「恥ずかしくないの? そんなカッコしてさ」
 目の前に居る自分がそんなことを言ってくる。当然だけどこれは夢。自分が二人いるわけない。
「しかた、ないだろ」
 自分の言葉に腹を立てるものなんだか可笑しい話だけど、少しふてくされながら反論する。
「君は、自分が何をしたのか分かっているの?」
「……女装だよ」
 口に出すのがこんなに恥ずかしいものだとは。
「違う。君は自分の存在を殺したんだよ」
「何をバカな……」
 確かに名前や姿を変えた。でもそれだけで、本質的な部分は何も変わっていない。と思う。
「丘野優里は八年前にセカンド・コンタクトで死んで、そして五年前にももう一度殺した」
「五年前……?」
「君は一体何度死んで、そして何度自分を作り直す気なの?」
 何を言っているのか分からない。自分を作り直すって、それはどういう意味?
「ねえ君は誰?」
「ボクは……」



「本物の丘野優里はどこいったの?」





 最悪の目覚めから一時間後。丘野優里。もとい芹葉ユリはシャワーを浴びた後、天蘭学園の制服へと着替え出した。
 部屋にある鏡に映っているのは顔をしかめている少女の姿。
「五年前……」
 ユリは呟く。セカンド・コンタクトが起こったのが八年前。ユリはそこから三年の間の記憶が曖昧だった。
「PTSD……だよね」
 両親を失うという辛い体験をしたのだ。心を壊しても不思議じゃない。
「……もしかしたら、施設にいた時にレイプでもされたとか?」
 冗談めかして言ってみたが、今の自分の姿を見ているとしゃれにならない気がする。最悪な思考に陥らないように考えないようにした。

 ユリは自分の左手首を見る。そこにあるのはうっすらと残っているリストカットの傷跡。多分記憶が曖昧な三年間の間に自分でつけたものなのだろう。
 何か、耐えられないくらい辛い事でもあったのか。
「……」
 手首にリボンのような布を巻く。傷を上っ面だけ隠すことは、どこか自分の今の状況を表しているようで嫌だった。

『ねえ君は誰?』

 夢の中の自分の声が響く。
「ボクは、丘野優里だよ」
 そう力強く呟いたユリだったが、目の前の鏡に映る姿は、少年の面影など一欠片も残していなかった。


***

 第三話「二人の教師と先輩と」

***


 四月十日。満開に咲き誇る桜が人の心に感動をもたらす。こんな日に人生の出発点を迎えることが出来るのなら、とてもいい思い出となるだろう。丘野優里……いや、今は芹葉ユリと名乗る彼…彼女は、春風によって散っている桜の花びらによって飾られた通学路を歩いていた。
 天蘭学園には制服での通学が義務づけられている為、もちろんユリ(ここからはそう呼ばせてもらう)も制服を着ている。
 真新しい制服を着た(見た目は)少女が学校に向かっていく様子はなんとも美しさというか初々しさを感じさせる。
 傍目から見れば、妖精が花で作られた道を歩いている様な優雅な風景。多分彼女の中身を知れば大抵の人間は落胆と驚きとの表情を浮かべることは間違いないのだが。いや、一部の人にはとても熱い視線で見られるかもしれないけど。

「なんか……他の子よりスカートの丈が短い気がする……」
 ユリは自分と同じ新入生らしい子たちを見てそう呟いた。全ては美弥子の差し金。そう言えばスカートの丈の理由がよく分かる。っていうかそれ以外に説明のしようが無い。
 しばらく少し挙動不審気味に歩いていると、ユリは目的地へと到着した。これから自分が通うことになる学校。日本天蘭学園に。

 天蘭学園は都市部から少し離れた所に広大な土地を使って建設されている。確かに土地は広いのだが、演習場が70%以上の土地を占めているため、校舎等の建造物の大きさは普通の学校と大差は無い。
 校舎は前時代的な造りをしており主に木造だった。21世紀初頭からのアレルギー等の原因となる化学物質の規制などに配慮してのことなのだろう。
 だがT・Gearの格納庫、弾薬庫などは木造ではなく鉄筋コンクリートで造らなければならない。そのため昭和初期の校舎と近代の建造物が隣り合って存在しているという、なんともミスマッチな光景が広がっているのだ。


