4月9日 日曜日 「リーファちゃんの怖いもの」

 「エスカレーターって怖いですよね千夏お姉さま」

 「今日もしょなっぱらから飛ばしますねえリーファちゃん」

 「エスカレーターに乗るときって、いつも言いしれぬ不安に支配されてたりします。
  なんだか、失敗しそうで怖くて。長年乗ってるはずなのに」

 「まあ確かにその気持ちは分からないでもないですけど」

 「降りる時とかも、降り遅れて足を巻き込まれるんじゃないかと思ってガクガクブルブルですよね」

 「それはさすがに怖がりすぎだと思う」

 「でもそういう恐怖にひとつひとつ打ち勝って行くことが、きっと生きるということなのでしょうね」

 「よく分からない名言っぽいセリフを吐くな」



 「あとエレベーターも怖いですよね」

 「リーファちゃん、そんなんじゃあとてもデパートに遊びに行くことなんて出来なさそうですね」

 「ほら、エレベーターが動く時、変な圧力が身体にかかるじゃないですか」

 「慣性ね」

 「あれを感じると、ああ、私って今追い詰められてるんだなぁと思っちゃいます」

 「単に閉所恐怖症なだけでは?」

 「あと、実際は動いてないのに、エレベーターがそういう風に人間を騙したりなんかしようと思ってるんじゃないかと勘ぐったりしちゃいます」

 「少しだけ気を病んでるように思えますよリーファちゃん」

 「でもそれらに打ち勝ってこの国で生きていくのが愛国心というものなのですよね」

 「違いますね」

 間違いなく。




 「そう言えば私、歩道橋も怖いんですけど…………」

 「リーファちゃん、怖いものがそんなにあるのによく暗殺者なんてやってられるね」

 そりゃあダメアサシンにもなるわ。



 4月10日 月曜日 「オリンピックへ向けて」

 「お嬢さん! 良い脚してるねっ!!」

 「……」

 学校からの帰り道、見知らぬおっさんにそんな事を言われても、全然嬉しく無いです。
 むしろ自分の価値を汚されたように感じるのは何故でしょうね?
 とりあえず、こういう輩は無視するに限ります。


 「……」

 「どう? おじさんと一緒にオリンピック目指さない?
  君なら金メダルも夢じゃないよ!!」

 ……なんだか新しい感じの誘い文句ですね。
 陸上のスカウトのフリをして女の子をついて来させようとしているのですか。
 なんとあざとい。そして狡猾。


 「ねえどうだい? 一緒にアテネを目指そうよ」

 「アテネはいくらなんでも近すぎるでしょうが。
  ……じゃなくて、そういうの興味ありませんので」

 「ウソだね! 興味が無いだなんてウソに決まってる!!」

 「本人の口から出た言葉を完全否定してくれるとはいい度胸じゃないですか。
  その自信はいったいどこから来てるんですか」

 「だって君、さっきまで全力ダッシュしてたじゃないか。
  おじさんはずっとそれを見ていたのだよ」

 「あれは学校で毎日行われているイジメから逃げるためのものなのですよ!!
  誰も好き好んで全力ダッシュしてません!!」

 「イジメられっ子がオリンピック選手に……。
  マスコミの掴みとしてはまずまずだな」

 「人の話聞きなさいよ。勝手に知名度アップの計略立てるのやめなさいよ」

 「よし! じゃあ今からさっそくトレーニング開始だ!!」

 「だからやらないってば!!」

 「金メダルだぞ!? オリンピックに出れば金メダルを貰えるのに、それでも出ないというのか!?」

 「金メダルは別に参加賞じゃないっての! そんな言うほど簡単には貰えませんよ!!」

 「しかし出場しなければ金メダルを取れる可能性は皆無だ」

 そりゃそうでしょ。
 オリンピックに出てないのにも関わらず、金メダルが貰えたりなんかしたらびっくりするよ。
 というかそれは金メダルの意味が無いよ。



 「とにかくですね、私はオリンピック選手になるつもりなんてないんです。そこんところきちんと分かってください」

 「しかし今がチャンスなんだ!!
  今なら、絶対にメダルが取れる!!」

 「私は普通……よりちょっと機械質な女の子ですよ!? そんな人間に金メダルなんて無理だ!!」

 「だって、君がでる競技は『メムコラビッチ体操』だからぁ!!」

 「めむ……なんですって?」

 「メムコラビッチ体操。今の所、参加者がゼロな競技なんだ」

 「なるほど。それなら確かに出場しただけでメダルが取れそうですね。……ってバカ」

 というかそんな競技があった事に驚きですよ。
 なにすれば良いの? やっぱり体操するの?


