「ブラだけは、勘弁してください」
 ぷろでゅーすばい美弥子、丘野優里女の子化計画は、そんな優里の土下座で始まった。
 何はともあれ、12月の芹葉家は平和そうだった。


***

 幕間 芹葉家における地獄の四ヶ月

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 衣服というのは、ただ風雨から身を守り、そして暖を取るだけの毛皮ではない。
 自己というものを表現するのに適しているそれは、時には自分の顔よりも自己証明と自己確立の用途として使われる。
 つまり人間は自分を表現しうる服装をするべきであって、自己を表現しきれない、いわゆる似合わない服は着るべきで無い。ボクは、そんなことを考えていた。
 でもその考えが正しいものならば、今こうして女物の服を着て、そしてそれが妙に似合っている自分は何なのだろう? これが自分の本質を表しているということなのだろうか? とりあえず、素直に凹むことにした。
「優里くんっ! とても似合ってるわよ!!」
「美弥子ネェ……」
 隣にいる美弥子ネェの、ベクトルの間違っている励ましに泣きそうになる。
 そりゃあ一度は決心したよ。でも、いきなりこんな服はないじゃあないか。
 フリフリで機能的じゃなくて、妙にピンク色が多くて、絶対に街中で着て歩くことが出来そうに無い服なんて、着せなくてもいいじゃあないか。
 無言の抗議の視線を美弥子ネェに送るが、当の彼女は満足しているらしく、ニコニコと微笑を返すだけだった。
「美弥子ネェ、こういう服なんて、誰も着ないと思うんだけど。これじゃあ、女の子の中に馴染むとか、そういう事が出来ない気がするんだけど」
 多分、これは正論だと思う。
「まあ、こういう服は私の趣味だし」
「美弥子ネェ!!」
 あっさりと自分の欲望を言い放った美弥子ネェを睨みつける。
 あまりの恥ずかしさのために涙が浮かんでいたらしく、美弥子ネェの顔がぼやけていた。
「優里くん」
 突然真剣な顔つきになる美弥子ネェ。その表情を見てハッとする。
 元はと言えばこれは自分のためなんじゃないか。
 それなのに、本当のところは全然関係の無い美弥子ネェが協力してくれているんだ。感謝することはあっても非難の目を向けることなどあってはならないはずなのに。
「み、美弥子ネェ……」
 美弥子ネェに謝らなければ、そう思ったんだけど。次に口にした美弥子ネェの発言で、謝罪の言葉を出す機会を逃してしまった。
「そんな格好で……しかも涙までしちゃってると……『喰う』わよ」
 すごく真剣な表情で、口から出た言葉がこれ。
 ちなみにここで言う『喰う』というのが「食物を摂取する」という意味でないのは誰が見ても明白だった。
「お母さんごめんなさい……」
 あなたがお腹を痛めて生んだ息子は、男としてのプライドと同時に、貞操すらも無くしかねないです。
 目の前の絶望をしっかりと受け止めたボクは、目を瞑って亡き母に祈りをささげた。

 

 

***


「じゃ〜ん!! どう、大吾さん? すっごく似合ってるでしょ?」
 朝食の片づけを済ませ、次は家族三人分の洗濯を済まそうとした私に、そんな声がかけられる。
 声の主は家事手伝いという肩書きを持ちながら、日々何もせずに時間を過ごしている美弥子だった。
 彼女にはたまに厳しく言ってるのだが、生活スタイルを改める気はないらしい。本当に、困ったものである。
 そして、その彼女が紹介してきたのは、見たこともない女物の服を着た優里だった。
 あまりにも恥ずかしいらしく、顔を紅くして俯いている。その容姿はどこから見ても少女のそれだった。

 優華に……優里の母親に、似ていると感じた。


 殆ど勘当のような形で優華と別れた。喧嘩の理由なんて、もうすでに忘れてしまった。
 優里が生まれたことさえ知らず、ただこの町で妻と生活していた。
 それを間違ったことだと思いもせずに、ただ生き続けていた。
 今は、酷くそれを後悔している。変な意地など張らず、優華に会いに行けば良かった。セカンド・コンタクトで永遠に会えなくなる前に、会いに行けば良かったのに。
 目の前の優里を見る。少女の姿をし、私の娘に似ている彼に、跪いて懺悔したくなる。
 優華は、私の事をどう思って死んでいったのだろうか?
 理解の無い父親だと、そう思って最期の時を迎えたのだろうか? それは、あまりにも悲しい気がした。

