三月六日。これは日本人……いや、世界中の人間にとって特別な意味を持つ日。
 十数年もの間『竜』と戦い続けた人類であるが、
 地球への侵攻を許したのは西暦2028年のファースト・コンタクトと
 今から八年前……西暦2051年の災厄だけであった。
 ファーストコンタクト時は敵の殲滅には熱核弾頭数発を使い、数十万人単位での人的被害を出した。
 これは人の歴史の中で一番の悲劇とされ、人の心に『竜』への恐怖と未来への不安を生み出した。
 しかし西暦2051年の災厄……セカンド・コンタクトは少しばかり印象が違っていた。

 そんな特別な日。とある場所の駅は多くの人で溢れかえっていた。
 まるで何かの祭りが行われているような賑わいだ。
 サラリーマンらしい格好の人は少数であることからオフィス街への通勤による混雑では無いことが分かる。
 駅を出るとその場所は廃れており、今にも崩れてしまいそうな建物が建っている。
 どこを見ても人を惹きつけるような存在は見当たらない。
 廃墟を見るのが好きな人にとってはたまらないのかもしれないけれど。

 普通ならばこのような場所に大勢の人間が集まる理由などないが、駅から出てくる人の列は未だ絶えない。
 実はこの場所は八年前にセカンド・コンタクトが起こった被災地であり、
 そして三月六日はちょうど『敵』が地球へ降下した日であった。
 つまりこの人の波はセカンド・コンタクトの被害者を追悼するために集まった人たちだったのだ。

 そしてある一人の少女が三月六日――この駅に降り立った。
 この地域は復興が遅れているため、被災地への移動手段は一本の電車しかない。
 それ故にこの時期になるとかなり混むのだ。
 この少女も多くの人たちと同じ様に満員電車に乗り、もみくちゃにされながらもなんとかここまで辿り着いたようである。
 彼女は駅のホームから逃げるように改札へ向かい、外へと出ると深くため息をつく。
「毎年思うけどこの混雑はどうにかならないのかな?」
 そう愚痴を言うと少女は乱れた服を直し始めた。
 彼女の手には小さな花束が三つほどある。
 満員電車に乗ってきたはずなのにまったく花束は潰れていない。
 服の乱れと反比例していることから体を張って守っていたのだろう。
「よし」
 服を直し終えた少女は目的地へと向かって歩き出した。
 セカンド・コンタクトによって命を奪われた者を追悼するために。
 そしてこの災厄で全世界に自らの存在をしらしめ
 『英雄』となった女性のもとへと。

 

***



***


 三人が一つのテーブルを囲んでいる。
 まだしっかりとしているように見える老年の男性と
 中学生ほどの女の……男の子、そして二十台半ばほどの女性が。
 老年の男性は真剣な顔をして何かを考えている。
 男の子は何かを我慢しているようで拳を握り締めながらうつむいている。
 そして女性は思いっきり腹をかかえて笑っていた。
「あははは!!! 優里くん……いくら可愛いからって……そんなの…あはははは!!!」
 男の子は立ち上がって叫ぶ。
「美弥子ネェ!! もういい加減にしてよ!!」
「あはは……うん、わかった……わかっ……あはははは!!!!」
 そう、ここは三月六日の四ヶ月前の十一月八日の芹葉家。
 優里が家に操機手科の合格通知を持って帰った日であった。