 4月11日 火曜日 「1億円の使い道」

 「千夏さん! ついに勝負の時ですよ!!」

 「……なにがですか女神さん?」

 「勝負ですよ! 人生を賭けるべき瞬間が来たのです!!
  人生という名のパチンコに挑む時が!!」

 「ギャンブルって意味で言ってるのかもしれませんが、思いっきり誰かに確率を操作されてる的な喩えになっちゃってるじゃないですか。
  それってどうなのよ」

 「そんな細かい事はどうでも良いんですよ!!
  今こそ、あの1億円を使って事業を立ち上げるべきなのです!!」

 「あの1億円って女神さんがどっかのヤクザからパクってきた奴ですか!?
  イヤだよ! 使っちゃったら返せって言われた時に困るじゃん!!」

 「それならなんで千夏さんは自分からあのお金を返そうとしないのですか?
  やっぱり、あれだけの大金を返すのが惜しくなったのでしょう?」

 「ちっ、違いますよ! そんな訳無いじゃないですか!!
  私があの人たちにお金を返さないのは、彼らが正面きって接触してこないからです!!
  堂々とウチの敷居を跨げば、そりゃあ私だって適切な応対しますよ! でも、彼らにはそれがないんだもの!!」

 「きっと堂々と返してくれと言えるようなお金じゃないんですよ。きっと」

 「あんたはそんなものをあの人たちから奪ってきたのですか……」

 なんて事してくれたんだよあんたは。
 そんなヤバイ金なら、あの人たち、絶対に諦めないじゃないですか。




 「で……その女神さんの言う事業ってなに?」

 「これです! これを売るのです!!」

 「これって……パン? 菓子パン?」

 女神さんが私に見せてきたのはひとつのパンです。
 何の変哲も無いパンのような気がするのは気のせいですか?
 1億円を投じてパン屋を開くのは何か違うでしょうに。

 「これは女神パンです!!」

 「…………なんですって?」

 「女神パンって言うんですコレ!!」

 「なんだ。本当に女神パンだったのか。聞き間違いである事を祈っていたのに」

 「これを大々的に売り出してですね、大儲けするのですよ!!」

 「儲けられないよ。絶対に」

 「なんでそう断言しちゃうんですか!?」

 「名前が。主に名前が」

 誰が買うんですか。そんな珍名なパン。



 「っていうかそれ、何処をどう考えたら売れると思っていたのですか?」

 「このパン。健康に良いんです」

 「ああ、そういうあこぎな売り方するわけね……」

 「ついでに魂にも良いパンなのです」

 「おおっ! そこはなんだか神様のパンっぽい!!」

 けど売れないでしょ。あまりにも怪しすぎて。





 「ちなみに何味?」

 「ササミ味です」

 「地味かつ美味そうじゃないですね」

 女神さんのそのプレゼン、誠心誠意を持って却下させていただきます。
 出直して来い。







 4月12日 水曜日 「突入してきた人」

 『ドッガラガッシャァアン!!!!』

 「うわぁ!? 私がゆったりとお風呂に入っていたら、見ず知らずの男の人が乱入してきた!?
  しかも壁をぶち壊して!?」

 あまりに突拍子の無い登場の仕方に、私の乙女回路はパニックですよ。
 運命的すぎる出会いだとか、そんな好意的表現は出来そうにありません。



 「うぅ……ここは?」

 「げ、生きてた!
  ちょっとあなた! いったい何用ですか!?
  人の家の壁をぶち壊して!! しかもお風呂場の壁!!」

 「はっ……お前、まさか千夏か!?」

 「そ、そうですけど……なんであなたが私の名前を……」

 「その命(タマ)もらったあ!!」

 「きゃああああ!?」

 風呂場に突っ込んで来た男の人は、今度は私の方に突っ込んできました。ドスを片手に。
 ってこいつヤクザの鉄砲玉だ!!


 「うりゃ」

 「ぎゃー!!」

 「ウサギさん!!」

 間一髪の所で現れたウサギさんが、その鉄砲玉を捻って沈黙させてくれました。多分、風呂場の壁が壊れた時の音を聞いて駆けつけてくれたのでしょう。
 なんにしても助かりました。



