人類が遙か昔から夢を馳せた場所―――宇宙。
 地球という場所では決して見ることの出来ない美がそこにあり、そして生きている者の存在を決して許さない過酷な空間がある。
 美しさと死。人間が惹かれてやまない性質を持つこの場所に、いくつもの光の玉が現れては消えている。
 その光の玉は自然という名の奇跡が作りだした芸術ではなく、人の生み出した兵器の罪深き輝きであったが。

 その光の球の中から人のシルエットが姿を現す。
 確かにそれは人の姿をしていたが、尺度が違った。
 全長30メートル。
 金属質のボディが爆発の光を受けて輝く。
 それは人が駆る鋼の巨人。ロボットと呼ばれる存在だった。


 西暦2051年。
 宇宙にまで生きる場所を広げた人間は、人類という種の誕生から初めて
 ―――『人以外のもの』と戦争をしていた。


***


 地球の衛星軌道上にある一つの巨大宇宙ステーション。その中にある一室でけたたましくエマージェンシーコールが鳴り響く。そこで一人の女性が目の前の巨大なモニターを見つめていた。軍服と呼べるものを着込んでいることから軍人、そして勲章の数からかなり権力を持っている者であることが伺える。周囲に広がる作戦司令室の様な風景と共に、ここが軍事施設であることを示していた。
 沈黙を守ったままの彼女の横では彼女の部下と思われる者たちが大慌てでキーボードを叩いている。そんな彼らを横目で見て、女性はポツリと呟く。
「……状況は?」
「え!? あ、はい!!」
 彼女の突然の一言に、横にいた部下が慌てながら報告し始める。
 「えっと……ただいま目標F−843は火星軌道防衛線を標準時刻4:43に突破後……速度を落とさず月軌道防衛線に接触……その後5:32に防衛線を突破……」
「地球に落ちていった……そういうわけだな?」
「は、はい。その通りです。ただいま目標F−843は大気圏突入をはかっているらしく……」
(地球に下ろしてしまうとは……ファースト・コンタクト以来か……)
 指揮官であるらしい彼女は悔しそうに呟く。顔色が悪いのは、これから起こるであろう惨劇を予測しての事なのだろう。
「地球への降下ポイントは?」
「えっと……アジア方面に落ちる可能性が最も高いです」
「地球への情報伝達は?」
「はい、すでに連絡ずみです。UN軍が迎撃体制を取れるには時間がかかるらしいですが……」
「そうか……ご苦労だった。これで私たちができることは全て無くなったな」
「……はい」
(これで終わりにはならないでくれ……)
 現在の状況が映し出されるモニターを見ながらゆっくりと椅子に座る。人類の滅亡か存続か……それがどちらに転んだとしても彼女にはここで見ていることしかできないのだ。それはあまりにも辛すぎる現実だ。
 周りの部下たちも不安の表情を浮かべている。中には目を閉じて祈っている者さえいた。その者をどこか笑いながらも彼女も目を閉じた。彼女の場合、神に祈るわけではなく……ただ自分の故郷の最期を見たくないためであったが。

「レイラ中佐!!」
 突如彼女の名前を部下が呼んだ。
「どうした?」
 それが不幸の報告でないことを内心祈りつつ、努めて冷静に目を開ける。
「目標を……敵を追って大気圏へ突入をはかる友軍を確認!!」
「なに!? 一体誰だ!!」
「識別信号を照合中……!! サユリさんです!! 『白銀の女神』の!!」
 その一言で作戦司令部の空気が変わる。
「『白銀の女神』って……あのエースパイロットの!?」
「嘘……だって彼女は木星軌道防衛線の所属でしょ? ここまで追ってきたっていうの?」
 今まで沈黙していた部下たちがいっせいにざわめきだした。レイラと呼ばれた指揮官はそれでもなお冷静に部下に指示を飛ばす。
「すぐにサユリと通信を繋げろ」
「はい!!」
 冷静であろうとはした。しかしどこか湧き上がる感情は抑えられない。この状況を変えることが一人のパイロットにできるとは普通ならば考えられない。だがレイラはサユリという人間を知っていた。彼女が希望を持つことができる人物であることを。

