巨大な物体が宙に浮かんでいる。あれが『敵』なのだと、少女は直観で理解した。
 『敵』である虚映ゴーストは、異質な姿をしていた。今まで戦った怪物とは違う、どこか無機質を思わせる形状。その大きな球体の身体に、不自然に巨大な両腕を付けている。周囲を回る直方体の物体に覚えがあった。多分あれは衛星だと目星を付ける。そして胴体である球の身体には、にやける大きな口が付いていた。
 前衛芸術家の失敗作というのであれば理解できる。だが多分アレは、過去に自分との戦いでそれなりに効果のあった戦術を選りすぐっての物なのだろうと結論付ける。衛星らしき物で風の防護幕を作り、近づけばその大きな腕で粉砕。基本的な攻撃は風を使った遠距離攻撃に徹して、努めて魔法少女の間合いに入らないようにする。とても素晴らしい戦術だ。何一つ間違っていない。だから、ここまで追い詰められた。
「……私は、ここで終わりか」
 姿を現した雄大な敵に対して、そんな弱音が口から出た。今まで幾戦も重ねてきた戦士が、ついに死を覚悟する。
「……だけど後ろには倒れないっ! 死ぬときは、前のめりに死ぬ! そう決めているんだ!!」
 少女の叫びを介さず、敵は攻撃を繰り出す。圧縮した空気を、魔法少女に向かってぶつける。その視認不可能な攻撃を彼女はまともに喰らい、そして、ゆっくりと崩れ落ちようとした。
 これが、最期の時なのだと思った。地面に倒れ、後はゆっくり意識を失って死ぬ。なんて無様な最期なのだと途方に暮れた。もっと英雄的に死ねるのではないかと、そんな事を思っていた自分がバカらしかった。
 だが、いつまで経っても地面の冷たい感触を感じなかった。それどころか、どこか温かいぬくもりを、背中に感じる。少女がゆっくり目を開けると、後ろにひとりの人間が居る事が分かった。彼女が、自分を支えてくれている。彼女の名は、空乃 緋鳥。
「あなたっ、しっかりして!」
 そう檄を飛ばしながら、カナカを引きずる。おそらくどこか安全な場所に避難させようとしているのだろう。それは愚かな行為だ。もちろんその逃避行動を黙って見ていてくれない敵は、大きく口を開ける。そして、そのまま巨体を突進させてくる。
「よけてっ! 喰われるっ!!」
「うわあっ!!」
 カナカと緋鳥はその場に倒れこむ事でその攻撃を回避した。紙一重という所で、敵の巨大な歯がかみ合う。ジャキンという刃物がかち合う恐ろしい音を間近に感じ、身も凍える気持ちだった。
「ああっ、どうしよう……リボンが、無くなっちゃった……」
 地面に倒れている緋鳥が、現状にそぐわない言葉を漏らす。なんて呑気な女だと、笑いたくなってくる。
「グオオオオオオオオオオッッッ!!!」
 食いそこなった怒りなのか敵は大きく咆哮し、その身を震わせる。すると彼を構成していた外壁がぽろぽろと崩れ、地面に落ちた。しばらくするとその肉体の一部が光の粒子と変わり、また別の形態へと変わっていく。それが、あちこちの地面で起きた。
「ガアアアアッッ!!!」
「キエエエエッッ!!」
 あちらこちらから獣の咆哮が木霊する。今までカナカが戦ってきた怪物と同じぐらいのサイズの奴らが、本体からの破片で生れ落ちたのだ。それらは、近くに居た人々を襲い出す。
「やめろ……」
 敵の本体は、自らの攻撃を小さいカナカに集中させるよりは、新たに生み出した小兵たちに任せる事にしたようだった。風を操り、現地に展開していた警察車両への攻撃を始める。