 「大丈夫か千夏?」

 「え、ええまあ……私には怪我は無いです。
  でもその人……」

 「今までちょっとした嫌がらせ程度だったから放っておいたんだが……まさかここまでしてくるとはな」

 「くそう……最近の鉄砲玉って本当に突っ込んでくるんですね。スッゴく怖いです」

 「最近もなにもこんな鉄砲玉は普通居ないと思うけどな」

 「そうですね。これじゃあ鉄砲玉というよりは人間大砲と言った方が適切ですよね」

 「そういう意味でもなくて」

 「ううう……くそ。仕留められなかったか……」

 私を殺そうとした鉄砲玉が目を覚ましてしまいました。
 ウサギさんの攻撃をまともに食らってまだ意識があることは素直にすごいと思います。



 「組長……すまねえ。俺には務め、果たせなかった……」

 「組長? あなたたちの組長が私を殺すように命令したのですか!?」

 これってつまり、相手方が本気を出してきたという事なのでしょうか?
 嫌ですよ私。アメリカに続いてヤクザとなんか戦争するの。


 「あなたたちの組長はいったいどこに居るんですか!? 場所を教えなさい場所を!!
  私が直接話し合いに行きますから!!」

 「組長がお前たちの話を聞くわけが無いだろう……。
  あの人は最強の組長なんだぞ?」

 「最強の組長……何故だろう? あまりそそるネーミングでは無いのは」

 「あの人は誰よりも強く、誰よりも大きい器を持っている人なのだ……」

 「へえ。そんなたいそうな人なんですか。ぜひ会ってみたいですね」

 「春歌組長……使命を果たせなかった私を、お許しください……ガクッ」

 「ってええー!? 今なんだかすごく馴染みのある名前言わなかったー!?」

 衝撃的再会のフラグが立ちまくった気がするのは気のせいでしょうか?



 4月13日 木曜日 「開戦宣言」


 「女神さんが一億円を奪ったヤクザさんたちと、戦争する事になりました」

 「「「なんですってー!!??」」」

 夕食時の食卓で、先ほどの開戦宣言してみたら、みなさん良いリアクションを取ってくれました。
 さすがですねみなさん。特に雪女さんなんて夕食のクリームシチューで溺れそうになっちゃって。
 もう♪ 大げさなんだから☆


 「ど、どどどど、どうしてですか千夏さん!?」

 スッゴく動揺してますね雪女さん。

 「今日はそういう気の流れを感じたから」

 「そんなの理由にならないでしょ!
  どこのインチキ占い師ですか!!」

 「じゃあ今朝の目覚ましテレビの星座占いのラッキー戦争が、ヤクザとの抗争だったからです」

 「そんな殺伐とした占いあるわけ無いでしょ!
  よしんばあったとしても、占いなんかで実行しようと思うもんじゃない!!」

 よしんばって……。

 「とにかくですねっ、私たちはあのヤクザどもを蹴散らさなければならないのです!!」

 「だから、どうしてそんなに戦いたがるんですか!!」

 「それはあっちの組長がおかあさ……げふんげふんっ!! 私たち自身の身を守るために決まってるでしょうが!
  自分たちの身を守るためならば、大量破壊兵器を保有してなかった国に攻めいってもお咎め無しなのが国際社会なのです!!」

 「それは違うでしょ千夏さん!!」

 「と、最近マスコミもその視聴者もぶっちゃけ大統領すら飽きてきている対テロ戦争はどうでも良いとして、問題は私たちの戦争なのです。
  対岸の火事より隣の家の相続争いなのです」

 「その例えはどうかと思いますけど」

 もう本当にうるさいなぁ。黙って私の言うとおりにしていれば良いんですよ。





 「よし! じゃあ今からさっそく侵攻作戦を練りましょう!!こういうのってスピードが大切だから!!」

 「侵攻作戦って……本当に戦争するつもりなんですね」

 「冗談でこんな事言いませんよ」

 「冗談で無いのが余計にたちが悪いんですよ」

 そういう言い方も出来ますね。

 「じゃあまず、明日は雪女さんが突入係ね」

 「なんですかその珍妙な係り名は。初めて聞いたのですが?」

 「つまり要約しますとですね、雪女さんが明日ヤクザさんの自宅に特攻していただくのです」

 「誰がそんな事するかー!!」

 「じゃあリーファちゃんが代わりにどうぞ」

 「やりませんって私も!!」

 じゃあやっぱり女神さんに……。





 4月15日 金曜日 「加奈ちゃんの質問」

 「ねえママ〜。せんそうって何するの〜?」

 「ま、まあ! 加奈ちゃんったらどこでそんな乱暴な言葉を!」

 「千夏から覚えたんだと思うよ」

 近くに居たウサギさんにそう言われてしまいました。
 確かに、昨日食卓でめちゃんこ使ってましたね。


 「ねーねー。せんそうってなにするの〜?」

 「えーっとですねえ……せんそうってのは、新しい理論で作られた繊維質で、その強度はセロリの茎に匹敵するとかしないとか……」

 「その誤魔化し方はどうなんだ」

 仕方ないじゃないかウサギさん。
 今の加奈ちゃんは、戦争という世界の汚物を直視させるには早すぎると思うのです。




 「そのせんそうって怖いものなのー?
  めがみちゃん、スッゴく震えてたよー?」

 「まあ大抵の人は怖がるかもしれませんね。それこそ神も怖がるくらい」

 「じゃあなんでそんなことしようとするの〜?」

 「……ほんと、なんででしょうね」

 別に他人を殺さなきゃ生きていられない訳じゃあるまいし、戦争なんて面倒なもの、とっとと放り投げてしまえば良いのに。
 まあそれができないのが人間なんでしょうし、頭の良いガン細胞と呼ばれるゆえんなのでしょう。
 さっさと滅んでしまえ人類。