「やっほ〜。レイラちゃん元気?」
 あまりにもこの場に合わない声が響く。
「この馬鹿が……」
 そう呟いたレイラの顔には先ほどまでの絶望は浮かんでいなかった。


 ***


 西暦2028年。
 人が宇宙に進出しだして間もない頃。人間は人以外の生命体と遭遇した。
 太陽系外の遥かむこうから来た生命体は―――人類に有益なものではなかった。

 地球圏に侵入した生命体、物語にでてくる『竜』のような姿をしたそれは、各都市を焼き尽くし、人類を滅亡へ追いやろうとした。
 人はそれを食い止めるために団結し、そして『竜』と戦った。
 『竜』との第一戦……ファースト・コンタクトは一応人類の勝利で終わる。ただ熱核弾頭を数発使い、広大な大地を焦土に変えて生き延びたことはほとんど敗北に近かったが。

 初めて会った太陽系の外から来た生命体が有益な存在でないことを知った人類は、二度とこのような悲劇を繰り返さないためにある一つの軍を作った。
 『どこの国にも属さず、自らで作戦を指揮』
 『地球圏へ到達する前に敵を殲滅する』
 このコンセプトを元に作られた軍……それが『ガーディアン・ゴッデス』
 通称『G・G』であった。


 ***


 地獄。まさにそう呼ぶに相応しい風景。母親だったもの……それが目の前で散乱していた。それを見ている10歳にも満たぬ少年は泣くこともなく、ただその場で座る事しか出来ない。

 丘野 優里(おかの ゆうり)。公立の小学校に通う7歳の少年だった。いつもの通り学校に行き、友達と遊び、家に帰り、そして帰宅の遅い共働きの両親を待つことなく眠りにつく。それが彼の日常。なんら変わらない日々。当たり前すぎて知覚できない幸せ。
 だがそれは突如崩された。絶望的に、壊された。

 きっかけは眠っていた彼を襲った爆発音、そして地を揺るがす振動。強制的に夢から現実世界へと戻された優里少年が見たものは瓦礫の山だった。
「なに……これ?」
 寝起きだった事もあり、目を擦りながら身体を起こす。暗闇のため数寸先の風景が見えなかった。そのためか目の前の瓦礫を、元は部屋を構築していた壁であったものだと気づくのにはかなりの時間を要した。
 幸いにも崩れた壁は彼に直撃することなく、横に逸れて落ちており一命を取り留めていた。生き延びた事が幸せだったのか、それとも絶望的な孤独を感じることになる不幸だったのか、当時の彼には分かりえなかった。
「……そうだっ! お母さん!?」
 優里は立ち上がり、もうすでに帰宅しているであろう両親の元へと向かう。それは不安がる子が母を求める自然な行為であった。
 衝撃によって崩れ、今まで見たことのなかった家の軒下が剥き出しな廊下を渡り両親の部屋へと急ぐ。普通の状態であれば一分もかからずに行ける二階の部屋は、瓦礫に阻まれているせいか、または恐怖に染まった心のためなのかいつもより遠く感じる。
「お母さん!!」
 そして彼が両親の部屋へ着いた時、そこには彼を抱きしめてくれる両親の姿は無く、ただ二人分の肉の塊がそこにあった。赤い、肉の塊が。

「おかあ……さん?」
 彼が受け入れられる量を超えた『現実』の風景。
 心が壊れるのに大した時間はかからなかった。


「うあ、あ、ああああぁぁあぁ!!!!」


 ***


『サユリ!! 分かっているわね?』
 横にあるスピーカーから声が聞こえる。サユリにとっては友人であり、そして信頼できる上官の声。
「うん。大丈夫」
『無理して倒そうとするんじゃないの!! UN軍が来るまでの時間稼ぎでいいのよ?』
 大気圏突入前から何度も聞いたことをまた言われる。
「わかってる。私だって宇宙用の装備でどうにかできると思ってないよ」
 少し嘘をついた。出来れば倒すつもりだった。理由は簡単。多分……これから目の前に映る風景を見たら……我慢できないから。
 数分後。大気圏を、雲を越えたその先に想像通りの光景が広がる。
 全長100メートルを超える『敵』。それが音速を遥かに超えるスピードで地面に衝突した場合……。そして……そこが街であったならば。