***


「ここがボクの教室かぁ」
 ユリは1−Cと表記されたプレートが付いている教室の前に立っていた。教室に恐る恐る入ってみると自分より早く登校していた生徒が思い思いの事をしている。随分と早い時間だが結構人数は多い。これも入学初日ということが大きいのだろう。
 ふとその中の一人の男子と目が合った。操機手科は女性だけなのだが、クラスは技術科と一緒になるため一応共学という形なのだ。性質上女性がどうしても多く、男子は肩身の狭い思いをしているのだが。
「お、おはようございます」
 思わず男子に挨拶をする。
 自分がちゃんと女性に見えている自信が無いユリは出来るだけ自然な行いをするように気を使っていたが……。なんだか余計に不自然に見えてしまうのは気のせいだろうか?
「お、おはよう」
 挨拶された男子は返事をすると頬を染めてどこかへ行ってしまった。
(も、もしかして……ばれたわけじゃないよね?)
 そう思ってユリは少しうろたえる。何度も女装して外出するという荒療治を行ったのだが、どうも容姿には自信が持てないらしい。
 前のユリ……優里の頃は『7:3で女に間違われる』だったが、今の状態であれば誰が見たって普通の女の子……もっと言うならば誰もが認める美少女だ。しかし女装という不安材料があるため、安心することがかなり不可能に近いらしい。
 まあ……下手に自信を持ってしまうとそれはそれで困ったことになるのだけど。

「入学初日に男に色目使うなんてやるねぇ」
 後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。振り返るとその声の記憶通りの人物がそこには居る。
「ふぇ!? 色目!?」
 ユリは何を言われたのか分かっていないらしくボケた声を出す。それを彼女はニヤニヤと笑いながら、会話を続ける。
「まさか素だったの? ……あれを自然にやるとは末恐ろしい」
「アスカさん、千秋さん……どういう意味ですか?」
 なんだか自分だけ理解していないのが気に入らなく、ユリは目の前に居る友人……アスカと千秋に聞いた。
「分からないなら分からないままでいいよ」
 アスカはそう言って笑っている。すごく気になるのだけど、どうせ聞いても教えてくれないのだろうと悟り、ユリは追求を諦める事にした。
「それにしても三人とも同じクラスなんてすごい偶然だよね。まあ私は二人と違って技術科なんだけど」
「また千秋と同じ教室で学ぶことになるなんて……」
 アスカは悩んでいる格好をするが顔は笑っている。本心では嬉しいのだろう。
「アスカさんと千秋さんは前の学校でも同じクラスだったんですか?」
「うん、千秋とは中学の時から同じクラスよ」
「腐れ縁ってやつかしらね」
「ひどい言い草だな〜」
 アスカは千秋の首を絞める。
「ちょっ、苦しいって!!」
 アスカは千秋の訴えは聞かずに首を絞めたままユリへ話しかけた。何とも仲の良い2人だ。
「ユリは同じクラスの人とか友達とか天蘭学園に入学してないの?」
「はい、いないです」
 まあ、例えいたとしても今のユリを知っている者は居ないはずだ。
「そっか、まあここは一応軍のパイロットを育てるための施設だもんね。
 好んで入る子なんて少ないか」
 そうだねと笑って返そうとするが、ユリの目に一人の人間が映り言葉を出せなくなる。
 アスカの後ろにあった扉から入ってきた一人の青年。よく憶えている……っていうか忘れるわけがない存在。天蘭学園の願書提出時には彼を置いていって帰宅したために、随分と機嫌を損ねた……親友だった人。角田 悟。その人が居た。


 ***


(そう言えば悟は技術科だっけ〜)
 想像していなかった伏兵の存在に思わず頭を抱える。
(別に同じクラスじゃなくてもいいじゃないか〜)
 悟とはもう何ヶ月も会っていない。というか彼には優里は外国へ留学したということになっているのだ。
(ばれちゃったら……どうしよう)
 最悪の展開が頭に浮かぶ。なんとしてもそれは避けなければ。
「どうかした?」
 ユリの表情の変化に気付いたアスカが心配そうにしていた。
「あ、なんでもないよ。……っていうか」
「なに?」
「……千秋さん離してあげたら?」
 アスカがユリに言われて千秋に目を移すと、素人目にもさすがにやばい状態になっている千秋が目に映る。
「うわぁ!! 千秋ごめん!!」
 慌てて手を離す。
「おじいちゃん……今行くから」
「千秋さん逝っちゃ駄目ー!!」
 入学初日だというのに1−Cは三人のお陰でやけに騒がしかった。


