物質の分解と再構成。それが純白の妖精の能力だった。
一見すると攻撃等にはまったく向かない能力に見えるが、それを使っていた御蔵サユリの闘いは尋常で無い物であった。
素粒子レベルの物質反転による反物質の生成。全てを灰燼に帰すその存在による竜の撃滅は、まさしく殺戮と呼べる行い。白銀の女神という二つ名に似つかわしく無いほど、一方的な殺害を戦場で繰り広げいた。
しかしその力は、セカンド・コンタクトで失われる。一人の人間を救った事で、妖精は力を無くした。
「いやぁ、もう、私ね、変な夢見ちゃったんだよねー。本当に変だった。ありゃびっくりだね」
まだ頭が痛むのか、こめかみの辺りをさすりながら美弥子がそんな言葉を口にした。ユリは彼女の言動にびくびくしながらも、目の前にある朝食を口に放り込み続けた。
美弥子が変なことを言うのはいつもの事なので、この朝食の席に居た芹葉大吾は別に何も思わなかったようだ。味噌汁をすすりながら、彼女に適当な返事をする。
「変な夢って、どんなものだ?」
「それがですねぇ、なんと優里くんが女の子になっちゃう夢なんですよ。もう馬鹿みたいですよねー。そんな夢見るなんて」
「ああ。馬鹿みたいだな」
「ちょ、大吾さん……。その言い方はないですよ」
寝ぼけた美弥子の戯言だと流した大吾とは違って、ユリは冷や汗を掻いていた。箸を持つ手が微かに震えている所為か、ご飯を上手く口に運べずにテーブルに落としてしまった。怪しまれる目で見られる事は無かったけども、大吾には食べ物を粗末にするなという視線を向けられてしまう。
「はぁーあ。なんかいろいろと残念だったなぁ」
残念って何がだよ。そう突っ込みたかったが、今朝早くに美弥子に押し倒された事を思い出して止めておいた。その行動で大体の事は分かってしまったから。
朝起きたら女の子になっていた。そんなトンデモびっくりな出来事が、ユリを襲った。
今まで女の子みたいだと言われていたユリ。十数年の人生の中でもうその言葉には慣れていたものの、実際自分が女性そのものになった時のダメージは、今まで受けてきた衝撃全てを集めたって足りないくらいの物だった。
結構豊かな胸と、あるはずの物が綺麗さっぱり消えてしまった下半身。それらを自分で視認しただけで、何度か気を失いそうになった。これは悪夢だと心の中で何度も繰り返した。
初めは本当に夢だと思っていたのだが、どうやら悲しい事にこれは全て現実の出来事らしい。その証拠かどうか分からないが、頭を壁にぶつけてみるとすごく痛かった。
ユリが女性化した理由。それはどうやらユリの妖精であるリリィ・ホワイトの所為であるらしい。どういった物理法則でそれを行ったのか分からないが、彼女にはそういった力があるようだった。爪楊枝の先ぐらいも役に立たず、そして情けない能力である事だけは確かだった。
(これからどうしよう……)
朝食である大吾の手料理を食べながら、ユリは自分の未来を心配する。まあもともと女に似ていただけに、今更女になろうと外見上変わった所は殆ど無い。いつも自分の顔を見慣れているはずのユリ自身だって、その違いに気付くのに少しの時間を要した。つまり、普通にしておけば他者にバレる事は無いだろう。
まあ、ブラのサイズがきつくて落ち着きが無くなっている事に関しては、何か言われてしまうかもしれないけども。
(一日経って現状が好転しなかったら、誰かに相談しよう……)
相談するといっても、誰に言えばいいのかなんて検討もつかない。大吾や美弥子はユリが男である事を知ってはいるが、この事態の原因となった妖精の事は知らない。彼女の、リリィ・ホワイトの事を彼らに話してしまえば、情報機密の問題で結構な罰を与えられるユリにとっては、気軽に相談なんて出来るわけが無かった。
そうなるとユリが男である事を知っていて、そして妖精の存在も理解している人間……片桐アスカに相談するしかないのだが、今のユリの姿を彼女が見ればどう思うのか気が気でなかった。また、妙な事をしやがったと呆れられなければいいのだけど。
この事件の犯人であるリリィ・ホワイトの談によると、多分1日経てば元に戻るだろうとの事らしかった。ものすごく適当に思えるその言葉を信じるしか無い状況が、何とも可哀想である。とにかく今日一日だけ我慢して、事態が解決するのをユリは祈っていた。
「……」
「……っ!? だ、大吾じいちゃん? どうかした!?」
「いや、別に……。ただ何となく、優里の元気が無い様な気がしたんだが」
「あは、あははは……そんな事ないです事よ」
「???」
ユリは自分では上手くやってるつもりらしかったが、傍目から見れば明らかに不自然だった。
***
第十八話 「白い水着と妖精の力と」
***
(胸……きつい)
朝の天蘭学園。1−Cの教室で、そんな事を思いながらユリは自分の机に突っ伏していた。
1日ぐらいは我慢できると思っていたのだが、どうやらそう甘くは無かったらしい。地味に圧迫してくるブラジャーが、ユリの内臓類にかなりの負担を強いてきた。
しかもまだ一時間目の授業も始まってはいない。これから長い学園生活を送らなければならないかと思うと、ギブアップと叫んで逃げ出したくなりそうだった。
(さすがに……外すわけには……いかない、よね……)
男の時であれば何の躊躇いも無く外してやるのだけど、さすがに今の状態でやろうとは思わなかった。男の時には感じなかった羞恥心とかそういう物が、心の中にこびりついている。
前に進む事も後に後退する事も許されない今の状況に、ユリは結構絶望していた。
「ユリ? どうかしたの?」
「アスカ、さん……」
千秋と一緒に登校してきたらしい片桐アスカが、隣の席でうんうん唸っていたユリに話しかけてきた。おそらく昨日の夜の公園での体調不良と何か関係があるのではないかと思ったのだろう。
残念ながら全然違う真実と、今のユリの情けなさすぎる状況から、彼女に正直に話すのは勘弁したかった。今まで以上に、ある意味究極な形で女の子っぽくなったと知られれば、アスカにいい顔をされないと思ったからである。
「お腹痛いとか? もしかして昨日の雨の所為で風邪引いちゃった? ……ごめんね、お風呂、私たちが先に入っちゃったから……」
「そういうんじゃないです……ただちょっと、えーっと、頭痛が」
「本当に?」
「え、ええ。まあ一応」
嘘を吐くのはなんだか彼女に悪い気がしたが、そのまま誤魔化してしまった。
「あれ? ユリちゃんどうかしたの?」
「ユリ……頭痛いんだってさ」
「ありゃー。それは大変だ。もしかして風邪とかかな?」
ユリたちの元へとやってきた千秋が、先ほどアスカが聞いてきたような事を言ってきた。それにアスカが代わりに答える形になり、ユリの嘘が伝染していってしまう。少しばかり罪悪感に苛まれているユリは、その光景を鎮痛な面持ちで傍観し続けるしかなかった。こういう小さな裏切りは、結構気にしてしまう。
「本当に大丈夫だよ。全然、熱も無いしさ」
自分が元気だという事を証明するために、2人の前でガッツポーズしてみせる。さすがに空元気みたいだったけど、アスカと千秋は笑ってくれた。やはり心配されるよりは笑われた方が断然良かったと心の中で思う。
「まあこの梅雨空を見れば、誰だって頭痛くなるもんだけどねー。全然晴れそうに無いし」
窓の外で降りしきる雨を眺めながら、千秋がそんなぼやきを漏らした。
「この梅雨が終わればもう夏なんだから、もう少しの辛抱でしょ」
「そうだねー。もう夏なんだよねー。あーあ海とか行きたいなー」
アスカと千秋の何気ない会話が始まる。それは身体を締め付けられ続けているユリにとっては、いい気分転換になるものだった。まあ彼女たちにとっては日常の当たり前の行為であり、別にユリのために何かやったわけじゃないだろうけど。
「そう言えばさ、アスカとユリちゃんたちって、夏休みに合宿行くんでしょ?」
「え? ああ……そうみたいですね」
もしかしたら骨を折られて行けなくなるかもしれないですけど、なんて言えず、ユリは曖昧に頷く。女性化といい夏休みの合宿といい琴音とアスカの問題といい、そしてアリアの事といい、問題は山積みのようだった。出来れば一つ一つ丁寧に片付けて行きたいが、時間はユリの都合に合わせて歩みを遅くしてくれない。同時進行で解決していかなければならない現実に、ユリは早くもめげそうだった。
「そう言えば知ってる? 天蘭学園の合宿ねぇ、瀬戸内海でやるんだって。いいなー。海水浴とか出来るんでしょ? 私も行きたーい」
何故か合宿に行くはずのユリとアスカよりも、千秋の方が合宿の日程や開催地について詳しかった。その事を少しだけ恥じながらも、海水浴という単語に関心を持つ。
「海水浴……?」
「うん。合宿では毎回泳いでるらしいよ。酷い話だよねー。妖精持ってる子たちは、タダで四国に行けて遊べるんだから」
まあ学生の合宿なんてそんな物だ。学業なんかにはまったく関係ない遊びが入っている。でもそれは息抜きと言う人間にとっては必要不可欠な理由があるのだがら、一概にいらないものだとは言えないのだけど。
「へぇ……海水浴……」
という事は、合宿に行く事になったらユリも水着を着て泳がなければならないのだろうか。ますます、合宿に行く事が出来なくなった気がする。ユリの骨がアスカの手によってへし折られる確率が、さらに上昇してしまった。
「なんだか千秋の話聞いてたら合宿行きたくなったなー。ねぇユリちゃん?」