「地獄だ……」
 思わず呟いた。
 一つのクレーターを中心に、その時に生じた衝撃波によって波紋状に都市が崩壊している。二次災害である火災がいたる所で起きている。

 モニタ上に敵の存在を示す赤い点が現れる。
「私の……戦う敵」
 心に沸いてくる感情。絶対に許さない。許せない。
 手の中にあるレバーをしっかりと握りなおす。ブースターによってブレーキをかけ、そしてゆっくり着地した。『敵』はそれに気づいたらしく、首をあげサユリの乗った機体を見た。
「さあ……いくよ!!」


 天井が崩れ、広がっている空。少年は壊れた心のまま空を見ていた。
 人の作り出した鋼の巨人。人類の敵である漆黒の竜。
 それがシルエットとして空に映る。睨み合っていた彼らは日の出が壊れた街を照らし出したと共に動き、死闘を始めた。

 それはまるで、神話の1ページのような風景。
 だがこれは一人の少年にとって、悲しすぎる現実だった。

 ***


 第一話「女神の腕と少年と」


 ***


 とある日本家屋の一室。窓から差すやけに眩しい朝日が、一日の始まりを知らせてくれていた。
 しかし、そんな大自然の目覚ましに従う人間はこの部屋の中には居なかった。相変わらず静かな寝息が聞こえてくる。
「優里くん? もう起きる時間よ」
 20代半ばの女性がベッドの中で眠っているらしい人物に声をかける。どうやら、彼女は布団に包まっている人物を起こすつもりらしい。
「ん〜……」
 彼女の声に毛布の中にいるらしい物体が反応する。それはなんというか、返事とも言えないことも無いうめき声だったけど。
「ねぇ、本当に聞いているの?」
「……うん」
 絶対聞いてない。誰だってそんな事分かる。
「はぁ……まったくもう」
 なんとか毛布の中の人物を起こそうするが、一向に目を覚ます様子は無い。呆れてベッドを見つめていた彼女はふと思いついたように、
「ふ〜ん、起きる気がないんなら優里くんにどんないたずらしても別にいいよねぇ〜」
 と他人には見せられない、そりゃあもう怪しい笑顔でベッドの中に入っていった。

 数分後。すごい勢いで中から人が飛び出す。黒髭危機一髪だ。いや、剣を刺したら飛び出るみたいだから。
 その飛び出た黒髭は叫ぶ。もとい、少年が叫ぶ。
「何してるんだよ美弥子ネェ!!!」
 彼は悲劇から8年、15歳になった丘野優里少年であった。


 綺麗に整頓された部屋。淡い色のカーテンが付けられている窓。ゲーム機、漫画等のよく手にする娯楽物でさえ片付けられているこの部屋は、住んでいる者の性格をよく表していた。
「……なんであんなことしたの?」
 ふてくされながら優里(ゆうり)は呟いた。
「だってさぁ、あんな可愛い寝顔を見せられたらねぇ?」
「なにが『ねぇ?』なのさ……」
 黒髭危機一髪の剣こと美弥子(みやこ)。そんな彼女が言うとおり、黒髭こと優里は少年というよりは少女と言ったほうが納得できるような容姿をしていた。
 街中で何度女の子に間違えられたか分からない。それが喜ばしいことだと思っていないのは、彼の表情を見ればよく分かる。
「今日は願書の提出なんでしょ? 遅れないように起こしてあげたんだから、少しぐらい良いことあったっていいじゃない」
「……」
 優里はその言葉を聞いて頬を染める。『良いこと』ってなにをしたんでしょうね?
「……もう分かったから出て行ってくれない? 着替えたいんだけど」
「別に私のことは気にしないでいいわよ?」
「僕が気にするんだよ!!!」


 一階の居間でそんな騒動を聞いていた優里の祖父は、愛しい孫のために黙って朝食の準備を始めた。彼らの騒がしさには毎回頭を痛めているが、元気な証拠だと思い自分を納得させている。
 なんとも心の広い老人である。近頃の若い者は見習うべきである。