「やめろっ! これ以上、私の未来を壊すのはやめてっ!」
 もはやただ敵に許しを請う事しか出来なくなったカナカが、叫ぶ。だがその叫びを聞き届ける事無く、蹂躙が始まる。
「全部、私が甘かったんだ……。もっと自分でやれる事があったはずなのに、父親に頼ってしまった。彼ならばなんとか出来ると、そう信じてしまった。一人で戦わなければならなかったはずのに、それは忘れて……ホント、どうしようもない……」
 絶望のあまり、カナカはこうべを垂れる。血にまみれた大地だけが、自分の行き場所なのだとそう思ってしまう。だが、それを、諌める声がした。
「ほら、前を向いて。まだ絶望するには早すぎるよ」
 ゆっくりと顔を上げると、緋鳥の姿があった。彼女はこの凄惨たる現状を見て、自分だけ逃げ出す事をしなかった。
「きっと助けがくるから。だから、それまで生き延びなくちゃ。ねっ?」
「助けなんて、無い。私はずっとひとりで戦ってきたんだ。これからも、ずっとずっとそう」
「来るよ!」
 緋鳥は真っ直ぐカナカの瞳を射貫いて言う。その強い意志に、ビリビリと肌がざわめくのを感じた。
「私の大好きな人が!!」
 緋鳥の背後から、敵から生まれた小兵が牙を剥いているのが見えた。緋鳥を庇うため、彼女に跳びかかって自分の身体の下に隠す。これで死んでも良いと思った。誰かを救って死ねるなら、それはとても幸福だから。
 しかしその願いは簡単に無視される。大きく強く響く声と共に。
「カナカっ! 死ぬなっ!!」
 目を開けると、カナカたちに跳びかかろうとしていた怪物の首がすっ飛んでいた。何が起こったのか理解に苦しんだが、その後目に入って来た者たちの姿に心震える。
 そこに居たのは、父親と、4人の母親の姿。先ほど怪物の首を飛ばしたのであろう真剣を持っている七切は残心のためかこちらを見ずに他の敵を警戒していた。
「すごいなそれ。鬼鍔の技は本当に首を落とせるのか」
「うん、まあ、正直私も驚いているよ。初の実戦でもちゃんとやれるもんなんだな」
 錠華と七切の会話を無視して、皇火がカナカと緋鳥に駆け寄る。彼は血塗れのカナカと返り血を浴びた緋鳥を見て、涙ぐんだ。そして力いっぱい、二人を抱きしめる。
「パ、パパ!? なんでここに……」
「いいから聞いてくれ、カナカ、緋鳥」
 真剣な表情をして、皇火は緋鳥に向き直る。
「お前を不幸にしたのも分かっている。これからの幸福を俺が邪魔するのも分かっている。だけどこれだけは言わせてくれ。今までお前に何度も救われてきた。だから一度ぐらいは、お前を助けてやりたかったんだ。ありがとうって伝えたかったんだよ。俺から離れていったとしても、幸せになって欲しいんだよ。でもひとりじゃお前を助ける事なんて出来なかった。みんながいなければ、お前にありがとうひとつも伝える事が出来なかった。カナカがいなければ、お前を生かす事も出来なかった」
今度は傷だらけのカナカを見る。彼女の心に届くように、しっかりとその目を見て話した。
「カナカ。俺、皆に話したよ。お前が俺の娘だって言う事。そして未来では、あいつらの娘として振る舞う可能性があった事。あいつらは笑わずに、真面目な顔して聞いてくれた。
お前は自分は一人だと言うが、それは違う。たとえもし……お前が緋鳥の娘として生まれたとしても、ここに居るアイツらが、お前に力を貸さないと思うか? お前を一人にすると思うか? 絆を、信じてくれ。みんなお前が生まれた事を、嬉しく思ってくれるはずだ。だから、戦ってくれ!