 「ママー?」

 「はっ! ついつい戦争の事について考えていたら暗黒的思考にはまってましたよ!
  これじゃあ世の中を斜めから見てる中高生と同じじゃないですか!!」

 まだ小学生なんだから、人生において一番恥ずかしい時期を先取りする必要はありません。
 小学生は小学生らしく、馬鹿っぽく生きるに限ります。

 「ねーねー。なんでせんそうするのー?」

 「ファイナルファンタジーシリーズは発売されるたびにこれはFFじゃないって言われるからですよ」

 「人類のもっとも深い業の原因がそれなのか」

 馬鹿っぽく答えてみたんですよウサギさん。




 「……でもね加奈ちゃん。これだけは忘れて欲しくないのだけど、戦争ってのは絶対にダメな事なんだよ?
  戦争だけじゃなくて、戦争が起こりえない状況だって、同じくらいダメな事なんだよ?
  だから私たちは、一生懸命頑張って平和に生きようとしているの」

 「う〜ん……分からないけどわかったー」

 まあ、ちょっとぐらいは親っぽい説教も混ぜないとね。



 「でもママはせんそうするんでしょー?」

 「うっ」

 い、痛いところを突かれてしまった……。




 4月15日 土曜日 「作戦会議」


 「とりあえず今日は第一次侵攻について話し合いましょうか」

 今日もまた夕食時の食卓で戦争についての話し合いをし始めました。
 この場に居た家族は全員嫌そうな顔をしていました。
 ……まあ気持ちは分からないでも無いけど。

 「千夏お姉さま、本気でヤクザ相手に戦争するつもりなんですね……」

 「まあねリーファちゃん。私だってやる時はやる奴なんだとおかあさ……ヤクザたちに見せつけてやらないと。
  このままじゃずっと舐められたままですよ? あいつらきっと、臆病者の一般家庭めって思ってるんですよ!」

 「誰もうちらの事見て一般家庭だなんて言わないと思うんですけど?」

 「喩えですよ喩え。本当は珍人動物園と呼ばれていたとしても、関係ない事なのです」

 「え!? 私たち、そんな風に呼ばれてるの!?」

 だから、あくまでも喩えなんですってば。
 私の予想では、そういう風に呼ばれた方がマシなぐらいいろいろ言われてると思うけど。




 「しゃあさっさと侵攻作戦の打ち合わせをしましょう。
  この作戦はなんといってもリーファちゃんが主役です!
  麻婆豆腐でいうなら豆腐です!」

 「あまり嬉しくない喩えですね……。
  それで、私は具体的に何をすれば良いんですか?」

 「ヤクザさんたちのお屋敷の前で、死にます」

 「死ぬ!? 私死ぬんですか!?」

 「ええ。この侵攻作戦台本によれば」

 「どんなデスノートですかそれは」

 「まあ本当に死ぬわけじゃないんだけどね。いわば仮死状態? そんな感じになってもらいます」

 「私、自分の意思で仮死状態になれるほど中国の奇人の如き技能を持っていないんですけど?」

 「そこは根性でカバーしてください」

 「すごいですね根性って。そんな事も可能にするんだ」

 「そして死にかけているリーファちゃんを見つけたヤクザの一人が、警察に見つかってはまずいとリーファの仮死体を屋敷の中に隠します」

 「なんでですか……」

 「心のどこかにやましい思いがあるからですよ。それを抱えて生きている罪悪感から、警察とは関わり合いになりたくないと思うのです」

 「それで屋敷の中に入ったらどうするんですか?」

 「仮死状態から復活したリーファちゃんが切った張ったの大活躍。ヤクザの構成員の8割を片付けて、後続の部隊である私たちが入れるように屋敷の門を開けます」

 「えーっ!? それってほとんど私だけで片づいてるじゃないですか!!
  そんなに期待されても困る!!」

 「え……? もしかして無理なんですか?」

 「無理に決まってます! いくらなんでも多勢に無勢ですよ!!」

 「じゃあやっぱり第二案しかないのかな……」

 「第二案? 一応代替案を用意していたんですか?」

 「ええ。リーファちゃんが爆弾を抱えてヤクザさんたちに突っ込んでいくという作戦なんですけど……」

 「こんな鬼将軍見たことねー!!!!」

 褒め言葉だと受け取っておきますよ。









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