「いいじゃない!! 少し触ったくらいで!!」と、聞こえてくる声。
 騒がしいのは構わないが、とりあえず美弥子のやつは追い出そう。絶対に孫の教育に良くないから。
 心が広かったはずの老人は、一人の女性の追放をやすやすと決断した。



***


 8年前に起きた、後に『セカンド・コンタクト』等と呼ばれる災厄。それを優里は生き延びた。
 両親を失い、家を壊された彼は施設に入れられることになるが、数年後に母方の祖父に引き取られる。
 心の傷などいろいろな問題があったが、なんとか彼は15歳になるまで普通の少年として生きていくことが出来た。
 美弥子に言わせると「普通の男の子よりとっっっっても可愛いけどね!!!」……らしい。
 これの意見は、まったくもって無視してもかまわないものだが。

 優里の新しい家。そこの食卓に三人が集っている。目の前には温かい食事。一度それらを失った優里だが、今はそれを取り戻すことができた。
「美弥子、今日も食べていくのか?」
 初老と言える歳の祖父。芹葉大吾(せりは だいご)は美弥子に対してそう言った。
「はい。大吾さんの料理はとても美味しいですから」
 それが大吾の皮肉だとは気付かずに返事をする。いや、本当は気付いているのかもしれないけど。そうだとしたらとんでもない根性の持ち主だ。

 優里は美弥子の事を『美弥子ネェ』と呼んでいるが実の姉ではない。複雑なのだが一応親戚らしい。なぜか優里の世話を焼き、大吾の家によく入り浸っている。
 この人はちゃんと仕事をしているのだろうか? たまに優里はそう思うことがある。それぐらい……なんて言うか暇そうなのだ。
 ちなみに優里が美弥子にそのことを問うた事があったが、
「夜の仕事をしてるのよ」
 と、冗談なのか本当なのか分からない答えが返ってきたためもう二度と触れないようにしている。

「願書は何時までに出すんだ?」
 大吾が朝食の味噌汁を飲みながら優里に話しかける。
「今日の午後六時までだって」
 優里も同じように味噌汁を飲みながら返事をする。ここら辺は少しばかり血の繋がりを感じさせるものがあった。
「もう少し早めに出すようにしとけばいいのに」
 『いただきます』から一分も経たずに食べ終えた美弥子がそう語る。一応言っておくが、彼女の職業はフードファイター等とカッコいい名前を付けて誤魔化している大食漢ではない。
「僕の住民票とかセカンド・コンタクトで無くなっちゃったから。探したり、無いと分かったら作り直したりするの大変だったんだよ」
「あ……そっか」
「うん。それじゃ、ごちそうさま。もう行ってくるね」
 優里は席を立ち、準備してあった鞄を取って玄関へ向かう。一応鞄の中身を開けて、願書とやらがあるかどうか確かめた。
「ああ、気をつけてな」
「いってらっしゃい」
 大吾と美弥子が席に座ったまま優里を送り出す。
「行ってきま〜す」
 そう言って彼は家を出て行った。

「大吾さん」
 優里を見送った後、美弥子がやけに真剣な表情で話しかける。
「なんだ?」
「もう……大丈夫だよね。あの子」
 大丈夫……それは優里の状態のこと。そう大吾に確認することから『大丈夫ではなかった状態』、その存在を浮き上がらせる。
「ああ……もう大丈夫だろう」
 大吾は昔の優里を思い出したのか辛い表情を見せた。脳裏によぎるのは1人の少年の姿。恐ろしく無表情な優里の顔。
「それならいいんだけど……」
 美弥子が下を向く。なにか言いたいけど言えない様子だ。
「どうしたんだ? 言いたいことがあるなら言いなさい」
 美弥子は元々はっきりものを言うタイプだった。こうやって何かを含んだ表情をされるとどこかすっきりしない。
「実はね……」
 大吾は美弥子を正面から見つめる。
「ご飯おかわりしていいかな?」
「…………」
 数秒後。芹葉家でものすごく大きな怒鳴り声が聞こえたとか。
 後にこの事件をサード・コンタクトと……
 呼ばない。
 ごめん。