「はぁはぁはぁ……も、もう大丈夫だから」
 美弥子はようやく落ち着いたようだ。
「と、とにかく…これから優里くんどうするつもりなの?」
 努めて真面目な顔をしようとしているが、気を抜くとすぐにでも笑い出してしまいそうである。
「どうするって言われたって……どうしていいのかわかんないよ」
「正直にさ、学園とかG・Gとかに連絡したほうがいいんじゃない?」
「やっぱ、そうかなぁ……」
 確かに優里のようなイレギュラーの存在はすぐにG・Gにでも連絡すべきだったのかもしれない。
 『パイロットは女性のみ』という納得出来い条件を押し通したG・G。
 それを自分の存在が正すことが出来るかもしれないのだから使命感も生まれていた。
 しかし……なんとなく他者にそのことを知らせるのはためらわれる。
 幼いころから「女の子っぽい」とからかわれることが多く(主に美弥子に)
 そのことに少なからずコンプレックスを持っていた優里が、
 『男である自分が女性しか合格できないはずのテストに合格した』という
 下手したら全国規模でその事実が駆け抜けそうなことをするのにはやはり抵抗があった。
 たしかに有意義なことなのかもしれないが……恥ずかしいのには変わりが無いのだ。
「事実を知らせたほうが私は良いと思うよ? 
 だって優里くんみたいにパイロットになれるかも知れないのに
 門前払いされている人たちがいるわけじゃない?
 その人たちがテストを受けられるようになるかもしれないんだから……
 それは優里くんだけの問題じゃなくて、人類全体の希望にもなるかも知れないんだよ?」
 珍しく美弥子が正論を言う。顔が少々笑っているのは気になるが。
「そうだね……僕はそうするべきなんだよね」
 全人類の未来がかかっているのである。この際少しばかりの恥なんて気にしてはいられない。
(……でもTVとかに写真が出るのは嫌だな……)
 そう思いながら天蘭学園に連絡しようと席を立つ。
 しかしその時
「私は……その意見には反対だな」
 優里の行動を止めさせたのは、今まで真剣な面持ちで何かを考えていた彼の祖父。
 芹葉大吾であった。


「「え……!?」」
 考えもしなかった大吾の言葉に優里と美弥子は顔を見合わせる。
「で、でもこのまま黙っておくわけには……」
 優里が少し驚きながら大吾に理解を求める。
 しかし大吾はそれを受け入れなかった。
「美弥子、私の部屋にきなさい」
 そう言うと大吾は席を立ち、自室へと戻っていった。
「ちょ、ちょっと大吾さん!?」
 美弥子がその後を追っていく。
 優里はただ呆然と立っているだけであった。

「大吾さん? 一体どういうことですか?」
 ここは大吾の自室。そこに美弥子が入ってきた。
「G・Gは多分優里のことを認めない」
「なんで!? パイロットとしての素質があるから優里くんは合格できたんでしょ?」
 美弥子が詰め寄る。
「……お前たちは少し勘違いしているようだが
 パイロットの素質がある者と言うのは『適正試験に合格した【女性】』のことだ。
 合格したことも女性であることも両方満たしていないといけない」
「なんかそれって変じゃないですか? だって……」
「どんな言い分があろうとG・Gには『最重要機密の理由』があるんだ。
 どうしても譲れない理由が」
「でもそうであれやっぱりG・Gに連絡して……」
「やめろ。優里のためにならん」
「優里くんのために……?」
 美弥子は首をかしげる?
 なぜ優里のためにならないのか? なぜそんなに大吾は嫌がるのだろうか?
「大吾さん……もしかしてG・Gに関係ある人?」
「……なぜそう思う?」
「なんだか妙にG・Gの対応とか、パイロットの条件とかに詳しそうだったから」
「……さあ、幾つも職を転々としていたからよく思い出せないな」
 大吾は冗談めかしてそう言うが表情は硬いままだった。
 その顔を見て美弥子も何か察したようで改めて真剣な眼差しを大吾に向ける。
「大吾さんは……男性がパイロット候補生になれると知った場合にG・Gはどのような対応を取ると思います?」
「……」
 大吾は少し間を置いて答えた。
「……もし、私がG・Gの人間ならば……男性がパイロットになれることを喜ぶよりも、
 その男性をどうにか世の中から隠したいと思うだろうな」
「それはなぜです?」
「T・Gearの技術は全てG・Gが握っている。
 だが世界のほとんどの国がT・Gearを技術を解析したいと思っているはずだ。
 そしてその糸口になりえるかもしれないのが……」
「優里くん!?」
「普通の男性と肉体的比較をしてみれば
 T・Gearに乗るための『何か』が発見できるかもしれないからな。
 そこから逆算的に研究していけばいつかはT・Gearに辿り着けるかもしれない」
 美弥子は大吾の言葉に衝撃を受けていた。
 G・Gに連絡すれば社会的に消されるかもしれないという事と、
 どこかの国が優里の様な存在を喉から手が出るほど欲しているという事。
 大吾の返答からその二つを知らされた。
 数分前まで優里のことで笑い転げていた自分がすごく浅はかな人間だったと思えて仕方ない。
「優里くんは……どうすればいいの?」
 優里が今どのような状況に置かれているかを知った美弥子は、
 すがるように大吾に尋ねる。
「ああ……それが問題だ」
 願書はすでに出しており優里の情報は学園側に記録されているだろう。
 女子しか受けないと思われていたために操機手科は性別欄のチェックはしていないのであろうが
 学園に通学しなければ願書に記載されている情報を調べ、優里のことを知るだろう。