「…………そうですね」
アスカの普段付けない「ちゃん」が薄ら寒く感じる。ニコニコと笑っている顔とは別に厳しめな視線が、『お前、絶対行くなよ』と告げているような気がした。
(……もうダメかも)
顔に似合わず授業中の生徒の態度に関して緩い小柳香織教諭の授業中、ユリは相変わらず机に突っ伏していた。バストサイズに合わないブラを着用するというのは地味な拷問だったようで、ユリの体力を朝から根こそぎ奪っていた。本当の女性はこういう時どうするのだろうか? ユリの脳みそでは想像する事さえ出来ない。
まあユリがこのような締め付けになれていないから辛い思いをしているだけなのかもしれない。普段からブラジャーを着けている女性ならば、この程度の締め付けなど日常生活に支障をきたすような物ではないのだろうか? どっちにしろ想像の域を出ない思考だが。
(なんにしたってボクは男の子なので、もう死にそうですよ〜……)
心臓付近を圧迫されているためなのか、脳に血液が行ってないのかもしれない。だんだんと、思考が鈍ってきている気がする。息遣いも荒くなっていて、誰が見たって危ない状況だった。
「ユリちゃん……大丈夫?」
静かにしている事を条件として授業中でも発現している妖精が、ユリを気遣うように話しかけてきた。こういう気遣いが出来るのならば、何故自分を女にしたのだと文句を言いたかった。しかし、それを言った所でどうにかなるものでも無いので止めておく。唯一この状況を打破出来そうな存在と言い争いをする事は、ユリにとって何の利益も無かったからだ。
「まあ、大丈夫だよ……」
本当は全然大丈夫じゃなかった。地味な苦しさがユリの体力をかなり奪っている。それでもリリィに笑いかけたユリの顔は、大層痛々しかった。
「あの、さ。ひとつ聞きたいんだけどいいかな……?」
「はい? 何ですか?」
「リリィは、どうしてボクを女の子なんかに……」
一番の問題はこれだと思う。主人の意思に反して力を使う妖精というのは許されていいのだろうか? そこの所を一番問い詰めたかった。
リリィは少し考えるそぶりを見せ、口を開く。少しばかり言いにくい事なのだろうという事が、彼女の顔から伺えた。
「私が何も出来ない事……ユリちゃん、すっごく哀しそうだったから……」
「え……」
「私の事、ダメな子って思ってるみたいだったから」
確かに先日、アスカと琴音の会食を取り持った時に妖精の力についての話題になった。その時にリリィが何も出来ないという事を聞いて落胆した顔をしてしまった。まさかその時の事を気にしていたなんて。ユリは何だか彼女に申し訳なくなってしまう。知らず知らずのうちにプレッシャーを与えてしまっていた自分を叱責したくなる。
自分があんな顔をしなければ、リリィはこんな事しなかったのではないだろうか。そうなると、責任はユリ自身にある事になる。リリィを責めるのはお門違いというものか。
「……そんな事ないよ。リリィはダメな子じゃない」
反省しているらしいリリィに向かって、ユリは出来るだけ優しい顔で否定してあげた。そういう事しか自分に出来そうに無いのが、なんとも申し訳なかった。
「はい。数学の授業はここまで。ご苦労様」
休み時間を知らせるのチャイムが鳴る数分前に香織教諭は授業を終わらせてくれた。その言葉を聞いて1−Cの生徒たちは緊張の糸を解き、安らぎのため息をする。
「アスカっ、さんっ!!」
「へ? な、なに!?」
ユリは授業終了の声と共に、傍の席に座っていたアスカの腕を掴む。急に切羽詰った顔をして迫り寄ってきたユリに驚くアスカは、訳が分からないといった顔をするだけだった。
「ちょっと、付き合って欲しいんですけどっ」
「え? ええ!?」
ぐいぐいと、今まで見せた事の無い強引さでアスカの腕を引っ張っていくユリ。彼は力を緩めることなく、教室の外へとアスカを連れて行ってしまった。その光景を遠くからポカンとした顔で見ていた千秋の顔が忘れられない。
「ど、どうしたの? もしかして……なにか怒ってる?」
ユリの切羽詰った顔が怒りの形相に見えたのか、アスカはそんな事聞いてきた。もちろんユリは怒っている訳ではないので、それを否定しなければならないだが、胸の苦しさの所為でそんな事を気にしていられない。事情説明は後にする事にして、ユリはアスカをトイレに連れ込んだ。
「ちょ、ちょっとユリ!?」
訳が分からないままユリの手によってトイレに連れ込まれたアスカ。もちろんそれだけでも驚いていたのだが、さらにユリに個室に入れられた時点でそのパニックは最高潮となった。
「な、なに!? もしかして、なんかする気!? 行っておくけどねっ、私、ケンカの腕には自信あるんだからっ!!」
「……へ?」
どこをどう勘違いしたのか、アスカはファイティングポーズをしてきた。まあ無理は無いと思う。一応男に(今は違うけど)無理やりトイレの個室に連れ込まれれば、余計な想像をしたって仕方ない。ユリがご丁寧にトイレの個室に鍵をかけてしまった事が誤解をさらに深める結果になったのだろうし。
「あ、アスカさん。あのね、ちょっとボクの話を聞いて……」
「くっ……あまりにも女の子っぽすぎるから油断してた。そうだよね、ユリだって所詮巷に溢れている男なんだよね……。信じてた私が馬鹿だったよ」
「いや、だから、そうじゃなくて」
めくるめく思考に身を任せているアスカ。このままだと強姦魔にされてしまいそうだったので、ユリは慌ててここに連れてきた意図を説明しようとする。パニックになりすぎてて、あまり聞いてくれそうに無かったけども。
「あ、あのですね! 実はアスカさんに相談した事があるんですけどっ!!」
「相談したい事? なに? なんなの? エッチな事だったらぶん殴る。肋骨が内臓突き破るぐらいぶん殴る」
エッチな相談って何ですかと尋ねたかったけど、その後に続いた暴力的発言によって口を開く気を無くした。もし本当にアスカの言う目的で連れ込んでいたら、今頃自分はどうなっていたのだろうか。恐ろしすぎて想像したくなかった。
「そ、そのですねぇ……実はボク、朝起きたら……そのぉ」
「は? なに? さっさと言いなさいよ。言わないと殴る」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!!」
自分が女になったと言う事を口にするのが恥ずかしすぎて、ユリは口ごもってしまった。それをじれったいと思ったのか、アスカはシャドウボクシングをするように空に対してジャブをする。それが素人離れしたスピードを持っていたので、さすがにユリは焦った。
「えーとですね、だからその……」
「んー……なに? だからなんなの!?」
焦らしまくるユリに対して怒りの限界が近づいてきたらしく、アスカはいらつきを素直に声に表していた。ユリは怒気をどんどん孕んでいく声に怯えるのだけど、どうも真実を口にするのは躊躇われていた。それを口にしてしまうと、恥ずかしさと情けなさで死んでしまいたくなるからなのだろうと思う。
しかしこのままで居るわけにはいかないので、ユリは決意を胸に秘めて行動に踏み切った。
「えっとですね、とにかくこれ触ってください」
「へ? な、なに?」
アスカの手を取って、ユリは自分の胸に当ててやる。まさか女性相手にこういう事をするとは思ってなかったユリは、絶望のあまり頭が痛くなってきた気がした。もちろん男相手にこの行動をする気なんて微塵も無かったのだけど。
「……これがどうしたの?」
前に触らせた胸パッドの感触がよほど本物志向だったのか、アスカはユリの胸に触れても気付いてくれなかった。彼女はユリが頭がおかしくなったのかと思い出したのか、割と心配そうな顔をしていた。さっきまであんなに怒っていたのに。そこまで自分の行動が異質に映っていたのか。まあ気持ちは分からないでもないけど。
仕方が無いと割り切って、ユリは覚悟を決める。たどたどしいながらも、ゆっくりと自分の上着のボタンを外し始めた。
「ちょ、ちょっとユリ!? やっぱりそういう事なの!?」
「違います違います違います。もういいから黙っててください」
「じゃあ一体……って、え? え? ええ!?」
はだけたユリの胸を見て、アスカは動揺した。それはそうだろう。れっきとした男であったはずのユリの胸が、ふくよかに膨らんでいるのだから。奇妙極まりないにも程がある。
「ユ、ユリ……まさか、豊胸手術を……。そんな、取り返しの付かないことを……」
「違う! そうじゃないです!!」
当たり前というかなんというか、アスカは胸を見ただけではユリの置かれている現状を理解してくれなかった。女になってしまったと、数瞬で理解してしまう方がどうかしてる。
このままじゃ埒が明かないと思ったユリは死ぬほど恥ずかしかったがスカートをたくし上げた。
「な!? え!? ああぁ!!??」
さすがに自分と同じような下半身を見て事の真意に気付いたのか、アスカは先ほどよりパニックになって言葉にならない声を出していた。
こういう反応をされるだろうと予想していたユリは、そんな彼女の様子を冷静な目で見ていた。
「あは、あははははははは!!!!」
さすがに、爆笑されるとは思わなかったけど。
「……つまりユリの妖精、リリィ・ホワイトの所為でこうなったわけね」
「はい」
「で、あまりにも胸が苦しすぎて私に助けを求めてきたと」
「そういう事です」