***


 芹葉家から徒歩五分ほどの距離の交差点。そこに一人の青年が立っていた。
 横断歩道の信号が青になっても渡ろうとしない。しばらくそうしていたが、視線の先に歩いてくる優里に姿を見ると、その方向に体を向け手を挙げた。
「よお、優里久しぶり」
「久しぶりって……昨日学校で会ったじゃないか」
 そう言いながら優里も手を挙げ返した。

 角田 悟(かくた さとる)それが彼の名前。彼は優里と同じ学校の生徒で、親友と呼べる存在だった。
 優里と悟は並んで歩き出す。どうやら待ち合わせをしていたらしい。
「でも悟まで僕に合わせて願書の提出を遅らせることないのに」
 優里が少し見上げながら悟に向かって話しかける。悟の身長は日本人として平均的なのだが、優里が低すぎるのだ。だから自然にこうなってしまう。
「いや、合わせるつもりは無かったんだよ。ただ出すのを忘れていただけで……」
「……」
 なんとも間抜けな言い分だ。だが、それが素であることを優里は長い付き合いの中で学んでいる。
「あのさ……その適当さを無くさないといつかとても後悔するよ?」
「いいよ、別に。優里がフォローしてくれるだろ」
 そう言って笑っている。
「なんでそんな他力本願なんだよ。大体悟は……」
「お、着いた着いた」
 悟が優里の追従から逃げるように声を上げる。優里の説教は若いくせに長いのだ。
「……逃げたな」
 優里も悟に合わせて前を見る。そこにはなんとなく前時代的な香りがする立派な門が建っていた。



『日本天蘭学園』
 そう門に刻まれている。
 名前を見ているだけだと普通の学校。もしくはちょっとばかし敷居の高いお嬢様学校だと思える。
 だが中に入ってみればこの学校が何を学ぶための学校であるか容易に想像がつく。
 高い壁によって囲まれ、学校と言うにはあまりにも広すぎる学園内には、『G・G』の主力である鋼の巨人が何機もそびえ立っていた。
 そう、この『日本天蘭学院』は『G・G』直属の教育機関であり、未来のパイロットや技術者を育成することを前提に作られている軍事学校なのだ。
 それゆえに普通の学校では見られない『弾薬庫』などと言う物騒な表記がされた建造物が至る所に見られたりするのである。とりあえず、そんな馬鹿なと突っ込んでおく事をおすすめする。




「……」
 優里は目の前の荒野……普通の学校で言うところの運動場であろうか? それを見ていた。
 正確に言うとその運動場に立てられている『地雷注意。入るべからず』という看板なのだが、まあそんな事はどうでもいい。
(地雷って……どんな授業をやっているんだよ)
 それに答える者はいない。一応この学園は軍事施設であり、授業内容等はトップシークレットだから。いや、そういう問題でもないか。
 ちなみに彼と共に居たはずの悟はと言うと、学園内に入った途端にその有り余る好奇心を開放し、優里を置いてどこかへ行ってしまった。
「早く願書だして帰りたいのに……」
 そう呟いていた優里の後方から声が聞こえる。
「ちょっとあなた? もしかして入学希望者?」
「え!?」
 優里が振り返った先には活発そうな一人の少女が立っていたのだった。

***



 優里と先ほど話しかけてきた少女が並んで歩いている。
「いや〜、本当に助かったわ。なんか付き合わせてごめんね?」
 そう少女が話しかける。
「ううん。僕も願書を出しに行く所だったから」と優里。
 なんでもこの少女は優里と同じく願書を出しに行く途中だったらしいのだが、この広い学園のおかげで迷ってしまったらしい。それで優里に助けを求めたのだ。
 本来ならば優里は悟を探している身なのだが、その事実をねじ伏せて今は少女と願書を出しに行くことになっている。どこに行ったか知らない友人よりも見知らぬ少女を選んだのだ。まあこれは彼も一応男だったということなのだろう。
「あ、そう言えばまだ自己紹介してなかったわね」
 彼女は早足で優里の少し前まで駆け、そして振り返った。
「あたしの名前は片桐 明日香(かたぎり あすか)。同じクラスになったらよろしくね」
 そう言って微笑む。
(可愛い子だな……)
 少しばかり頬を染めながら優里も自己紹介をする。
「えっと、丘野 優里です。こちらこそよろしく」
 優里は手を差し出し、アスカと握手する。
「へ〜、『ユーリ』って変わった名前だね。もしかしてハーフ?」
「……」
 優里の発音が悪いのか大体自己紹介すると『ユーリ』だとか『ユリ』だとかに聞き間違えられることが多い。15年間の人生の中で何度も同じことを経験したので今ではもう説明することもなくなってしまった。
 ってそれでいいのだろうか? もうちょっと頑張って説明してもいいのではないだろうか?