「……そうだ!!」
 美弥子が声を上げる。なにかいいアイディアでも思いついたのであろうか?
「優里くんには普通に学校に通ってもらおう!!」
 何を言ってるのだこの女は。
 普通に通えば操機手科に合格したのが男子であるとすぐに分かるであろう。
 とうとう壊れたのか?
 そう思った大吾は目の前の若い女性を
 ただ憐れみの眼差しで見ているのだった。


***


 場面は変わって西暦2059年の三月六日。
 セカンド・コンタクトで亡くなった者たちを忘れないために作られた慰霊碑。
 衝撃破によって殆どの建造物が砕け、焦土しか残らなかったこの土地にいくつもの黒く光る慰霊碑が建てられた。
 数多くの名が刻まれたそれには遺族、そして彼らの死に同情した者たちが置いていった花で溢れている。
 先ほど駅より降り立った少女も自分の探している名前が刻まれた慰霊碑を見つけたらしく
 その下にそっと二つの花束を置いた。
「さて……と」
 刻まれた名前をじっと見ていた彼女だがまだ目的があるらしく、
 駅とは違う方向に歩き出した。

 多くの慰霊碑がここには存在しているが、一つだけおもむきが違う慰霊碑がある。
 普通の慰霊碑が黒い石で出来ているのに対して、それは白い大理石のような物で造られている。
 大きさも他のものに比べ二回りほど大きい。
 そして置かれている花束を数も他の物よりかなり多かった。
 その慰霊碑には一人の名前しか刻まれていない。
 『御蔵 紗由梨』という英雄の名が。


 セカンド・コンタクト時には一つの都市が完全に崩壊したが、
 ファースト・コンタクトの時に比べればまだ被害は少ないほうだった。
 それだけの被害で済んだのは『御蔵 紗由梨(みくら さゆり)』というT・Gearパイロットの功績が大きかった。
 単独で大気圏突入を行い、自らの命を落としてまで敵を殲滅した彼女はまさに英雄そのものだった。
 その事実はすぐに多くの人々にTV等の情報網によって知らされ、
 彼女の勇気ある行動は人々に希望を与えた。
 それによってセカンド・コンタクトは悲壮感が薄まり、紗由梨の英雄物語のようになってしまっている印象を受ける。
 少しばかり不謹慎のようには思えるが、
 人類はファースト・コンタクト時に十分過ぎるほどの悲劇を見ている。
 もうこれ以上の悲劇を見たくないと思い、英雄物語へと逃げるのも仕方ない。
 とにかく紗由梨という人間は全人類が知っている『英雄』だった。


 少女も多くの人たちのように紗由梨の慰霊碑に花を供え、そして少し祈った後に駅へ向けて歩き出した。
「ふう……これでようやく終わりか……」
 彼女が伸びをしていると後ろから声が聞こえる。
「あれ……あの子もしかして……」
 少女が振り返ると、
 なんというか……その少女には忘れたくても忘れられない人物が目に映る。
「もしかして……ユーリ?」
「か、片桐さん……!!」
 ユーリと呼ばれた少女はものすごく動揺している。