「なるほどなるほど」
納得したようにアスカは頷く。先ほどまでの慌てぶりからは想像も出来ない状況判断能力だ。ついさっき死ぬほど笑われた事に軽くショックを受けていたユリだったが、今は素直に彼女を頼もしく思う。
「なるほどね。胸、パッドのサイズより大きくなっちゃったわけだ。くっ、くくくく……良かったじゃん。巨乳になれて」
「アスカさん。その、必死に耐えてるような笑い方は止めてください」
「だってしょうがないじゃない。実際必死で耐えてるんだから」
さっきからアスカの言動に一々傷ついていたのだけど、もうそれを気にするのは止めにした。アスカに文句を言ったとしても受け容れてくれないだろう事は分かっていたから。
「それで、これをどうにかして欲しいんですけど?」
「どうにかって言ってもねぇ。ブラ、脱いじゃえば?」
「そんな事出来ればとっくにやってますよ」
「確かに。それじゃあ……保健室行って包帯貰って、サラシ代わりにするとか」
「ああ。なるほど……」
さすが女の子だとユリは関心する。確かにアスカの言うとおりにすれば何の問題も無いかもしれない。
いいアイディアを提案した事に気を良くしたのか、アスカはニコニコと笑っていた。
「ありがとうございますアスカさん。ボクだったら、絶対にそんな事思いつかなかったですよ」
「まーね。だてに十数年女やってきた訳じゃないから」
アスカの良く分からない自慢を聞きながらも、彼女に素直に感謝する事にした。このままずっとブラの締め付けに悩まされる事が無くなったのだ。それは万歳しても良いほど嬉しい事なのだと思う。
「でも本当に良かったね。これで合宿行っても、海水浴したって男だってバレないじゃん」
「へ……? アスカさん、何を言って……」
よく分からない、いや、むしろ分かってはいけないような事を口走ったアスカは、ユリの肩に手を置いてくる。彼女の朗らかな笑顔が、今はすっごく怖かった。
「放課後さ、近くのデパート行こうか?」
「な、なにしにですか……?」
「いや、だから、水着を買いに」
誰のための水着ですかと聞き返したかったけど、それはおそらく自分が考えているものと同じであろう事が簡単に予想出来たので、意味がない質問をするのは止めておいた。言葉にした瞬間に、もう逃れられないのでは無いかとも思ってしまったから。
***
リリィが力を失ったのには訳がある。御蔵サユリと丘野優里。セカンド・コンタクトで傷ついたこの2人の肉体を修繕するため、彼女は解離性絶域サーキットとしての限界を遙かに超えた行いをした。
そのためにオーバーロードした回路は焼きつき、妖精の存在に関わる程のダメージを残す結果となった。それは妖精にとっては致命傷であり、後遺症を残すまでに至った。
結果から言えば1人しか助けられなかったのだけど、リリィはそれを後悔していない。失ってしまった力を惜しむ事も、再び手に入れたいと願う事もない。
自分が誰かを助ける事が出来た事実がなにより嬉しかった。そして闘いに使うだけの力なんて、初めから無かった方が良かったのだと思っていた。
だから何一つ、悲しむ事なんて無いのだ。
でもほんの少しだけ悲しかったのは、芹葉ユリがリリィが力を行使できないと知ると、がっかりしたような表情をした事だった。
自分の価値は戦う力では無いと言ってあげたかったけど、妖精というのはそういう存在なのだと思い出して、何も言えなくなってしまった。
***
「ユリくんよ。一つ聞きたい事があるのだけどいいかね?」
「なんですかアスカさん?」
「……なんで、これから放課後どうしようかと和気藹々と会話を弾ませている私たちの輪の中に、神凪琴音という人物が紛れ込んでいるんですかね?」
明らかに不服といった感じの言葉を、アスカは話題の人である神凪琴音に聞こえてしまうボリュームで言った。わざと彼女に聞かせようという意図が丸分かりだ。それを理解していた琴音は、アスカの発言に対して徹底的に無視した。
「ええっと、今日琴音さんとお昼ご飯食べた時にいろいろ話してまして……それで、今日の放課後にアスカさんとデパートに行くって言ったら琴音さんも行きたいって」
「ああ、なるほど。分かりやすい。すっごく分かりやすい」
天蘭学園の授業が全て終わり、生徒たちが待ちに待っていた放課後となった。すると、いつも通り今日の放課後はどうしようかと雑談していたアスカ達の下に、神凪琴音が現われたのだった。
急な仇敵の登場にアスカは驚き、ユリに琴音の登場の理由を聞いてくる。彼が正直に昼の事を話すと、アスカは納得したように頷いていた。確かに納得はしていたのだが、受け容れることが出来るのとはまた違った問題らしい。確実に、機嫌を悪くしていた。
「琴音さん。ちょっと良いですか?」
「あら、そこに居たのねアスカさん。今まで全然気付かなかったわ」
あんなに大声で琴音の名を言葉として発していたのだから、琴音がアスカに話しかけられるまで気付かなかったという事は無いだろう。白々しいと心の中で悪態を吐きながら、アスカは出来うる限りの微笑みで話しかけ続けた。
「琴音さん程の高貴なお方が、私たち庶民が行くようなデパートに付いてきてくれるなんて、滅相もございませんわ。どうか、今日はこのままお帰りくださいませ」
「あらあらあら、御気遣いどうも。でもね、私はユリと一緒に行ければそれでいいの。それこそあなた達程度の人たちが満足できる様なお店でもね、私は十分なのよ」
おそらく売り言葉に買い言葉で、心にも無いきついセリフを吐いているのだろう。というか、彼女たちの恐ろしい会話のキャッチボールを見ていたユリはそうであって欲しいと願っていた。これが本音100パーセントであるならば、さすがに友人という関係だとしても怖く感じる。
アスカと琴音はそんなユリの怯えに気付いてくれなかったようで、皮肉な言葉たっぷりのラリーを繰り返していた。得点にすればマッチポイントの応酬だった。
「え、え〜っと、じゃあ今日はこれからデパートに出発って事で。それで良いですよね?」
さすがにこの状況に目を当てられなくなったのか、千秋が事態の打開に踏み出した。彼女のその言葉に、喧嘩一歩前だったアスカと琴音はそれぞれ頷く。
「……分かった。呼んでも無い奴が居るけど、さっさと行こう」
「そうね。こんな所で片桐さんと話していても、時間の無駄だものね」
一応頷いてくれたけど、2人とも相手への皮肉を忘れていなかった。よくもまあここまでいがみ合える物だと、ある意味で関心してしまう。
何はともあれ、ユリたちはデパートへと向かう事になってしまう。
蘭華町の商店地区へとバスで向かう間、ポツリとアスカが小言を漏らした。彼女の近くに座っていたユリは、その声を明確な形で聞き取る事が出来てしまった。
「しかし、まさか本当に行く事になるとは……」
「あれ、冗談だったんですか?」
アスカの言葉にユリは突っ込む。アスカは苦笑いして答える。
「半分冗談で、半分本気だった」
「ボクは100パーセント本気にしましたよ」
「それはご愁傷様」
他人事のようにアスカは笑う。彼女の言動に振り回されているユリにとっては、少しばかり腹立たしかったりする。何より今のユリの現状を改善できるかどうかも分からないのだ。先行きがまったく見えない事に、不安を感じているというのに。
(いや……むしろ、アスカさんのおかげで深刻に考えずに済んでるのかな)
彼女が本当にそこまで考えてくれているのか分からないけども、少なくともユリは感謝していた。その気持ちを声に出す事は無かったけども、ありがとうと心の中で呟いた。
いっそこのまま全てを冗談で済ませる事ができるようにと祈って、ユリは目的地までの道のりをバスから見える雨雲を見ることで潰す事にした。
「でもまあ良かったんじゃないの? 女の子になって」
「……それのどこに良い所があるって言うんですか」
会話の内容が内容なだけに、ユリは小声でアスカに返答する。誰かに聞かれなかったかと辺りを注意深く見渡してみると、琴音がこちらを不機嫌な視線で見ていた。おそらくバスに乗ってからアスカとだけ会話していたので拗ねてしまったのだろう。そんな彼女の子どもっぽい所に笑いがこみ上げてきてしまう。
「……聞いてる?」
「え、ああ、はい。ちゃんと聞いてます」
「ユリってたまに上の空な時あるよね。そこが抜けてるように見えるんだと思う」
「あはは……」
人生において何度か言われてきた事なので、さほど何も思わなかった。直さなくてはいけない事なのかもしれないけれど、こればっかりはどうにもならない物だと思う。気質というのは人間の根幹であり基礎なのだから、むりやり矯正しようとすれば歪みが出てくる。
そんな言い訳をユリは心の中でしていた。ただ単に自己の正当化なのかもしれないけれど。
「それで、何の話でしたっけ?」
「やっぱ聞いて無いんじゃない……」
「ご、ごめんなさい……」
「はぁ……。だからね、女の子になって良かったねって話」
「ああ、それですか……。っていうか、なんでそんな結論に行き着くんですか? 女の子になったって何にも良い事なんて……」
無いと思う。少なくとも、今日一日女として過ごしていて良かったと思った事など無かった。
「これから天蘭学園で生活するにあたって楽になるじゃない。男だってバレずに済むんだから、気を揉まずにいられるし。ユリだってそっちの方が楽だと思うんだけど?」
「それはそうかもしれないけど……でも」