「あ、もしかしてあっちかな?」
 自己紹介が終わり再び歩き出したアスカが言った。確かに目の前の校舎に人が次々と入っていく。願書提出の受付である可能性はかなり高い。
(まだこんなに願書出してない人いたんだ……)
 なんだか妙に美弥子ネェにこの事実を突きつけてやりたくなりながらそこへ向かっていく。
「やっぱりこっちだったみたいだね。ちゃんと看板出ているし」
「うん、そうだ……ね」
 優里が言葉に詰まる。
「どうしたの?」
 目の前の看板にはこう書かれていた。
 『第二十一期 日本天蘭学園 操機手科 願書受け付け及び試験会場』
 事情を知らぬ人にとっては普通の看板である。だがこの世界の人間にとっては誰でも分かる間違いがあった。
 『操機手科』、つまりパイロット育成の学科という文字が。
「ほら、早く行こう?」
 そう言ってアスカが優里の腕を取り受付へと引っ張っていく。
「ちょ、ちょっと片桐さん!?」
 まあ早い話が優里は『とある理由』から操機手科に入ることは出来ないのである。



***


 『G・G』を作るに至ってある一つの問題が生じた。
 恐ろしいまでの戦闘能力を持つ『竜』を撃退する兵力。それが枯渇していたのだ。
 いくらなんでも熱核弾頭を使い続けるわけにはいかない。

 しかしある一つの研究機関が新たな兵器を開発した。日本が基本設計を完成させていた二足歩行汎用戦車に『竜』の死骸から得たテクノロジーを融合させた兵器。『T・Gear』と呼ばれるそれはすぐにG・Gの主力兵器として実力を発揮することとなる。
 シュミレーション結果からは、わずか一小隊で核弾頭数発を所有しているのと同様の戦力を得られると報告された。その結果が出される同時に、T・Gearは最重要機密とされ、どの国であろうと開発及び研究することを禁じられた。
 それと同時にT・Gearのパイロットが召集されることになったのだが、パイロットの条件として『搭乗者は女性であること』というのが提示された。

 それはすぐに性差別だと問題になったが『G・G』は「最重要機密の理由がある」と一切理由を説明しなかった。
 その代わり男性と女性がそれぞれ乗り込んだT・Gear同士で模擬戦をさせることで理解を求めた。
 結果は男性側の敗北。彼が乗り込んでいたT・Gearは基本性能の十分の一の力も出せていなかった。



 実は優里は出来ることならT・Gearのパイロットになりたかった。セカンド・コンタクトの時たった一人で大気圏を突破し、『竜』を殲滅した英雄の話を何度も聞いた。八年前の地獄を体験した彼だったからこそ、パイロットに憧れるのも自然の流れだったと言える。だがそれが無理であるということを知るのに時間はかからなかった。
 まだ「実力がない」などの理由であれば納得できたのかもしれない。しかしよりにもよって「性別が違うから」という、到底素直に飲み込む事の出来ない理由である。受け入れられる訳が無かった。
 いつもは女性に間違われることにコンプレックスを抱いていた彼だったが、この時ばかりはいっそ女であったほうがよかったと心底思っていた。
 そして納得出来なかったからこそ代償行為として、パイロットにはなれずとも技術者として『G・G』に関係する職種を選ぼうとしたのだろう。そう……優里は天蘭学園の『技術科』に進学しようとしていたのに。