何もできない自分に絶望するが、今はこうしてお願いしてまわるしかないんだ! カナカ、お願いだ。こんな所で、俺たちを死なせるな! お前の魔法の力ならば、それが出来るはずだ!」
カナカは笑った。身体に溢れる痛みをしばらく忘れる事が出来た気がした。
「だから私は……魔法なんて、使ってないんだってば」
「え? ああ、そうか。そうだな、忘れてた……」
皇火と緋鳥をカナカは見る。思えば、今の今まで誰かに世界を救ってくれなんて頼まれたことは無かった。全て自分から生まれた物で賄っていた。きっとそれは間違いだ。正義の味方は、誰かに望まれて存在しなければならない。親が子を望むように。そうやって、希望は作られる。
「でも大丈夫だよパパ。私が未来から受け継いだ力は、魔法よりも強い!!」
 カナカはありったけの力を込めて、立ち上がった。


 空に浮かぶ巨大の敵が振り落す破片から、兵となる者たちは無限に産み落とされていくようであった。この状況ははっきり言って、絶望的だった。七切は持っていた刀を振るったが、正しい型で打ち込まなければ致命傷を与えられない事を実戦として教えられた。やはり訓練と本物の戦いは違うのだと理解して、倒す事から敵の注意を引く事に神経を注ぐ事にした。この場には多くの一般人、そして永音 月歌などの戦えぬ者たちが多くいる。出来るだけ彼女らを逃がしてやる事が、自分の務めなのだと理解していた。
「くっ、まずったな……」
 しかし多勢に無勢ではどうにもならず、じりじりと怪物たちに追いつめられてしまう。壁を背に威嚇するが、眼前に溢れた10体を超える怪物たちの前には為す術も無かった。
 覚悟を決めた時、目の前に空から人影が降ってくる。それが満身創痍のカナカなのだと気付いて、驚愕した。皇火が語るには、彼女は未来から来た皇火の娘なのであり、そして少し前までは七切の子としての未来も抱いていた少女なのだという。だが今ではその可能性も潰え、孤独の身で独り戦う少女となっている。
 そんな彼女が、七切を見た。それはとても優しい顔で、まるで子が親に縋り付くような、そんな健気な笑顔。
「七切さん……私は、独りでは戦えない。あなた達の力を借りなければ、何一つ出来やしない。いくら馬鹿にしてくれたって構わないけど……でも今は、守りたいの。未来を。全ての人たちの明日を。だからお願い、私に力を貸して……?
 私を助けて、ママ!」
 自分を母親と呼ぶ小さな少女に、その傷をいくつも負った憐れな魔法少女に、七切は懇願された。彼女をここまで追い詰めたのは自分の責任なのだと思い知って、七切は唇を噛む。
「皇火っ!」
 離れた場所に居た皇火に向かって叫ぶ。カナカをこのままにしておけなかった。助けてやらねばと、自分の内の衝動が激しく鼓動したのだ。
「皇火、私を、嫁にしろ。そして共にこの子を助けよう。母として、妻として、鬼鍔の技を伝え守って。それはきっと、何よりも輝かしい未来だよな?」
 七切はカナカを見て微笑む。カナカもその視線を受けて、微笑み返してやった。未来の歯車が、カチリと今噛みあった気がする。子を守るという強い意志が、未来へ続く道を照らしだす。『BRADE FORM』と、声が響く。
 カナカと七切を囲んだ怪物たちが跳びかかって来たのは一瞬の出来事だった。しかしそれより早く、彼女は動く。身体を中腰の姿勢に保ち、光の粒子と共に現れた大刀を掴み、閃光と形容して良い速度で横凪にする。多大な質量と鋭い切っ先を持つそれは容易く敵の身体を両断して、地面に骸を投げ出させた。
「それ、鬼鍔の抜刀術なのか? 少し型が違うみたいだが」
 七切があっけにとられながらカナカに話しかけると、彼女は笑いながら返した。