ユリは自分の手のひらを見つめる。気のせいか昨日より小さくなった様に感じるその手は、非常に心もとなかった。それは他の部位にも言える事で、ユリにとっては不自然に膨らんだ胸も肉付きの良くなった脚も、全てが自分の身体でありながらそれを実感する事が困難だった。それが非常に怖い。
名前も苗字も変えてしまったユリが、唯一丘野優里から受け継いだ肉体を捨ててしまった。男という性を捨ててしまうと、半年前までは確かに存在していた丘野優里を殺してしまう気がして非常に嫌な気持ちになった。
その心細さをアスカに伝えたかったけど、上手く言葉で言い表せる自信なんて無かったので止めておいた。言葉で伝えるには、あまりにも生の言葉すぎる。下手に吐き出すとユリ自身が傷つきそうだった。
「……アスカさんは、それでいいの?」
「へ? 何が?」
「ボクが女の子になっても、アスカさんは別にどうでも良いんですか?」
割と真剣に、ユリはアスカに尋ねた。ユリの視線が切羽詰っている事に気付いたのか、アスカは言葉を詰まらせる。
その顔を見てユリは少し後悔していた。こんな事聞くべきではなかったと落胆する。
どうやら男である丘野優里はさほど好かれていないらしい。それがひたすら寂しかった。
***
ユリたちが辿り着いたのはどこの町にもあるような百貨店で、とりわけ言及する事の無いようなデパートだった。強いて言うなれば、その白い巨体が鏡餅のように段差を作った形なのが珍しい物であると言う事だけか。
ユリたちと共にこのデパートの入り口へと歩いていた琴音は、珍しそうに辺りを見渡していた。まさか、本当にこんな庶民の通うデパートになど来た事が無いのだろうか。改めて彼女の育ちの凄さを思わぬところで知ったような気がして、ユリは苦笑いを浮かべた。
「それじゃあ行きますか。水着売り場へ」
千秋がそう言ってこの集団を引き連れていく。彼女の意見に反抗できる言い訳も何も浮かばなかったので、ユリも素直に彼女に付いて行った。
「ユリは水着を持っていなかったのかしら?」
「え、ああ、はい。そうなんです」
重い足取りでデパート内を歩くユリに、琴音が話しかけてきた。彼女は気のせいか楽しそうな表情をしている。デパートの中を走り回る子どもとそれを追う親を見て、頬を緩めている。
彼女の表情は、今まで足も踏み入れた事のない場所に好奇心を書きたてられている子どもの顔だった。
「合宿のために用意しようと思ったの?」
「まあ……そんな所です」
このままだとずるずると合宿にまで参加する事になりそうだった。なんだかさらに事態がややこしくなる気がするのは気のせいだろうか? 一抹の不安を抱えながらも、ユリは琴音の言葉に相槌を打った。
「そうなの……。じゃあ、私が見繕ってあげるわ」
「へ? い、いいえ! それは良いですよ!!」
「いいのよ遠慮しないで。可愛い水着を選んであげるから」
にこにこと満足そうに笑いながら、琴音はユリの遠慮を却下した。ユリにとっては遠慮というよりも、本当に女物の水着を買うはめになる事を拒絶するための否定だったのだが。そんな事は露知らず、琴音はこれからするであろう水着選びを楽しみにしているらしかった。
どうもユリの周りの人間はユリの事を置いていって物事を進める傾向にある。なんだかどっと疲れたような気がして、ユリの足取りはさらに重くなったのだった。
***
「リリィは自分の力の事嫌いなの?」
御蔵サユリは生前、リリィ・ホワイトに対してそう問いかけた事がある。地球に襲い掛かった竜を撃退した後に、破壊の余韻が漂うT・Gearのコックピット内でそう尋ねてきた。
リリィは彼女の質問に対して曖昧な笑顔で返しただけ。自分の本心を語る事など無かった。もちろんそれは主人である御蔵サユリに伝わってしまったらしく、不機嫌に頬を膨らませてしまう。
自分の力が嫌いかと問われれば、リリィは間違いなくYESと答えてしまう。竜を殺す力だから嫌いなのかと言われれば、それはNOである。
存在の変質というのは、なにより根幹に根ざす力なのだと思う。存在の根源に触れてしまう、あまりにも深すぎる力なのだと思う。
物を変えてしまうという事は、今まで存在してきたその物質の過去を否定してしまう事なのだと思うから。芹葉ユリが丘野優里という存在が消えてしまったと思ったように、それはあまりにも一方的すぎる力なのだと思うから。
リリィはそれが嫌だった。誰かの過去を、存在理由を否定する力なんて嫌いだった。
それでも所詮妖精は戦う力なのだ。それが解離性絶域サーキットの存在意義なのだ。
出来ればこの力で不幸になる者がいないように。そうリリィは願い続けていた。
***
「嫌です!! 絶対着ません!!」
「いいからいいから。一回着てみてよ。絶対に似合うって」
「似合おうが似合うまいがどうでもいいです!! その紐水着はっ、絶対着ません!! それこそ死んだって着ません!!」
「そりゃあまあ、死体には死に装束は着せても水着は着せないよねぇ」
そういう問題でもないだろうに。
デパートの水着売り場にて、アスカがユリに勧めてきた水着はかなり生地の少ない際どい物だった。しかも黒い色の水着。なんとなくだけどすごくエロっちぃ。
「そうよアスカさん。そんな水着はしたない。ユリにはこの水着の方が……」
「琴音さんのもダメー!! この水着、背中が開きまくりじゃないですか!!」
「そ、そうなの……? 残念だわ……」
アスカは一応冗談で選んだらしかったが、琴音の方は割りと本気で選んだ水着だったらしい。素直にショックを受けていた。
ユリたちが足を運んだ水着売り場はデパートの一角にある。どこかのブランド店がスペースを借りている物ではなく、どこの町にでもありそうなデパート自身が商品を仕入れて販売している小さい水着売り場だった。その性質ゆえにあまり良い水着は見つけられそうに無かったが、何故かアスカと琴音は先ほどのようなセンスの溢れすぎた水着を見つけてくる。そのセンスがユリの嗜好とはまったくあっていないのがかなりの問題となっているのだが。
「いいから着てみてよ。きっと面白いから」
「面白いで着るように勧めないでくださいよ!! っていうかさっきの水着じゃなくなってる!! もっと生地が少なくなってる気がする!!」
「Tバックってすごいよねー。こんなもの、服を着ているって言えないもん」
他人事だからどうでもいいという風にアスカは言ってくる。そこまで言うなら自分が着てみろとユリは言いたかった。
ユリは一生懸命になって彼女の押し付けを拒絶する。それが自然に大声となり、水着売り場に木霊する。店の迷惑になる事は十分理解していたが、声のボリュームを抑えることはどうしてもできなかった。
「こらこらみんな。そんなにユリちゃんを虐めちゃダメでしょ? いくらなんでも可哀想だよ」
「千秋さん……」
困っているユリを見かねてなのか、千秋が助け舟を出してきた。ようやく収束に向かいそうな現状に、少しだけホッとする。
「だからさ、この水着でいいんじゃない? じゃじゃーん! フリフリの花柄ビキニー」
「そう? それ、なんだか子どもっぽすぎない?」
「そうよね。いくらなんでもそれは無いと思うわ」
「みんな分かってないなぁ。こういう風にロリロリっぽさを強調すればわんさかと男が寄ってくる……」
何故かユリの水着の事で三人が議論を繰り広げている。あまりにも頭が痛くなるような展開に、ユリは喉を振るわせて叫んだ。
「千秋さん!? なんで千秋さんまで一緒になって選んでるの!?」
どうやら助け舟は泥舟だったらしく、いとも簡単にユリを再び溺れさせた。千秋はユリの抗議を笑っていなす。
「いやあね、なんだか他人の水着を選んでると楽しくって楽しくって。着せ替え人形を楽しむみたいな?」
「千秋さんっ!!」
溺れる者は藁をも掴むと聞くが、ユリの周りにはその藁すらなかったらしい。事態はさらに深みへと沈んでいって、もう乾いた笑いしか出てこなかった。
「試着はタダなんだし、一応着てみるだけ着てみれば」
「だから着るのが嫌なんですって……」
「物は試しだよ。ほらほら」
アスカ、琴音、そして千秋がそれぞれ選んだ計3着の水着を手渡され、ユリは試着室に押し込まれる。もうこうなってしまっては何か着ないで出る事は許されそうに無かった。
(何がどうなってここにいるんだか……)
ユリはため息を一つ吐く。それは試着室内に溜まり、空気を淀ませる事になると知っていたが止められるような物でもなかった。
周囲を見渡すと、全身が映るようになっている大きな鏡と着ている服を掛ける事が出来るハンガーラックがある事を知る。僅か一畳あまりの広さしか持たないこの空間は、大きな鏡の持つ日常的非日常の所為で妙な圧迫感があった。
なんにせよ、この場所から逃げ出す事なんて出来そうに無かった。脱出口となりそうな穴なんて見当たらない。まあそんな物が存在していたとしても、たかが水着を着るのが嫌だからどこぞの脱獄犯のように逃げ出す気も無いのだけど。
「リリィ・ホワイト」
心を込めてその名を呼んで、ユリは百合の妖精を現実化させる。ユリの目の前の空間が煌き、光を弾かせて少女を呼び出した。
「ユリちゃん……?」
なぜ自分が呼び出されたのか分からず、リリィは戸惑っているようだった。驚きの表情を見せたと思ったらすぐに不安のそれになり、ユリの顔色を伺ってくる。もしかしたらユリを女の子にした事を怒っていると思ってしまったのかもしれない。