 ユリはしばらくアスカ達と談笑していたがやはり悟の存在が気になるらしく少し上の空だった。
「皆さん、席についてください」
 突如聞こえてきた凛とした通る声。その発生源らしい方向を向いてみると一人の女性がそこに立っていた。
 自分たちより年上で、しかも制服を着ていないことからすぐに教師であることが分かった。
 教師の声に従い生徒たちは割り当てられていた席へと向かう。
 全員が座ったのを確認すると教師は簡単な自己紹介を始めた。
「小柳 香織(こやなぎ かおり)、1−Cの担任です。主に技術科の授業を受け持つのでよろしく」
 外見にぴったりなはっきりとした声だった。年齢は二十台の後半に見え、美人であることは確かなのだが、どことなく厳しそうな先生に見える。
「この学園は二人の担任が一つのクラスを受け持つという形を取っているので実はもう一人担任がいるのだけど……」
「……どうかしたんですか? 小柳先生」
 こめかみを押さえた香織教諭に目の前にいた生徒が恐る恐る質問する。
(怖そうな先生によく質問できるなぁ)
 席が後ろのほうのユリは感心したように見つめている。というかその気の小ささは男としてどうなのだろう?
「ごめん!! 遅れたわ!!」
 一人の女性が教室の扉から入ってきた。
「麻衣……あんたって人は」
 麻衣(まい)、香織教諭にそう呼ばれた彼女は苦笑いを浮かべて弁明し始めた。
「い、いや。今日まで春休みだと思っていてさ……」
「そんなの理由になると思っているの!?」
「う、うわぁ!! ごめんって、そんな怒らないでよ。
 かおりぴょん」
(((かおりぴょん!!??)))
 なんとも間抜けなあだ名が生徒たちの脳をフリーズさせている間、かおりぴょ……香織教諭は麻衣を叱り続けていた。
「かおりぴょんって呼ぶな!!」


***


「え〜っと、藤見 麻衣(ふじみ まい)26歳。あなたたちの担任で主に操機手科を教えま〜す。気楽に麻衣ちゃんってよんじゃってね。これから一年間、皆で頑張っていきまっしょい」
 1−Cのもう一人の担任、藤見 麻衣の自己紹介が終わった。先に自己紹介を済ませた香織教諭とはまったく正反対の内容。能天気さというのか……そんなものが伝わってくる。
 彼女は所々寝癖のある髪や乱れた服を着ていたが、中々の美人だと言える。まあその美人さも先ほどの騒動で吹き飛んでいる気がしないでもないが。
 しかし……ここまで両極端な先生が一つのクラスを担任しているとは恐ろしい。ちゃんと無事にやっていけるのだろうか? ユリはこれからの学園生活に言いようの無い不安を感じてしまうのだった。


「さて、それじゃ今日の日程を説明するわね」
 麻衣教諭の重要らしい話を聞こうと生徒たちは耳を傾けるが、一向に麻衣の説明の言葉が出てこない。
「え〜っと……なんだったっけ? かおりぴょん」
 いち早く1−Cの生徒に名前を印象付けることになった教師が呆れた顔をしていた。
「あなたって人は……11時から講堂で入学式。それまでは各自の教室でHRよ」
「私は聞いてないよ?」
「職員会議に出てないだけでしょ」
「あう……」
「それと、かおりぴょんって呼ぶのは止めなさい」
(((………)))
 なんというか……大体この二人の教師について分かってしまったかもしれない。ボケとツッコミ、そう表現するのがもっとも的確。そういう関係なんだろう。
「え〜っとそれじゃ、とりあえず皆の顔と名前を覚えたいから一人ずつ自己紹介ね」
 そう言って、端の方から自己紹介させた。ここが軍事学校だとは思えないほどのノリが続いているのが少し拍子抜けするがとりあえずいい雰囲気なのでユリは安心する。

 そんなこんなで時間は流れてユリの自己紹介の番である。前の人たちの自己紹介はなかなか個性的で笑いも所々起きていた。こういう状況に立たされたとき人は二つのタイプに別れるものだ。
 極力目立とうとせずに必要なことだけ言うタイプと、芸人魂を刺激され妙なことをして笑いを取るタイプ。言うまでも無くユリは前者の側だった。女装という爆弾を抱えているだけに目立たないならそれに越したことは無い。
 そう、出来るだけ目立たぬようにしようとしたのだが……。
「え、えっと…せ、芹葉 ユリです。趣味は……えっと」
 ……緊張して舌足らずになっている様子がなんとも愛らしい。意図して行なっている物でないため、もはや才能の様なものだった。
「趣味はプラ……」
 そこでユリの言葉が詰まる。
((プラ!?))
 クラス全員の頭に?マークが浮かんでいる間、ユリは自前の脳をフル活動させていた。『趣味はプラモデル作り』そう普通に自分の趣味を言おうとしたのだが、どことなく男の子っぽくないだろうか? 出来れば男であるという匂いは極力出したくない。いつ、嘘が崩壊してしまうとも限らないのだから。