「未来のあなたが今日の実戦で得た教訓を元に改良を加えた型です。複数を、一太刀で絶命しうる事が出来るように。その名も、鬼鍔(おにつば)抜刀術(ばっとうじゅつ) 派生(はせい)『七(なな)切(きり)』」
 なるほど、物騒な私の名にピッタリな剣術だと、七切は笑った。

「おいっ! あれを見ろ!」
 皇火が叫ぶ。地上の残党を始末していたカナカが上を向くと、今の今までその姿を現していた敵の大玉が、再び空気の渦の中へと姿を隠していく所だった。カナカが力を取り戻したのを見て、出来るだけ近づかずに遠距離戦で勝負を決めようと思っての判断なのだろう。姑息な手段を使うと、カナカは毒づいた。
「うわっ!」
「きゃあっ!」
 そして再び暴風が吹き荒れる。この状況下では少し先に何があるのかもわからなくて、方向感覚さえ失ってしまいそうだった。敵の姿を見失った事に、カナカは舌打ちする。
「パパ! どうしよう! 敵の位置が分からない!!」
「どうにかならないのかっ!?」
「向こうから位置を教えてくれないと、こっちから探るのは無理だよ!」
 しかしそれもこの暴風の中では、とてもそれに期待できたものでは無い。すると、何か思い出したかのように、緋鳥が叫ぶ。
「鈴! 私のリボンに付いてた、鈴がある!! あれ、多分さっきアイツに飲み込まれちゃったんだ!!」
「そんな小さな音を聞き取るなんて……っ!」
「大丈夫!」
 弱音を吐いたカナカを叱り飛ばすように、月歌が大声を出す。彼女はカナカの方を見て、一度大きく頷いた。
「心を研ぎ澄ませれば、どんな音も聞き逃さない! 音は混じる事はあるけど、決して消える事は無い! だから大丈夫! あなたなら出来る!!」
「でも……」
 躊躇するカナカに、月歌は笑いかける。それは普段つんけんしている彼女が見せた事の無い、とても慈愛に満ちた微笑みだった。
「だってあなたは、私の娘なんでしょう? だから、大丈夫」
 そう言われてしまっては、もう迷う気なんて起こらない。カナカはベルトのバックルの歯車を回し、母からの贈り物を手にする。
『SOUND FORM』
 カナカは再び姿を変える。今度は白いドレスと、大きな弦楽器を持ち大地に立つ。ヘッドフォンを着け、荒れ狂う風の音に集中した。そして標となる鈴の音色を探し求める。
 敵はカナカが索敵している事に気付いたのか、それを邪魔するためにまたしても投擲物を空力を使って浮かせる。彼が次に空に浮かべたのは発着していたジャンボジェット機だった。普段恐ろしい速度で空を飛ぶソレならば、今まで力任せてにぶん投げていたものよりは真っ直ぐ飛びそうであった。
「カナカッ! あれやばい!!」
 ジェット機が恐ろしい速度で地上に突っ込んでくる。それを避けようが防御しようが、周囲に甚大な被害が出るのは明確だった。
「やらせるかっ!」
 カナカは目を開き、持ってきた巨大な弦楽器を弾き鳴らす。増幅された音が衝撃波と成り、飛んできた飛行機にぶつかる。その構成物質の分子結合をバラバラに砕いて、巨大な鉄の塊は荒れ狂う嵐の中粒子の霧へと姿を変えた。降り注ぐ微細の粒が光を反射する。まるで何かの冗談のように幻想的だと、皆が思った。
「カナカッ!」
「大丈夫パパ! アイツを見つけた!!」
 こちらを排除しようとするがあまり、敵の本体を包んでいた乱気流のヴェールが一瞬弱まった。そこから漏れ落ちる、確かに鳴る鈴の音色を彼女は聞いた。
「でもどうやって空に……」
「大丈夫。飛べるから」
 皇火の傍に居た駿姫が、そう言い切った。カナカは彼女を驚いた眼で見る。
「そうだよね。カナカ」