自分の妖精だからなのか、手に取るように分かる彼女の思考にユリは苦笑いした。
「ええっとね、リリィ。実はちょっと頼みたい事があってさ」
「私に、頼みたいこと……?」
「うん、そう。実はこれなんだけど……」
出来るだけリリィを元気付けるために。出来るだけ彼女に気を使わせないように。そう配慮して明るい声で話しかけた。
「これって……水着?」
「そう。水着」
「……どうするの、これ?」
「うん、だから。どれを着た方がいいかなぁって、リリィに相談したくて」
まあそんな物口実で、本当はリリィと会話する機会を持ちたかっただけだったのだが。その真意は決して口に出さずに、ユリはリリィに微笑んだ。
「んーっとねぇ……じゃあこっち着てみたら可愛いと思うよ」
「え? いや、それは無いでしょ」
「え? ええ?」
優しく接しようと心がけたつもりだったが、リリィの意見をいきなり拒否してしまった。彼女が選んだのがアスカの渡した水着だったというのが一番の理由だったけど。
***
「……どうですか?」
慣れない服に着替え終わり、ユリは試着室のカーテンを開けた。当然そこにはアスカたち3人の姿があり、彼女たちはユリを見て三者三様のリアクションを見せてくれた。
「まあ♪ よく似合ってるわよユリ」
「ちっ……」
「ちっ……」
賞賛1つに舌打ちが2つだった。ちなみに褒めてくれたのは琴音の方で、あとの2人は舌打ちだった。そのリアクションから分かるように、ユリが選んだのは琴音の水着。背中が大きく開いている事は気になるものの、比較的生地の多い純白のワンピース水着だった。
ユリにとっては、なんとなく裸を見られているようで落ち着かない。いつもは鬱陶しく感じていたスカートが無い事が、非常に不安だった。服の感触がまるで無い所為か、何も着ていない気がしてたまらない。誰かに見られていると意識しただけで、恥ずかしさのあまり体温が上がってしまっていた。
これしか選ぶ余地が無かったと言えばそうなのだけど、琴音は自分の水着を選んでくれたユリに気を良くしたようだ。にこにこと笑いながら恥ずかしさのあまり小さくなっているユリをなだめていた。
「ユリちゃん、結構胸あったんだね。仲間と思ってただけにショックだよ……」
千秋の舌打ちは別の意味も含まれていたらしい。彼女は水着姿のユリを見て恨みがましい視線を向けてくる。
確かに今のユリの胸は結構なボリュームがあったけども、ある意味でこれは偽物だ。普段なら誰にだって負けてますと言ってあげたかった。
言ったら言ったで嫌味だと取られられるだろうか。
散々ユリを着せ替えて楽しんだ彼女たちは、ようやく自分の水着を選ぶ事にしたらしい。あんなに構ってくれていたユリを水着売り場の近くのベンチに放っておいて、目ぼしい水着の前に立ってなにやら喋っていた。
(うわー。ちょっと寂しい)
彼女たちの輪の中に入っていけば良いのかもしれないけれど、元は男であるユリにとっては馴染めるような雰囲気では無かったのでそれは無理そうだった。彼女たちは水着選びを本当に楽しんでいるようで、やっぱり女の子なんだと思う。それが確かな溝として、ユリとの間に存在している事を実感した。
(やっぱりボクはどうなったってボクのままらしいね……)
いくら肉体を変えたってユリは女性になりきれない。自分の本質が変わるわけじゃない。それを心で理解して、ユリは少しだけ安心した。
男だった時もその容姿から男性になりきれなかった事に悩んでいたのだが、中学の後半ではすでに諦めの境地に入っていたはずだ。男らしさを追求するよりも、自分らしく生きた方が良いと悟っていたはずだ。
だから。そうだからこそ。今更ユリが女になったって、自分が消えてしまうなんて思う必要はない。どうあったってユリはユリのままなのだ。それを悩む意味なんて無かった。
さすがにずっとこのままだと困るのだけど。
(……それにしても)
ユリは思考の森から帰ってきて、再び水着を選んでいる友人たちに目を移す。彼女たちは相変わらずなにやら水着を批評しながら選んでいるようだった。
その輪の中に、アスカと千秋に混じって、神凪琴音が居た。あんなにもいがみ合っていたのにも関わらず、驚くぐらい馴染んでいた。
さすがに急に仲良くなれるわけでは無いらしく、アスカの意見に対して否定的な事を言っては彼女を怒らせているようだったけど。遠目であってもアスカの表情からそれが読み取れた。
でも、そこに以前のような破裂しそうな空気感は無い。前よりも遙かにリラックスできた物になっていると思う。心なしか、琴音も彼女たちとの会話を楽しんでいるように思えるし。
(結局ボクが何もしなくたって、落ち着く所には落ち着くんだよね)
ユリは琴音とアスカが普通に会話できている事に安堵感を感じていた。それと同時に自分の無力さをひしひしと実感していたのだが。ユリはそれは仕方ないと思い切る。寂しくないと言えば嘘になるのだが、それも良い事のはずだ。
そんな事を考えながら、ユリは水着批評が白熱するあまり、どんどん大声になっていくアスカと琴音を優しい目で見ていた。なにやらこちらに聞こえてくる単語の中には、店側からしてみればあまり好ましくない物が含まれていた気がしたのだが、気のせいだったのだろうか?
確かに感じる冷や汗を拭いながら、ユリは今の時だけは彼女たちとは他人のフリをする事にした。
***
ユリたちの居るデパートに店舗を構えているケーキ屋は、女の子たちの間では何かと評判らしい。アスカや千秋たちから聞いた感じでは、ケーキに使われている生クリームが美味しく、スポンジに使われている隠し味のワインがポイントだとか。さほどケーキに興味は無かったためにその話は聞き流す程度だったのだが、それでもそのケーキ屋のお菓子がすごく美味しいものなのだという事はユリにも伝わっていた。
だからこそ、その噂のケーキを買うために30分近く待たされている今の状況も、どうにか納得する事ができるのだった。いや、さすがに30分は長いけど。
「うわー。さすがに人気があるだけあって待たされるねー」
「そうですねぇ……。琴音さんと千秋さん、なんか可哀想」
ユリはジャンケンという勝負事に負けたために、ケーキ屋の長い列に並ばされている琴音と千秋を見た。心なしか彼女たちの顔に疲れの色が見えていると思う。特に琴音なんて、何かを買うために待たされると言う事を今までやった事がなさそうである。初めての経験に戸惑っているように見えた。
しかも、神凪琴音であると気づかれて同じように列に並んでいた人に握手などを求められたりしている。彼女はこういう所でも人気があるらしかったが、そういった場面では気恥ずかしくて堪らないだろう。少し可哀想に思える。
彼女たちに全てを押し付けたユリとアスカは、揃って近くにあったベンチに腰を下ろしている。結局買うはめになってしまった、琴音が選んでくれた水着を膝の上に置いて、琴音と千秋の帰りをじっと待っていた。
「あのー、アスカさん。ひとつ聞きたい事があるんですけど良いですか?」
「んー? なあに?」
「合宿の事なんですけど……」
「合宿? 合宿がどうかしたの?」
水着売り場ではしゃぎ過ぎた所為か、アスカは疲れているようだった。ユリの言葉への返答も、どこか魂が入っていない。まああれだけ騒げば誰だってそうなるだろうと呆れつつも、ユリは言葉を続ける。
「ボク、合宿に行っても良いんですか?」
「良いんじゃない? 別に」
なんとも興味が無さそうにアスカは言う。さすがにその態度はどうかと思い、ユリは言葉に力が入った。
「でもボク、男なんですよ? 合宿って言ったら、その、一緒に寝泊りする事になるわけで……もしかしたらお風呂とかも」
「今、ユリは女の子じゃん」
そういう問題じゃないだろう。自分にとっては真剣な話だったユリは、抗議の視線をアスカへと向けていた。それにようやく気付いたアスカは、笑いながらユリをいさめようとする。
「じゃー逆に聞くけどさ、ユリは女の子と一緒の部屋に寝たら獣の如く襲い掛かるの? 一緒にお風呂に入ったら、エッチな事しちゃうわけ?」
「なっ!? そ、そんな事するわけ無いじゃないですか!!!」
「うん。そうだろうね。誰でもないユリだからね。そういう事しないだろうと私は信じてる。だから別にいいんじゃない?」
「……アスカさん。それは信じているというよりも、ただ単に男として見る事が出来ないってだけなんじゃ……」
「そりゃそうだよ。私にとっては、ユリは出会った時から女の子だったんだもん。それを途中で捻じ曲げろという方が無理がある」
ああなるほどなとユリは納得してしまった。アスカにとっては、初対面から今まで、ユリはずっと女の子だったのだ。だからこそ昨日家へと招き入れてくれたのだろうし、今までずっと優しくしてくれたのだろう。彼女にとっては、男である丘野優里なんて存在は最初から居なかったに等しいのだ。それはもちろん、つい先日指輪をプレゼントしてくれた神凪琴音も同じなのだと思う。
自分の浮かれ気分に水をかけられた気がしたユリは、少しばかり落ち込んだ。彼女たちの優しさはあくまで女の子のユリに与えられていた物で、本当の自分には何一つ受け取る資格が無いという事を気付かされた気がして、非常に哀しかった。
そんなユリの気持ちを知ってか知らずか、アスカは冗談めかした口調で言う。