「なんでこんなことに……」
 優里は頭を抱えて呟く。手には受付で渡された25番と書かれたプレート。彼は操機手科のテストを受けさせられるために教室で待たされているのだ。
 アスカはパイロットは女性しかなれないことを知らなかったのだろうか? 多分それは無いだろう。誰でも知っているような一般常識なのだから。
 そうなるとこうなった理由はただ一つ。間違われたんだろうね……女の子に。
 ちなみに今日の優里の服装は普通のズボンとタートルネックの服、その上に黒いコートを着ているといった割と普通の格好である。っていうかこれで間違われるのは果たしてどうなのか?
 後から入ってくる女の子も初めは少し驚くものの、すぐに何か納得した感じで席に座っていく。
(誰も変だと思わないの……?)
 そう思っているうちに教室は男女比40:1の奇妙な状態になっていった。
「大丈夫だって。今からそんなに心配しててもなんにもならないよ?」
 テストを前にして緊張しているものだと間違った解釈をしたアスカが励ましてくれる。優里の悩みの種がこの少女によって生み出されたもので無いのならば「かわいいなぁ」だとか「いい子だ」等と思うことが出来るかもしれないが、今の状態だと悪魔の笑みにしか見えない。
「あの……僕ちょっとトイレに……」
 そう言って逃げようとした時に
「20番から39番まで隣の教室に来てください」
 と、教師らしい人物が入ってきて優里は逃げ損ねるのだった。


 操機手の試験会場らしい教室には何台かのT・Gearのシュミレーターらしいボックスが並んでいた。これでパイロットとしての適正を調べるらしい。
(まあいっか……どうせ受かるわけないんだし)
 どこか悟りを開いてしまった優里は言われるままに教室に備え付けられていた椅子に座り、シュミレーターのボックスへ入っていった他の受験者を見ていた。
 優里の思うように、どんなに頑張ったとしても男である以上合格することはないはずである。
 T・Gearが男性が搭乗した場合、基本能力の10%も発揮することは無い。それは日が東から西に昇るのと同じように、一般常識と言っても過言ではないものだった。
 それならばわざわざここで「実は僕、男なんです」と言ってしまい、下手したら明日の新聞にでも面白おかしく書かれそうなことを自分からやる必要は無い。どこか納得はいかないが、ここは女の子ということにして乗り切って、改めて技術科に願書を出しに行けばいいのだ。幸運なことに合否の結果はこの適正検査ですぐに出るらしい。家に不合格通知を送りつけられて美弥子に散々からかわれるようなことも無いだろう。

 ふと横を見ると順番になったらしいアスカが、シュミレーターボックスに入っていく。優里と目が合った時に笑って手を振ってきた。
(本当に元気な子だな……)
 思わずつられて笑ってしまった。
「25番。三番のボックスに来てください」
 優里の番号が呼ばれたので急いで立ち上がる。
「それじゃこの中に入ってください」
 試験官に言われた通りにボックスの中に入ってみると、一つの椅子とやたらと線が繋がっているサングラスらしき物があるだけだった。こんなものだけでパイロットの適正が分かるのだろうか? 最新技術というのは良く分からない。
「そのメガネを着けて椅子に座っててください。リラックスしていればいいだけですから」
「はい、分かりました」
 取りあえず椅子に座ってメガネをかけてみる。ただの怪しいメガネだと思っていたが、視野にPCのウインドウの様なものが見えるようになる。なんだか本当にその空間にそのウインドウが存在しているみたいに思えて変な感じだ。
「じゃあ今からテストを始めます」
 試験官の声が聞こえる。優里は「早く終わって欲しい」ただそれだけを考えていた。



***


「………ても………構わない………絶対……」

「え!?」
 テストが始まると言われたその一瞬の後に視界がブラックアウトした。メガネが視界を黒くしたのかと思ったが体の感覚さえも消えた様な気がした。だがそれも一瞬で元に戻り、目の前には元のウインドウの様なものが浮かぶ風景が映し出される。
(今の……なに?)
 今のがテストだったらしいが、何とも不思議な感じがした。自分奥底を撫でられたような、気味の悪い後味が残っている。
 あと、何か声のようなものが聞こえた。幻聴にしてははっきりと、そして懐かしく感じた声だった。
 その謎の声の事について優里が思考を巡らせていると、試験官がボックスの中に入ってきた。
「テストはこれで終了です。外で結果を見て……」
 試験官が急に言葉を詰まらせる。
「ど、どうかしたんですか?」
 ここまできて男であることがばれてしまったのかと思い、優里は慌ててしまう。
「あの……なぜ泣いているんですか?」
(泣いてる?)
 優里が頬に手をやると確かに生暖かい水の感触があった。
「あれ……なんで?」
 自分でも言われるまで気がつかなかった。体が痛かったわけでも悲しかったわけでもない。ただ自然と涙が溢れたようだった。
「え……えっと」
 優里がとっさに考えた言い訳は
「花粉症なんです」
 とてつもなく地味だった。