 駿姫はカナカに向かって拳を突き出す。カナカは一つ頷いて、自分の拳をそれにぶつけた。
「私の才能と、積み重ねた努力を、全部持っていけ!」
「はい! ママ!!」
『SKATE FORM』と鳴り響く。彼女の姿は三度変わり、カナカの姿の中で一番軽装で、そして宙を駆ける事が出来る程速い物へと生まれ変わる。
 彼女の足にある刃はプラズマの奔流を吐き出し、一気に加速した。風の影響を出来るだけ受けないように作られた身体が、暴風吹き回る屋外でもその速度を落とす事は無く疾走する。
「はああああっっ!!」
 ついさっき敵から投擲され、大地に落ちた雑居ビルの傾いた壁面をジャンプ台として、カナカは跳躍する。今までで一番の速度で突入したそれは驚異的な跳躍をもたらして、遥か上空にある雲の壁へと突き刺さる。数秒間、まるで空気の壁にぶつかったかと思ったが、すぐその向こうに嵐の中心を、平穏とさえ形容される凪の空間へと放り出された。
 そこは現実感から切り離された空間のように思えた。地面やビルの壁の一部が、謎の力で浮かんでいる。外の様に吹きすさぶ風の音はせず、静かで小鳥さえ囀りそうな太陽の光が差す。作り物の楽園だと、カナカは思った。この唾棄すべき場所を、早々に沈めてやらなければならない。
 カナカは近くの浮かぶ地面へと着地した。そして、遠くにある敵の姿を見る。そいつはゆったりと浮かび、こちらをじっと見ている気がした。彼の周囲には以前戦った奴が持っていた直方体状の物体が浮かんでいる。あれが捻じ曲げる重力の力場がバリアの役割を果たし、こちらからの遠距離攻撃が本体に届かないようになっている。言わば最後の防衛線なのだと、カナカは理解していた。

「カナカの奴……大丈夫なのか?」
 外の荒れ狂う空の中、事態を見守る事しか出来ない皇火はそう呟いた。彼の僅かな希望を打ち砕くように、隣に居た錠華が発言する。
「まあ大変だろうな。向こうはどうも防御線を張り巡らせて、長距離からの攻撃で彼女を叩こうとしているようだから。たとえ近づいたとしても、用意してあった防御線に引っかかって向こうの反撃を受ける」
「じゃあカナカはどうすれば良いんだよっ!?」
 すがるような皇火に錠華は不敵にほほ笑む。自信満々なその表情が、まるで安心しろと言わんばかりのようだった。
「敵が長大な射程距離を武器として戦うなら、それより長い射程からぶち抜いてやれば良い。現代兵器の進化の仕方と同じだよ。より遠く遠く、より強く強く。そして、細分も違わず正確に。空気と重力の流れを読み切る弾道計算ぐらい、私なら朝飯前だがね」

 敵を視認したカナカは、バックルの歯車を回す。『GUNNER FORM』と電子音声が鳴り、彼女は姿を変える。その手に持った大口径のライフルを構え、遥か先の目標を見る。
 この世界は全て複雑な計算式で成り立っている。蝶の羽ばたきが、嵐へと姿を変える。その全てが重要な構成要素で、何一つ無視できない事柄だった。そんな事、当たり前なのに、実感する事にえらく時間がかかってしまった。今ならカナカは十分理解できる。力を失ったのは、皇火が緋鳥を選んだからではない。皇火自身が、これからは独りで生きねばならぬと無様な誤解をしたからだ。独りで生きていける人間なんて居ない。カナカさえも、ここまで痛めつけられてようやく気付いた。
 カナカはライフルの引き金を2回引いた。発射された弾丸は敵の近くまで来ると、その周囲を周る衛星の重力波によって捻じ曲げられた。弾道が歪み、敵本体から離れていってしまう。それを見て、敵は確かに笑ったような気がした。
「残念だけど、計算はもう済んでいる。後は当たるという結果に向けて、突き進むだけだ!」