「まあもし万が一ユリが変な事を私を含めた女子生徒にやろうとしたらさ、私が全力を出して止めてあげるから。だから安心しなさいな」
「ぜ、全力でですか……」
暴走したT・Gearを力任せにねじ伏せたアスカの力を思い出して、ユリは苦笑いする。アスカの言う状況になってしまえば、おそらくユリの命が無いことは想像するに容易かった。
「あれー? 君ってもしかして、芹葉ユリ?」
「え……?」
ベンチに座って語り合っていたユリたちに、見ず知らずの2人組の男性から声がかけられた。彼らは私服を着ていたけども、その背格好からおそらく高校生ぐらいだろうなと思う。
もしかして自分が忘れてしまっただけで、本当は知り合いなのでは無いかと思い、なんとか記憶の片隅から彼らの顔を引きずり出そうとする。しかし脳から彼らの顔を検索する行為は失敗に終わり、やはり彼らとは初対面なのだろうという結論を出してしまう。
隣のアスカを見てみると、この人たちは誰なのだと視線でユリに聞いてきていた。つまり、別にアスカ側の知り合いではないらしい。
「そうだよね? 芹葉ユリだよね?」
「は、はい。そうですけど……? どちら様ですか?」
「うっわすげえ! 本物!?」
「マジで!? 会場のモニタで見たのより全然可愛いじゃん!!」
質問とはまったく別の言葉を返してきてくれる。会場という事は、どうやら彼らは新入生歓迎大会でユリの事を知った人らしい。そういう事かとどこかで納得して、何も一回戦で神凪琴音にボロ負けした自分を覚えてくれなくても良いだろうと捻くれてしまう。あまり、歓迎大会の時の事は思い出したくなかったのだ。いい思い出なんて、何一つありはしないのだから。
そんなユリの気持ちを知らずに、彼らは勝手に話を進めていく。
「いやーすごいよ。まさかこんな所で芹葉ユリに会えるとは思わなかった。写メ取っていい?」
「え? え? あ、はい」
「今日はこんな所で何してんの? 買い物? もう終わったの?」
「そ、そうですけど」
「ふ〜ん。それじゃあさ、この後は暇なんだよね? じゃあ俺たちと一緒にカラオケとかどう?」
「へ? ええ?」
こういう一方的に押し付けられる会話に慣れていないユリは、しどろもどろになりながら何とか対応しようとする。それがまったく自分にとって良い方向に向かっていないのが哀れである。
「ちょっと。ユリはこれから私たちと帰るんで邪魔しないでください。ナンパなら他所でやってよ」
怒気を孕んだ声で、アスカが2人組の男性を牽制する。どうやらあまりのユリの不甲斐なさに助け舟を出してくれたらしい。その事にユリは素直に安心した。そのすぐ後にさすがに自分の情けなさに気付いたけども。
「あっ、ごめんねー。そうだよね、一人じゃなんだよね。じゃあ君も一緒に行こうか? 結構可愛いし」
「はぁ? 何言ってんですか。もうちょっと脳みそ使って話してくださいよ。私、日本語しか話せないんですけど」
口調は丁寧だったけども、かなり怒っているらしい事が言葉の端々から伝わってくる。ナンパしてきたらしい2人組も、アスカの言葉を聞いた初めの頃は笑っていたけども、少しずつ表情を硬くしていく。非常に険悪な雰囲気になるのに、さほどの時間はかからなかった。
「君……ちょっと口が過ぎるんじゃねえの? あんまり舐めた真似しない方がいいと思うけど?」
「誰が舐めてるって? 私だってね、舐める物は選ぶわよ。見るからに不味そうなもん、誰が口にするか」
「ア、アスカさん!? それはちょっと言い過ぎ……」
「いいのよこれくらい。勘違いヤローには強く言わないと、一生自分の馬鹿さ加減分かんないんだから」
アスカはベンチから立ち上がり、2人組と対峙する。そのにらみ合いはしばらく続き、まさに一触即発と言っていいほどの緊張感を生み出していた。琴音の時といい今といい、もしかしてアスカは場を戦場にするのが得意なのではないだろうか? あまり褒めれた物ではない才能を、ユリはすっごく恨む。
事の発端であるだろうユリは、ただ彼らの事を見ている事しか出来ない。触れてしまえば爆発しそうな、パンパンに膨れた怒気がそれを示していた。
「調子に乗ってんじゃねえぞクソアマ」
「うっさいニワトリ頭」
「このっ!」
堪忍袋の緒が切れてしまったのか、2人組の内の1人がアスカに掴みかかろうとする。さすがにこれはヤバイと感じたユリだったが、あまりに突然の事に体が動かなかった。
(あぶないっ!!)
これから起こるであろう最悪な展開を予想して目を瞑ってしまう。一般常識として男が無抵抗の女を殴る事は無いと思いたいけど、今の世ではどうなるか分かったもんじゃない。
まあそれよりも最悪なのは、アスカが彼らを殴り伏せる事なのだけど。彼女の妖精の力を使えばそれは容易い事だろうし、ただの怪我では済まない程の傷を与える事だって出来るだろう。実際、アスカが負けている様子を想像する方が難しかった。
どっちにしろ、彼らの交戦が始まってしまったらただじゃ済まない。どちらかが、酷く傷ついてしまうかもしれない。ユリはその恐ろしい結末を見る事が出来なかった。
「……?」
いつまで経っても聞こえてこない被害者の悲鳴。まさかアスカが悲鳴を出させない程素早く倒したのかと思い、恐る恐る目を開ける。瞼を開けたユリの前に広がっていたのは、背後から誰かに腕を掴まれている男性の姿と、厳しい目でそれを見つめているアスカの姿だった。どうやら、まだアスカは手を出していないらしい。最悪の展開には至らずに済んだようだ。誰か今までの事を見ていた人が、助けてくれたのだと思う。
「て、てめぇ! 離しやがれ!!」
「男の美徳として女の子には優しくするものだと思うけど。さすがに今のはカッコ悪すぎて見ていられなかった」
「え……? 悟?」
何度も聞いた事のある声が、男性の背後から聞こえてくる。その声の持ち主はナンパ男の腕を締め上げながら、もう1人の方を牽制していた。
こういったケンカに発展しそうな場合は自分では対処しきれない敵の動向に注意しなければならないのがセオリー。どんな人間だって、一人を相手してる時に他の誰かから襲われればひとたまりも無い。そういう基本をきちっと分かっているという事は、助けてくれた悟はケンカ慣れしているという事なのだろうか。長年一緒に居たが、初めて見た悟の側面に少し寒気がする。
「この子、俺の知り合いなんだよね。手を出すの止めてくれ」
突き飛ばすように、悟は男の手を離して相方の方へと押しやる。極められた腕の痛みからか、男は肩を抑えて悟の方を見た。彼の視線には明らかに怒りの色が塗られている。
まさかこのまま大乱闘に発展してしまうのだろうか。その最悪の展開を予想してしまったユリは、背中に嫌な汗を掻く。
しかし、その予想は良い意味で裏切られた。
「ちっ……行くぞ」
「あ、ああ……」
悟の方を睨みながらも、2人組の男性は舌打ちして踵を返して行ってしまった。確かにこの場でケンカになり、そして勝利したとしても彼らは何も得る事は無い。そういった意味では、適切な判断だったのかもしれない。彼らに状況を判断できる理性があった事にユリは心の中で感謝した。
「大丈夫? 怪我とか無い?」
「あ、はい。大丈夫です」
「そっか。それじゃあ良かった」
2人組が視界から居なくなると、悟がにこやかな顔をして話しかけてきた。おそらくそれは緊張感で張り詰めたこの場の空気と自分の心をどうにかするための空元気なのだろう。
ユリは彼を心配させないように、出来るだけ笑顔で頷いてあげた。
「片桐さんも大丈夫?」
「まーね。……別に助けてくれなくても良かったのに。その気になったらボコボコにする事だって出来たし」
「あはは……そうだね」
悟に助けられた事が不満らしいアスカは、片頬を膨らませて不機嫌になっていた。まさか本当にケンカをするつもりだったのだろうか。呆れたのか怖く思ったのか、悟は苦笑いしているだけだった。
「悟、くん……。どうしてここに?」
「え? えーっとね、ちょっと買いたい物があってここに来たんだけど……。そしたらさっきの見ちゃって」
「そっか……。うん、本当にありがとうね。すっごく助かった」
「いいって。そんなに気にしないで」
ユリは悟に素直に感謝して、頭を下げる。それが照れくさいのか、悟は頭を掻いていた。
(悟、すっごくカッコいいなぁ。ボクも見習いたいよ……)
何も出来なかった自分が不甲斐なくて、そんな事を思ってしまう。もうちょっと強くなりたいと、憧れの視線で悟の方を見ていた。
悟も悟でユリの方を見ていたので、自然と2人の視線が絡み合う事になる。数秒間互いの瞳を見つめる事になってしまうと、何故かこちらの体温が上がって行く。何をどう間違ったのか、彼に見られていると思うと首筋が熱くなっていった。
多分、それは完全に女になってしまった自分を、悟に直視されてしまったからなのだと思う。男の頃のユリを知っている彼に今の状況を知られてしまえば、恥ずかしくて死にそうになる。まあ正体がばれる事は無いのだろうが、少し想像してみただけでもダメだった。
それが耐えられなかったユリは、根負けしたように顔を伏せてしまう。
「ちょ、あんたたちっ! 何見詰め合って頬染めてるのよ!!」
「べ、別にそんな事してませんよ!」
何故かアスカが怒りながらユリの頭を叩く。ユリは自分の心の動揺を隠すように、声を張って彼女の言葉を否定する。悟はまたもや苦笑いしていた。
「あれー? ユリちゃんたちどうしたのー?」