 それを気にするようなことはせずに片桐と呼ばれた少女は喋り続ける。
「あ〜!! 本当にユーリなんだ!!
 すっごく格好が変わったから気付かなかったよ。
 こんな所で会えるなんて思わなかったし」
「う、うん。そうだね……」
 片桐と呼ばれた少女の隣にいた彼女の友人らしき女の子も話に入ってきた。
「アスカの友達なの?」
「まあそんな所かな。天蘭学園でちょっとね」
「え、えっと……」
 ユーリが何か言いたそうにしていると、
「あ、紹介するね。こっちは私の親友の『石橋 千秋(いしばし ちあき』」
「はい、アスカとはただならぬ仲の石橋千秋です!!」
 紹介された彼女はそう言い直す。
「なに訳の分からないこと言ってんのよ……」
「だって事実じゃな〜い」
「勝手に言ってなさい」
 笑みを浮かべながらアスカは千秋を小突く。
 傍から見ていてもかなり仲が良いことが分かる風景だ。
「それでこっちが……」
 アスカが改めて千秋に紹介する。
 まあ大体の人は気付くと思うけど。
 片桐 明日香という人間と天蘭学園でちょっとあって、
 ユーリと呼ばれていて、
 それでいてなおかつアスカにまたもや振り回され気味の人間。
「丘野 ユーリさんよ」
 そう、ご丁寧にスカートまで穿いちゃってる
 誰がどう見たって女の子にしか見えないこの人間は
 名前を間違われたままの『丘野 優里』……その人であった。


***


「と言うわけで優里くん、あなた女装しなさい!!!!」
「なにが『と言うわけ』なんだよ!! 全然話が見えない!!」
 優里が怒るのも無理は無い。
 大吾の自室から帰ってきた美弥子は開口一番に訳の分からないことを口走ったのだから。
「これは優里くんのためなのよ?
 女装しなきゃ優里くんは秘密結社に拉致されてインプラントでキャトルミューティレーションなんだから!!!」
 美弥子は開口二番目もよく分からないことを叫んだ。
 さすがにここまで壊れられると心配になってくる。
「美弥子ネェ……最近辛いことあるの?
 僕で良ければ相談にのるから……」
 優里が美弥子の顔を覗き込んでくる。
「違う!! 今大変なのは優里くんのほうなのよ!!」
「もういい。私が説明するから美弥子は黙ってなさい」
 美弥子と共に部屋から出てきた大吾が制す。
「優里……よく聞いてくれ」
「うん……」
 大吾が真剣な表情をして優里の前に立つ。
 優里も何か大事なことを伝えようとしていることが理解できたので真剣に耳を傾ける。
「天蘭学園の操機手科に……女子として通ってくれ」
「いや、まったくもって意味が分からないから」
 優里の突っ込みはすごく的確だった。

 つまり美弥子が考えた計画はこういう物だ。
「女として誤解されている間は優里の身が安全ということ。
 それならいっそ誰が見ても『女の子』にして学校に通わせてしまえばいい」というとんでもないもの。
 確かにとんでもないのだが、非常に有効な計画ではある。
 優里はパイロット候補生になれる『数少ない一人』の男性であるが、
 女性としてその他の候補生の仲に紛れ込んでしまえば『数多くの中の一人』になってしまう。
 つまり木を隠すなら森の中……ということなのだろう。

 これまでの話を一通り優里は黙って聞いていた。
 その表情はとても真剣である。
 冗談で言っているわけでないことも理解した。
「あのさ……操機手科に入ったらどうするの?」
 話を聞き終わって優里が質問をした。
「え? どうするってどういう意味?」
 美弥子が聞き返す。
「だから……T・Gearのパイロット目指して勉強するのかなって」
「まあ、そうなるとは思うけど」
「そっか……」
 優里は何かを考えている表情をしている。
 大吾はその思考が読めたのか先に釘を刺しておく。
「一つ言っておくがT・Gearのパイロットになれるとは思うなよ。
 G・Gが最重要機密の理由と言っているものが確かに存在しているんだ。
 男性と女性の間にはな」
「……」
 優里は図星だったのか黙り込む。
「ちょっと……考えさせて」
 そう言うと彼は自分の部屋へと去っていった。


「夢があって……でもその夢を叶えることが出来ないって分かってるのに、
 一生懸命頑張り続けるって……とても辛いですよね」
 大吾の隣にいた美弥子がふとそう漏らした。
「結果が出ないと分かっていることなら……初めから努力しなければいいんだがな」
「でも優里くんは不器用だから」
「そうだな」
「大吾さんと似てますもん」
「……」
 大吾は何も答えなかった。