「受かってしまった……」
 優里は試験会場でもらった紙……操機手科への合格通知を見て呆然としている。
「やったじゃない!! これで四月からは同級生ね!!」
 そう言ってアスカが背中を叩いている。彼女もどうやら合格したらしい。
 顔が引きつっていたため、全然彼女の合格を祝えなかったけど。

(男は……パイロットになれないんじゃないの?)
 そうずっと思っていたが、少なくともこの合格通知は優里がパイロット候補生としてやっていけると示している。つまり男はパイロットになれないというのは嘘だったのだろうか? なぜそんな嘘をG・Gがつくのだろう? なにか陰謀でもあるのだろうか?
 様々なことを考えていた優里だが、そんな壮大な事を考えるより今は目の前のことに集中することにする。合格通知に書かれているこの一文のことを。
『この合格通知を通達された者は必ず天蘭学園 操機手科へと通学すること。この規定を守れなかった者には刑罰の対象となる。(超法規的処置として国連、国家によって定められています)』
 基本的人権をまったくもって無視したこの文は、恐らく貴重な人材であるパイロット候補生を一人でも漏らさず確保していたいという想いからなのだろう。人類の未来が掛かっていなければとんでもない規定である。
 まあ基本的に適正テストは本人の意思でしか受けられないし、まさか『女の子に連れられて技術科と操機手科を間違えた』なんて間抜けな奴がいるとは思わなかったのだろう。一人居たわけだが。
 まあとにかく、優里は合格してしまったために何が何でも女子ばかりの操機手科に通わなければならないということである。
「これから……一体どうすれば」
 優里の問いに答えるものは誰もいなかった。


***


「ごめん……ね」
 その少年はなにがあったのかは覚えていない。両親が死に、家が壊されたことは覚えている。そしてその後、まぶしい光が自分を焼いた。意識もそこで途絶えた。
「本当に……ごめん」
 いつの間にか温かいものに包まれている感覚を覚え、そっと目を開ける。
 目の前には一人の女性。パイロットスーツのようなものを着ている彼女が少年を抱いていた。彼女は自身も傷だらけでありながら、少年が目を開けると微笑んだ。
「良かった……」
 なにが良かったんだろう? そう少年は思ったが声に出すことはできなかった。自分の体に、ある違和感を感じたから。
「右の手……ない」
 その言葉を聞いた瞬間女性は悲しそうな表情を浮かべる。
「そう……だね」
 正確に言うと……少年が失った四肢は右腕だけではなかった。同じ様に右足も爆薬にでも吹き飛ばされたようになっている。腹の方からも血が出ているようなので、恐らく内蔵も傷つけたのだろう。
 誰が見ても――この少年はもう助からない。
 近くに病院でもあれば別なのかもしれないが、周りに見えるのは高層ビルの残骸で出来た瓦礫の山である。そう、ここは戦場だった。
「ごめんね」
 もう一度女性は少年に向かって謝る。
 よく見てみればこの女性も左腕を失っている。彼女も虫の息であった。
 少年は残っている左手で女性の頬に触れる。
「痛く……ないの?」
 そう言葉を投げかけられた女性は、この状況で他人を気にかける少年に驚いたようだが、すぐに優しい顔になり言葉を返す。
「うん。大丈夫」
「そう……」
 少年はただもう眠たかった。その眠気が何を示しているかをどこかでは分かっていたが逆らうことは出来なかった。
 そっと目蓋を閉じて眠気に心を委ねる。
 すると耳に囁くような、それでいてとても強い意志を秘めた声が聞こえてきた。

「私はどうなっても構わない。あなたは絶対死なせない。
 それが例え……あなたに過酷な道を歩ませることになっても」


第一話「女神の腕と少年と」 完




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