ケーキを人数分買ってきたらしい千秋が、何やら大騒ぎしているユリたちに話しかけてくる。彼女の隣には千秋と同じようにケーキの包みを持った琴音が居た。琴音は、ユリの傍らに悟の姿を見つけると眉間に皺を作った。
「え、えーっとですね。ナンパされちゃって……。あはははは……」
自分の体内にこもった熱を誤魔化すように、ユリは冗談めかして先ほどの出来事を説明した。しかしそれが中途半端な説明になってしまったためか、要らぬ誤解を生み出してしまう。
「あなた……ユリをナンパしたの?」
「へ? い、いえ! そういう訳じゃ……」
怖い顔を琴音が詰め寄ったのは、ユリの傍に居た悟青年だった。まあこの状況下ではそう思うのも仕方ないかもしれない。だがしかし、そんな事していない悟にとっては身に覚えの無い事で責められているに他ならない。
「琴音さん、そういう訳じゃなくて……」
「ユリ。大丈夫だった? 何か変な事されてない?」
変な事ってなんだよとも言いたかったが、それは琴音に真正面から抱きしめられる事で邪魔される。琴音はまるで女の子がお気に入りのぬいぐるみを抱くようにユリをその胸の中に入れ、悟に渡さないと身体であらわすようにユリの姿を見せないように隠した。
「あなた。ユリに何か……」
「してません。神に誓って、本当に何もしてません」
琴音からの信頼がゼロだと言う事を態度で示された悟は、両手をあげて何もしていないと身体で表現する。ユリとアスカを助けてくれたという功績を残した割には、非常に可哀想な扱いだった。
***
空は夜色。砂粒の様な大きさに見える星々の光が天に振り掛けられ、夜空に彩りを与えている。その風景の変化に伴い、外気は熱を失いひんやりとした感触をその身に宿していた。
そんな夜の世界を、ユリたちは歩いている。目指す先はそれぞれの自宅。つまり、楽しかった友との遊びのは終わり、自宅へと帰っていく途中だという事。その寂しさが溢れる帰宅路を、会話少なめに歩んでいく。
「やっぱ夜はちょっと冷えるね……」
ユリの隣を歩いていたアスカが、誰に問いかけたわけでも無いように呟いた。ユリは、それに頷いて答える。
ユリとアスカの数歩先には琴音と千秋の姿がある。アスカを抜かせば2人は普通に付き合っていけるらしく、何やら会話していた。さほど盛り上がっているようには見えないけども、それでもユリには十分に思えた。あれなら、今後もやっていけると思う。
そして、ユリはちらりと後ろを見やる。ユリたちの後ろには、それに続くように付いてきている角田悟が居た。デパートにて、今日の昼のお礼を兼ねてケーキを奢ってあげたのだが、彼は琴音に詰め寄られた事に気を悪くしていないだろうか? そういう、悟の微妙な心境が今は無性に気になっていた。
そんなユリの悩みを知らず、彼はここ最近の梅雨の雨によって湿ったアスファルトの上をゆっくりと歩いている。まるで前を歩くお姫様たちを見守るナイトのように、歩幅をこちらの歩行スピードに合わせてくれていた。なんだかんだで、面倒見のいい奴だとは思う。そうだからこそ、今日の待遇はあまりにも不憫に思えた。
ユリは少し深呼吸して、夜の空気を胸いっぱいに吸い込む。気のせいかもしれないが、その空気は少し寂しい味がした。
「……今日はごめんね」
「え?」
ユリの突拍子も無い言葉に、隣のアスカは驚いたような声をあげた。おそらくそれは謝られる理由が見当たらなかったからなのだろう。不思議そうな顔をして、アスカはユリの方を見る。ユリは苦笑いしながら、先ほどの謝罪の意味を彼女に伝える。
「ほら、今日の昼に……ナンパされた時に、守ってあげられなかったから」
「ああ……あれね。別に、全然気にしてないけど」
「そう……。でもごめんね。本当だったら、男のボクが助けてあげないといけないのに」
ユリは、昼の出来事をまだ引きずっていた。何も出来ずにただ見ていただけの自分が、非常に情けなかった。
人間は、特にその中でも男は、無力感に打ちひしがれる事を非常に嫌う。何も出来ない自分という物を嫌悪する。どこかの学者の言っていた事ではあるが、男は女と違い、その人生の中で生きる意味を見つけなくてはいけないらしい。女は初めから子を産むという生きる意義を与えられるが、男にはそれが無い。だから、誰かに必要とされる力を得なくてはならない。
そんな強迫観念に苛まれて生きざるおえない男は、ある意味で女より幸せになり辛い人種だった。それは、おそらく不幸な事なのだと思う。
「だから気にしてないってば。それにさ、今ユリは女じゃん」
「あはは……そうだったね」
だからこそ。女になってしまった今だからこそ、せめて行動では男でありたいと願っていたのだ。
それを分かってくれなかったアスカは、無神経にユリが女である事を再確認させてくる。それは辛かったけど、でも笑うしかなかった。
「でもさー。あのナンパ、酷かったよね。何が酷いって、私をユリの二の次にした事。それが一番許せない」
「はは、ははは……」
もしかして、あんなにアスカが怒っていたのはそれが理由だったのだろうか? あまり聞きたくなかった新事実に、ユリは乾いた笑いしか出てこない。
「……でも、あの人たちの気持ちも少しだけ分かるかも」
「なに? 私よりユリの方になびく気持ちが分かるって?」
「いや、そこじゃなくてですね……」
「じゃあどこが分かるっていうのよ」
「だから、ナンパしてくる人の気持ちが」
「……ユリも所詮男だって事か」
呆れたような、どこか軽蔑するような目をアスカは向けてきた。その嫌に冷たい視線は、地味にユリの心を突付いてくる。そんな視線に晒され続けるわけには行かないので、ユリはさっさと言い訳する事にした。
「ボク……アスカさんと会えて本当に良かったと思ってます」
「へ?」
「ほら、ボクってアスカさんに女の子に間違えられたおかげで天蘭学園に居られるでしょう? そのお陰で千秋さんとも琴音さんとも会えて……。悟とは……まあ、あのままでずっと一緒だったとは思うけど。でも、アスカさんのおかげで自分が進みたい道へと歩む事が出来て、そしてとっても大切な人たちと出会えて……」
「んー。確かにそうかもね。でもそれがどうかしたの?」
「そういうボクの今の生活が無かったら……普通の男として生活してたら、アスカさんとも琴音さんとも会えなかった訳ですよね? それ、なんだかすっごく寂しい事だなぁって。だから……もし、ボクとアスカさんが出会って無くて、どこかの街の中で初めてアスカさんを見かけたら……きっと、ナンパしちゃうと思うんですよね」
「へ? そ、そうなの?」
ユリの言葉を聞いて、アスカは頬を染める。いつも強気な彼女が押し負けている感じなのは、非常に珍しかった。
「だって、アスカさんと知り合えないっていうのは、やっぱりすごく哀しい事だと思うから。だから、ナンパでも何でもしてお知り合いになりたいなぁって」
大切な人と出会えなかった不幸というのは、『知覚できない不幸』なのだと思う。不幸であったとしても、それを知る事が出来ないのだからどうしようもない。ただ会えた幸運だけを感じる事が出来、そして寂しさを感じる事の無い、この世界で一番優しい奇跡なのかもしれない。出会いとは、得てしてそういう物だった。
そういった意味で、出会いを求めるナンパをいうものは、その奇跡を求め続ける事なのかもしれない。まあ多少の下心はあるかもしれないけども、それでも内気なユリにとっては羨むべき物だった。自分で出会いの運命を切り開けるというのなら、それは確かな強さだったから。
そんな考えをアスカにぶつけてみると、彼女はユリらしい考えだねと笑ってくれた。ただそれだけで、少し心が温かくなる。
「……でも、私はナンパは嫌いだなぁ」
「そっか」
ここまで嫌がっているアスカを実際ナンパするとなると、おそらく非常に困難な道になるのだろう。試しに頭の中で自分がアスカを口説き落としている場面を思い浮かべてみると、何度シミュレーションしたって、頭に浮かぶのはアスカに追い返されている自分の姿だった。
どうやら、想像の中でさえ満足にナンパできそうに無いらしい。その事に不甲斐なさを感じながらも、ユリは今の自分の環境に感謝する。アスカに会えて、琴音に会えて、本当によかったと。その僅かな偶然と奇跡によって作られた運命を愛しく感じていた。
「アスカさん……」
「なあに?」
「今度何かあったら、ボクが必ず守ってあげますから」
自分の日常があまりにも素晴らしくて、決して失いたくないと思う。だから、そんな言葉がすんなりと出てきてしまった。
アスカはそんなユリの言葉を聞いて、先ほどよりももっと顔を紅くする。なにか言いたげだったが、口を噤み一言だけ漏らすに留まった。
「……その時が来る事、楽しみに待ってるわ」
それは酷くぶっきらぼうな言葉だったけど、恥ずかしがっているアスカを見る事が出来ただけでも儲けものだと思う事にした。
***
「ぎにゃああああああ!!!!」
デパートで女物の水着を買うという羞恥プレイの翌日の朝。ユリは、その自室で思いっきり叫んだ。それは見事なまでの悲鳴であり、ユリの身に何かが起こったという事を他へと知らせるサイレンとなっていた。
肝心なユリの状況はというと、ベッドの中で身体を縮めて蹲っている。一応は起きているらしいが、ちっとも動こうとしなかった。
この姿を他人が見れば、おそらく先ほどの悲鳴は大きすぎる寝言か、または足でも攣ってしまったのかと思うのだろう。だがしかし、動いていないように見えるユリの身体には非常に拙い事が起こっている最中だった。