***


 優里はベッドの中に潜り込んでいる。
 さっきから考えていることは同じ。
 操機手科へ通うというもの。

 パイロットの夢は幼い頃にすでに捨てた夢だった。
 確かにG・Gに対して憤りは感じていたが昔ほどではなかった。
 『諦めた』……そういう言葉を使うのはたまらなく嫌だったが実際諦めたのだ。
 それに今は新しい夢がある。T・Gearの整備士という夢が。
 パイロットへの夢が消えてしまったことへの代償行為であることは充分承知している。
 しかし最近は代償行為だなんて思うことなく自分が心からそうなりたいと思うようになってきた。
 ……だが、操機手科へ進学できるという事実は優里の心にある一つの願望を蘇らせた。
 T・Gearのパイロットになりたい。今ははっきりとそう思う。
 まあ女装という付かないでもいい条件がくっ付いてくるのだが。
「男は……搭乗者になれない」
 そう言われている。だけど自分は操機手科の適性テストに合格した。これは紛れも無い事実だ。
 もしかしたらその調子でパイロットになれるかもしれない。
 自分でも希望的観測なのは知っている。
 でも……どうしてもその希望の欠片を失いたくは無い。
「どうせ女の子として通わないといけないんだから
 ………パイロット目指したって別にいいよね?」
 自然にそんな言葉が出た。
 女装のことについてはもうすでに諦めの境地にあるらしい。
 なんともすごい根性だ。

 優里が部屋に閉じこもって二時間ほど経ったリビング。
 美弥子と大吾は二人とも黙ってTVを見ている。
 階段を下りてくる足音が聞こえてきる。
 二人が振り返るとそこには優里が立っていた。
「優里くん……」
「僕……操機手科に通うよ」
「そう」
 彼がそう答えるのは分かっていた。
 というよりもそれ以外の選択肢がなかったというわけだが。

「それにT・Gearのパイロットを目指して頑張るよ」
「え!?」
 優里の言葉に美弥子が驚きの声を上げる。
 大吾はある程度予想していたのか黙って優里を見つめている。
「でもそれは……」
「いいだろう」
 美弥子が何か言おうとするのを大吾が遮った。
「ええ!?」
 美弥子は大吾の言葉に驚いたようだ。
 優里も予想していた答えと違ったのか目を点にしている。
「自分で責任を持て。私たちは何もしてやれないからな」
「あ、うん。分かった」
 そして訪れる気まずい沈黙。
「えっと……とにかく、優里くん!!
 合格おめでとう!!」
 美弥子がわざとらしい位大声で言う。
 優里は少し驚いていたが
「うん。ありがとう」
 そう言って微笑んだ。


***


「へ〜、『ユーリ』さんって言うんだ? よろしくね」
 そう言って千秋が優里に手を差し出す。
「あ、あの……確かに前まで『丘野 優里』だったんですけど、
 わけあって今は『芹葉』(せりは)っていう苗字なんです」
「え!? そうなの?」
 アスカが声を上げる。
「はい、母方の祖父の養子になったんで……」
「ふ〜ん……そうだんだ」
 アスカは何か複雑なのだろうと察し、これ以上追求はしなかった。
「でも随分雰囲気かわったね。最初見た時分からなかったよ」
「えっと……なにか変なところありますか?」
 優里は恐る恐る聞く。
「ううん、別に。ただ前は少しボーイッシュな感じがしたから」
「そ、そうなんだ……」
 その時に気付いてくれればこういう事にはならなかったのだけど。
「随分と思い切ったイメージチェンジしたね?」
 アスカは優里の格好を興味深く見ている。
 やはり女の子であるためかファッションには特に関心があるのだろう。
「姉さんにもっと女の子らしくしなさいって言われたから」
 見られているのが恥ずかしいのか優里はうつむく。
(ばれてないみたい……良かった)
 ぷろでゅーす・ばい・美弥子の女装作戦は何とか上手くいったようだ。