 敵から逸れた弾丸は、別角度に射出された2発目の弾丸とちょうどぶつかった。その衝撃で角度が修正され、再び本体へ向かって飛翔する。想定外の方向からの攻撃に反応する事が出来ず、浮かぶ衛星の中心に弾丸が命中し、直方体の肉体を穿つ。そして重力の操作を保つことが出来なくなり、遥か下方へ力なく落ちていった。
 カモのように憐れに撃ち落された敵に情けをかける事はせずに、カナカは引き金を2回ずつ引き続けた。一発目が逸らされても、ちょうど狙いすました二発目に軌道修正され衛星を落とし続ける。そして今まで安全圏に引きこもっていた敵を、丸裸にしてやった。
「グオオオオオッッ!!」
 もう小細工は通用しないのだと理解した敵は、大きな叫び声をあげて突進してくる。最後に残った武器であるその巨体を使って、小さなカナカを潰してやろうと思ったのだろう。馬鹿馬鹿しいとカナカは思った。勝利を掴むために遠距離戦を選び、冷徹に戦術を駆使していたからこそここまで追い詰める事が出来たのだ。それが全ての守りを剥がされた段階になって、泣きわめき癇癪を起した子のような攻撃で、この状況を打開できると思ったのか。
 敵は大きな手をハエ叩きの要領で使ってカナカを潰そうとした。彼女は一切回避行動を取らなかったために、そのまま攻撃を受け挟まれてしまう。
『BRADE FORM』
 その冷静な音声が、手の中のカナカの存在を知らしめる。多重の装甲を持つその姿を打ち破る力は、敵には無かった。
 カナカはBRADE FORMの大刀を振るい、内側から敵の両手を切り裂く。彼の骨では、刃を止める緩衝材にさえならない。
「私はひとりではこの地に立っていない。多くの母の力を持ってして、ようやくここへたどり着けた」
『SKATE FORM』と鳴り響く。
 カナカはSKATE FORMへと姿を変え、敵の手を伝ってその巨大な身体へと接敵した。敵は身体の表面の破片を切り離し、いくつかの兵を再び生み出す。そいつらで自分の身を守ろうとしたのだろうが、カナカの敵では無かった。SKATE FORMの足に付いたプラズマの刃で、一瞬で切り殺される。
「ひとりで戦っていたつもりになっていた私は大馬鹿ものだ。私の父も同じく愚かだった。だけどもう学んだ。人は一人で立つことは出来ない。愛を伝えることさえ満足に出来ない。だから歪だが、互いが歪であればよくかみ合う」
 懐に入ったカナカの脅威をどうにかしようと、敵は周囲に浮かんだ瓦礫を動かし、自らに衝突させようとする。カナカは全周囲から迫る物体に慌てる事はしなかった。
『SOUND FORM』
 攻撃の手段たる楽器から鳴り響く音色は物理的な力を持ち、周囲に拡散する。迫った瓦礫に音がぶつかり、衝撃で砕け散る。ゼロ距離でその音の暴力的なうねりを受けた敵の外表に、細く深いヒビが刻まれる。
「私は母からは多くの物を受け継いだ。しかし父親から受け取ったのはただひとつだけだ。それを、お前にくれてやる」
少女はそれを抱く胸を強く叩いた。その名は『絆』と。
『KIZUNA FORM』と声がして、彼女の姿は変わった。いつもの魔法少女の姿。何の武器も持たず、徒手空拳で戦う姿。何も持っていないからこそ、その両手で誰かを抱きしめる事が出来る姿。全身全霊の自分だけの力をぶつける事の出来る姿。それゆえに強いのだ。それを、複数の武器を抱えたお前が理解できるわけが無い。
「はああああああっっっ!!!」
 右手を思いっきり握りこみ、軋む筋肉全てを張り詰めて拳を引く。正しい突きは、全ての体重を相手に押し付けるようにしなければならない。全部の筋肉を爆発させなければならない。骨を固めてぶつけるように。そして何より、心を拳に込めるのだ。