「い、痛い……。死ぬほど、痛い……」
そう。朝起きたら、身体中が痛かった。筋肉痛に似た痛みが、全身を爆走している。筋肉痛に例えたものの、その傷みの辛さと範囲の規模はユリの人生において経験なんてした事の無い物だった。まるで100キロマラソンを24時間かけて行ったような、肉体が軋みをあげる痛みと疲労感がユリを襲っている。
ユリがまったくと言っていいほど動かなかったのは、ただ単純に動けば激しい痛みがユリを襲うからである。いつもならその感触が気持ちいいクリーニングに出したばかりのシーツでさえ、今のユリにとってはヤスリに他ならない。少し肌に触れるだけで、泣きたくなってしまう。
「う、あ、な、なんで……。昨日、そんなに動いてない、のに……」
どんなにじっとしていても襲い掛かってくる痛みに絶望しながら、ユリはそう漏らした。この痛みの原因となる要素なんて、無かったはずだ。少なくとも、ユリが思い出せる昨日の記憶の中では、目星を付けられない。もしかしたら何かの病気なのではないだろうかと、本気で心配してしまった。
「う〜ん……やっぱり、生きてる人の肉体を変えちゃう力っていうのは負担が大きいみたいだね。ユリちゃん、昨日の力はあまり使わない方がいいみたいだよ?」
「リ、リリィ?」
いつの間にか発現していたリリィ・ホワイトが、ユリの目の前に下りてくる。彼女は少し済まなそうな表情をしていた。
もしかしてと思い、ユリは痛む体を動かして自分の胸元を弄ってみる。そこには、昨日散々ユリを悩ました脂肪の塊は存在しない。馴染みのある、薄い胸板の感触だけがあった。という事は、おそらく下半身の方も元に戻っているのだろう。
「リリィ……これって、もしかして、昨日の副作用……?」
「そうだよ。きっと。今度使う時は気をつけてね? 下手をしたら体組織を壊死させちゃう……」
「誰が二度と使うかー!!!!」
二日連続で自分の妖精にユリは怒鳴った。その怒鳴り声が身体に伝わり、さらに悶絶する痛みを生み出したのだが、それは本当に可哀想な姿だった。
何はともあれ、ユリは男に戻る事が出来た。その代償として経験したくない痛みを受け取ってしまったのだが、それでも事態はいい方向へと好転したのだろう。
そう思い込む事で、ユリは必死に痛みを我慢し続けたのだった。
ちなみに、ユリがベッドから這い蹲るように出る事が出来たのは、リリィを怒鳴ってから30分後の事だった。
どう考えても、遅刻コースでした。
***
太陽系第3惑星『地球』。
奇跡とも言える偶然の重なりによって生まれたその蒼い星は、数多くの生命が息吹く花園となっている。幾億の人間が生き、そして死んでいくその場所は天国とも地獄とも形容できない場所であるが、それでも人類の故郷であることに変わりは無い。それを宇宙という最俯瞰の視点で見れば、誰だって敬意と感動に包まれてしまうと思う。
地球の制止衛星軌道上に存在している1つの宇宙ステーションで、とある女性がその地球の姿を眺めていた。
20台後半のヨーロッパ風のその女性は、無重力下であるため統率の取れていない金髪の髪の毛を邪魔そうにしながらも、じっと小さな窓に映り続ける地球を見続ける。ある意味でそれは宗教における祈りの儀式のような物で、言い表せぬ空気がこの部屋に流れていたと思う。
「ミーアさん? どうしたんですか、こんな所で?」
金髪の女性の後ろから、若い女の声が聞こえてきた。気だるそうに振り向いて見ると、ミーアと呼ばれた女性はその声の主を確認する事ができた。
声の主は軍服に似た制服を着ており、その手にいくつかの書類の束を持っている。おそらく、これからこの宇宙ステーションの他の部署に、その書類を持って行こうとしていたのだろう。ネットワークが発達した時代で未だにペーパーメディアを使っているこの組織に呆れながらも、仕事中であっただろう彼女に身体を向きなおす。
「地球を見ていたの」
「地球を、ですか?」
彼女はミーアの言葉に不思議そうな顔をする。確かに、この場所に長く居ると宇宙から見る地球の姿なぞ珍しくも何ともなくなってしまうかもしれない。そういった部分で、価値観のズレが生まれているようだった。
少なくとも、ミーアは地球を見れる場所に居る事など殆どなかった。
「そう。地球をね。今度のサイクルだとさ、地球を肉眼で見ることが出来る場所に配属されるのは3年後になるから。だから、今のうちに見ておこうかって」
ミーアはそう寂しそうに言った。
彼女は、ミーア・ディバイアは、G・GのT・Gearパイロットであった。宇宙で命を賭けて戦う、戦女神だった。
ミーアと、その同僚たちが居る場所は地球の静止衛星軌道上。つまり、宇宙ステーション。
『G・G』の設備であるそこは、太陽系にいくつもあるG・Gの迎撃基地へ物資などを送るための経由基地になっている。配属先を変更されたT・Gearのパイロットたちにとっては、そこは乗り換え駅のような存在だった。たくさんの戦友たちが集う、懐かしき匂いの立ち込める港であった。
ミーアがここに居るのは、部隊再編成に伴う休養と補給のため。2年お世話になった遊撃母艦と共にこの宇宙港に寄り、そして新たな仲間たちと共に飛び立っていく。学生時代のクラス替えと似たような雰囲気を持つそれは、やはり誰にとっても同じ様に浮ついた感情をミーアに与えていた。不安だとかそういう単純な言葉で言い表せる物ではないけども、それでもどこか落ち着かない。そんな自分の感情に気付くのが嫌だったから、ミーアは地球を眺めていたのだと思う。
「今度の配属はどこなんですか?」
「次は木星軌道上。前居たところが土星の軌道だったから、そんなに離れてないよ」
そんなに離れていないと言っても、それは天文図上での事なのだが。実際には、何万キロも離れている。
「どうしたんですか……? なんだか、元気が無いように見えるんですけど……」
「地球を見てたらさ、思い出しちゃったんだよ。私の友達。G・Gの人間で、初めて地球で戦死した奴」
G・Gの歴史において、竜の地球侵攻を許したのは一度きり。それは8年前のセカンド・コンタクト。
そして、そのセカンド・コンタクトで地球に下りたパイロットは1人きり。それは、御蔵サユリ。
ミーアが言わんとしている事をすぐに理解した書類を持った女性は、何を言おうか迷っているようだった。大して親しくない人間に気を使わせてしまった自分に反省したものの、どうも今日は妙に饒舌らしかった。思いついた言葉が、次々と口から流れていく。
「もしかしたらあの子は幸せ者だったのかもしれないね。自分が生まれた地である地球でその命の炎の終息を遂げる事が出来たのだから。宇宙の彼方で死んで塵になってしまうより、ずっとずっと幸せだったのかもしれない」
あまりにも気弱すぎる発言である事は十分理解していた。それを他人に聞かせたってどうしようも無い事ぐらい、口にしていた途中で理解していた。
「私も、出来るならあそこで……」
「ミーアさんは死にませんよ!!」
うるさいほどの音量で、ミーアの言葉が断ち切られてしまった。紙の束を持った同僚は、真剣な目でこちらを射抜いてくる。
「だって、ミーアさんは私たちG・Gのエースパイロットですよ!? 世界一って言っていいぐらいの妖精使いですよ!? そんなミーアさんが、宇宙で死ぬなんてありえないです。絶対に、地球に戻ってこれますよ!! それに、私たちもそれを一生懸命サポートしてるんですから。だから、大丈夫です!!」
「……っぷ」
「ちょ、なんで笑うんですか!?」
あまりにも真剣にそんな事を言う彼女に、思わず笑いがこみ上げてきてしまった。それは別に彼女の熱すぎる応援に対しての嘲笑ではなく、妙な事で悩んでいた自分がおかしくなったからである。笑い飛ばしてやりたくなったからである。
「ああ、そうだね。確かにそうだ。私はG・Gで一番強いパイロット、ミーア・ディバイアだった。生きて地球に戻ってくるなんて当たり前で、ばったばったと竜をやっつける戦女神だった。すっかり忘れてたよ」
「ミーアさん……」
「それに、私には君みたいに応援してくれる同僚たちが居るし、旦那も頑張ってくれているんだった。なぜ君に言われるまで気付かなかったんだろうね。自分が恥ずかしいよ」
「旦那、さんですか……?」
訝しげに目の前の彼女は聞いてくる。ミーアに夫の存在が居るだなんて聞いた事ないのだから、疑問に思うのも仕方ないだろう。
その彼女の疑問を解消してやるために、ミーアは胸を張って言葉を吐き出す。
「対竜兵装ヒト型、『Freesia』。私の、愛しの旦那様だよ」
T・Gear『Freesia』。
その搭載しているミサイルの量と内臓兵器類から、『ヒトの形をした弾薬庫』と呼ばれているその機体は、ミーア・ディバイアの愛機だった。
その腕は竜を殺すために。その脚は戦場を踏みしめるために。
赤い目を輝かせる巨人と、血の匂いに疲れた女神は、遥かな俯瞰の視線で地球を見つめていた。
今度その姿を見る事が出来るのは、おそらく数年後の事になるであろうから。
もしかしたら、もう二度と見る事が出来ないかもしれないから。
ただ残念な事に、その想いは裏切られる。いや、むしろ幸運だったのか。
ミーアが木星に配属されてから数ヵ月後、彼女は『地球に堕ちた』。
***
第十八話 「白い水着と妖精の力と」 完