 優里の存在を知ったのはセカンド・コンタクトから3年後のことだった。
 それまで娘が子どもを産んでいたことも、セカンド・コンタクトで犠牲になったことすら知らなかった。なんていう父親だろうか。娘の死を3年も気付かず、自分は今まで通りの生活を続けていたのだ。そんな自分がただひたすら悔しい。
 初めて優里と会った時は、愕然とした。
 子どもでありながら、無邪気さなど感じなかった。どこか疲弊して、曇った瞳で私を見ていた。
 感情という色、それら全てが色あせてしまったように、何の表情も映し出さないその顔に、恐怖したのだった。
 元からそういう子どもだったということは無いだろう。セカンド・コンタクトか、はたまた施設での3年間のせいなのか分からなかったが、多分自分の責任なのだと思った。
 もっと早くに優里の存在に気付いてやれば、こうなることは無かったのだろうか? その答えは私には出せそうに無かったが、絶対にこの子は幸せにしなければと、私はそう思った。
 優華にとっていい父親にはなれなかった。それならばせめて、優里にとっていい祖父になりたかった。
 それが、罪滅ぼしのような気がした。

「お、おじいちゃん……?」
 恐る恐る優里が声をかける。どうやら私が何も言わなかったことに、不安を感じてしまったらしい。
 意識を他へと飛ばしてしまったことに懺悔しながら、優里に率直な感想を伝えてやることにする。
「ああ……似合っているぞ優里」
 私のその言葉に、優里は頬を引きつらせた。
 少し、彼に対してはいい返答では無かったのかもしれない。

 

***


「う〜ん、優里くん可愛い!! ホントに食べちゃいたい!!」
 大げさなリアクションをしながら、目の前にいた優里くんに抱きつく。
 男の子でありながらどこか柔らかい優里くんの身体を堪能しながら、頬擦りした。
「美弥子ネェ、マジでやめて」
 子どもの頃から同じようなことをしてるので、優里くんも慣れてしまったらしい。うざったく、私を引き剥がそうとする。
 でもそんなことでは、このお姉さんの愛は止められないのです。

「さ〜て、今度はどんな服着たい? 水着とかどう?」
「はぁ!? 水着って、何言ってるのさ!!」
「夏とかになったら、着るかも……」
「着ません。絶対に着ません」
 それは、とても残念だ。
「もう今日はいいでしょ? 服、着替えていい?」
「何を言ってるのよ優里くん。女の子として生きるんだから、それに慣れないと。一日中つけてないと意味ないでしょ?」
「そんなぁ……」
 優里くんは男の子だ。だから、女の子の服を着たくない。それは当たり前のこと。でもこれからは全てを偽り続けなければならない。
 いつか、その偽りの日々は終わるかもしれない。でもそれは希望的観測でしかなく、今の優里くんの未来には先の見えない闇が広がっているだけだ。
 それはどれだけ辛いのだろう。先が見えない不安。それは今の時代では全人類が抱えているものだったが、辛さはやはり人それぞれだった。

 もう一度、優里くんに抱きつく。今度はお茶らけた雰囲気は出さなかった。純粋に彼の将来を心配しての行動だった。
 そのことを優里くんも感じ取ったのか、私の手を振り解くことは無かった。
「優里くん。優里くんはどうあっても優里くんのままだから」
 心からの想いをその言葉に込める。この世界で一番辛いことは、自分に嘘を吐くことだ。私は、それを知っていた。
 自分の全てを他人にさらけ出すことは辛いことだが、隠し通すことはもっと辛かった。
 優里くんも、きっとこの先経験する。
「分かってるよ。そんなこと」
 ぶっきらぼうに、でも少し恥ずかしがって腕の中の優里くんが言う。
 ああ、神様。どうかせめてこの子だけは、私が経験した想いはしませんように。
 愛する人と、そして自分自身に嘘を吐いて、傷ついたりしませんように。
 そう願って、力強く優里くんを抱きしめた。

 

「和服とかどうよ? 優里くん」
「美弥子ネェ、もうちょっと、実用的な物にして」
 それは、とても残念だ。


 



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