「やあああああっっっ!!!」
 カナカの拳は敵に食い込む。その衝撃が敵を砕く。全身に伝わった波紋が彼の巨体を寸断し、バラバラに千切れ弾ける。それは多くの者を傷つけた敵の、死だった。
空に浮かぶのに使っていたらしい圧縮された空気が敵の肉体から噴出した。その圧力に吹き上げられ、カナカは宙を舞った。遥か上方へと飛ばされる。
地と空が目まぐるしく混ざる視界の中、何故自分は力を失ったのだろうかと考えた。それはおそらく、皇火が緋鳥との別れをきっかけにひとりで生きようとしたからだ。もう誰にも頼れないから、頼ることなく存在しようと心に決めた。それが、逆に縁を弱くしてしまった。
 ならば逆に、何故自分は力を取り戻したのだろうか。いくつか考えは浮かんだが、一番納得できるのは緋鳥とそして自分を助けるという目的のために、母たちが集ったという事だった。もしかしたら緋鳥が、彼らの関係をつなぎとめる鍵だったのかもしれない。彼を好きだと気付かせるための、未来の指針だったのかもしれない。そうだとするならば。彼女たちは緋鳥と一緒にいる皇火の姿を見て、自分の未来はああなれば良いなと思っていたことになる。身近な未来予想図に、自分を重ねていた事になる。笑える事に彼女たちは緋鳥という指針がなければ自分たちの恋の想いの行きつく先を想像することさえ難しかったのだ。未来は誰にだって恐ろしいものだから。自分の恋心の行き先を、彼女たちは恐れた。
「あれは……」
 カナカの傍を何かが横切る。きりもみする身体を制御してやり、空中で姿勢を維持すると、それが何か分かった。敵に飲み込まれていた、緋鳥のリボンだ。
 カナカは手を伸ばし、それを掴んだ。これでようやく、失われた物全てを取り返せた気がする。
自由落下する自分の身体の速度が増していくのが分かった。地面の方を見ると小さな粒として人の姿が見えた。どれだけ遠くからでもその姿は分かる。父たる皇火だ。その傍に、緋鳥の姿があった。
 未来を示す指針が彼女だと言うのか。恋する乙女として。幸せを願う一人の女として。子を支える母親として。私たちが目指す場所。
皇火は手を広げていた。急速度で落ちてくる娘を受け止める気らしい。衝突速度的にぶつかれば死んでしまうという事にさえ、考えが至らないのだろうか。
 カナカは背面に装備していた緊急用のブースターを5秒吹かせて、急減速する。勢いが殺される代わりに衝撃で骨と筋肉が軋む音がする。皇火の少し上で、ほとんど勢いを無くしてふわりと彼の腕の中に舞い落ちる。抱き留められ、彼の温かさを全身で感じる。父親という物。自分を守ってくれる血のつながり。
 皇火の隣に居た緋鳥は優しげにこちらを見ていた。カナカも彼女に導かれた。認めざるおえない。彼女がいなければここに居る母親候補たち誰ひとりも、皇火に恋する事無く終わっていたのだ。
「よう、生きてるか?」
 皇火はカナカの無事を確認して、安心したようにそう口にした。カナカは彼の温もりに疲労しきった身体をすべて預ける事にする。今は眠たくて眠たくて仕方ない。気を緩めれば、意識を手放してしまいそうだった。
「パパ、もしかしたら二度と目を覚まさないかもしれないから言っておくけど……私、この時代に来て良かったよ。自分が愛されているって、実感のある生き方が出来るのは、きっと恵まれている事なんだ……」
「ああ、そうかもしれないな。分かってるよ。だけど、死ぬなんて間違っても言うなっ……」
 皇火はカナカを抱く手にぎゅっと力を込める。その強さに安心したように、カナカは目を閉じた。


***
 目次へ