 『地獄の四ヶ月間』。
 優里が後にそう呼んだこの「優里が女の子になるための修行期間」は主に美弥子の手によって進められた。
 っていうかなんだか彼女はすごくノリノリだった。
「優里くん? 今日からビシビシ厳しく行かせてもらいますからね」
「み、美弥子ネェ……その手に持っている物は何?」
「え? 鞭だけど?」
 ノリの良すぎにも程がある。しかも妙な方向のノリだし。
「今日から優里くんは髪を切っちゃ駄目よ?」
「え……?」
「やっぱり女の子は髪が長くなくっちゃねぇ。
 優里くんはもともと少し髪が長めだし、
 四ヶ月くらいの時間があるからセミロングくらいにはなれるでしょ」
(それは美弥子ネェの好みでしょ……?)
 と、優里は心の中でつっこんだ。
 さすがに鞭を持っている相手の嗜好について何か言う気にはなれない。
「それじゃあ今は洋服とか化粧とかを学びましょうか?」
 優里は覚悟を決めていたはずだが、美弥子の怪しい笑みを見た途端後悔の念が沸いてきた。
(す、すごく怖い……)


***


「どうしたの?」
 アスカが顔を覗き込んでいる。
 地獄の四ヶ月間のことを思い出してボーっとしてた優里は我にかえった。
「あ、なんでもないよ」
 アスカの顔が近くにあったのに驚いて身を引く。
「アスカ、そろそろ行こうか?」
「ん? そうだね」
「それじゃボクも帰るから」
 地獄の四ヶ月間の特訓であっても優里の言葉遣いは直らなかったらしく
 今なお一人称は『ボク』である。
 もしかしたら最後の男としてのプライドかそうさせているのかもしれない。
「もし良かったら私たちと一緒に来る?
 今から遊びに行くつもりなんだけど」
 アスカがそう誘ってくれた。
 知り合って間もないがアスカのこういう誘いはとてもうれしい。
 特に女の子だらけの操機手科に通うことになるのだから、
 今のうちにアスカのような女の子と交友関係を築いておきたい。
「ほら、アスカがこうやっておごってくれるって言ってるんだから
 遠慮しなくてもいいって」
「ちょっと!! 誰が奢るっていってるのよ!!」
「いいじゃないのたまには」
「たまにはって、あんたが奢ってくれたことなんて無いでしょうが!!」
 そんなアスカと千秋のやりとりを見ていると笑みが浮かんでくる。
「それじゃ、片桐さんにご馳走になろうかな?」
 優里が笑って答えた。
「ちょっとユーリまで……分かったわよ。
 どーんとご馳走してやるわ!!」
 アスカは諦めがついたようで笑っている。
「ユーリ?」
「は、はい?」
 軽口を叩いたのが気に障ったのか?
 そう優里は思ったが違ったようだ。
「片桐さんってのは何か肩苦しいからアスカでいいよ」
「私も千秋でいいから」
 二人はそう言ってくれた。
「あ、ありがとう。片……アスカさん、千秋さん」
(本当にいい子達だ……出会えてよかった)
 優里は少し感動している。
 女装しているという不安感があったし、自分という人間が女の子の中でうまくやって行けるとは思わなかった。
 こんなにも早く打ち解けられるのは彼女たちだからこそなんだろう。
「ほら、ユーリ行くよ?」
「あ、はい!!」
 またぼーっとしていたらしい。
「ユーリさんって結構ぼーっとしてるね」
「あ、あははは」
 千秋にそう言われて恥ずかしさを感じ笑ってごまかす。
「あの〜、言い忘れてたんですけど」
「ん? なに?」
「ボクの名前……『ユーリ』じゃなくて『ユリ』なんですけど」
「え!? そうなの?」
「ちょっとアスカ……? 聞き間違いしてたのね?」
「え、え〜っとそれは……」
 アスカはバツが悪そうにしている。
「ごめんなさい、ボクが言いそびれていたから」


 英雄が戦い、そして死んだ場所。
 そこで三人の少女が笑っていた。
 その中の一人は自ら自分という存在を殺した。
 姿を変えただけでなく、両親から受け継いだ『丘野』という姓を『芹葉』に変え、
 貰った名前を『ユリ』へと変えて。
 心が痛まないわけは無い。だがその子は痛みに耐え続ける。
 希望があるから普通にしていられる。
 心を支えたのは

 幼き頃に抱いた夢と 譲れぬ信念と


第二話「幼き夢と信念と」 完



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