(総合格闘技プライド鑑賞……駄目だ。余計に男っぽく思われちゃう。えっと……プラスチック容器集め。これも駄目。おかしな人に思われる……)
 そんな思考を展開していたユリは。
「しゅ、趣味はプラネタリウムを見に行くことです」
 なんとも無難。もしくはロマンチストっぽい答えを考えつくことが出来た。まあこの嘘のおかげで、ユリには星座の名前を憶えるという宿題が出来てしまったのだけど。
「えっと、一年間よろしくお願いします」
 そうお辞儀してユリは席に座る。ぱちぱちぱちと暖かい拍手が鳴る。
(ふ、普通だったよね?)
 隣の席のアスカに小声で聞いてみた。
(う、うん。まあね)
(良かった……)
 ほっとして息を吐く。またその仕草がなんとも愛らしい訳だがユリは気付かない。ユリという少女(?)は彼女自身には悟られることなく、クラスの生徒全員にその名を記憶されるのだった。


***


「さて、そろそろ11時なんで皆さん講堂に行きましょう」
 1−C全員の自己紹介を聞き終えた麻衣は伸びをしてそう言った。生徒達はそれぞれバラバラに講堂へ向かいだす。
 それとほぼ同時に、他のクラスの生徒たちも講堂へ向かいだしたらしく椅子が動く音が聞こえてきていた。
 ユリとアスカとは離れていた所に座っていた千秋が、二人の席に向かってくる。
「いや〜、ユリちゃんは萌え系だね」
 近くに来たと思ったらよく分からないことを言ってきた。
「も、萌え?」
「何馬鹿なこと言ってんのよ」
 アスカが呆れたような表情でつっこむ。
「それだけユリちゃんが可愛かったってことだよ」
 千秋はユリの頭を撫でながらそう言った。
「あ、はははは……」
 ユリの乾いた笑いが響く。
(可愛いって言われても……なんかなぁ)
 そうやってじゃれあっている時、懐かしい声が後ろから聞こえた。
「優里……?」
 その声を聞いて思わず振り返ってしまう。目の前にいるのは角田 悟。数ヶ月前まで親友だった人。
「え……あの」
(い、今『優里』って呼んだよね!! もしかしてばれたの!!??)
 彼の姿を目の前にしたユリは軽いパニック状態になる。幸運なのは、パニックのあまり変な言葉を口走らなかった事か。
「えっと……ユリの知り合い?」
 見知らぬ男子に話しかけられたユリを不思議に思ったのかアスカが尋ねてくる。
「そ、その〜……」
 ユリが答えに困ってると今まで真剣にユリの顔を見ていた悟が
「ごめん。ちょっと知り合いに似てたから……やっぱり俺の思い違いだったや」
 と、笑って言ってくれた。
「そ、そうなんだ……」
 内心ユリはその言葉を聞いてホッとしていた。
「……もしかして、それはナンパの手口?」
 訝しげな表情で千秋が尋ねる。
「な!? 違うって、本当に知り合いに似ていただけなんだよ」
 親友の慌てた表情が面白くユリは笑みを浮かべてしまう。
「と、とにかく変なこと聞いてごめん」
 悟は逃げるように去っていってしまった。なんとも可哀想だ。

「入学初日にナンパするなんていい度胸してるよね」
 どうも千秋には先ほどの言い訳は真実として認められなかったらしく、悟はナンパ野郎ということになってしまっている。ちょっとそれは酷いと思う。
「ただ友達になるきっかけが欲しかったんじゃないかな?」
 そんな親友がなんだか不憫なのでさりげなくフォローを入れておくユリ。
 しかし千秋は首を振りながら
「異性間に友情なんて存在しないのよ。絶対に下心やなんやらがあるんだから」
 と一刀両断。
「そ、そうなの?」
(それじゃあ、ボクとアスカさん達の関係はどう説明すれば……)
 自分も彼女たちに対して何かしらの感情を抱いているのだろうか? そう自己分析を始めかけた時。
「え〜!? あたしは男子の友達結構いたけどそんな風に意識したことないよ?」
 アスカが千秋の意見に異議を唱えてきた。
「……だからあんたの知らない所で数多くの男子が泣くことになってるんでしょう」
 千秋が少し憐れむ表情でアスカを見つめる。もちろん彼女が憐んでいるのは、好意に気付いてもらえなかった男子である。
「そ、そうだったんだ」
 心なしか千秋の視線に殺意が混じっているような気がする。嫉妬……なのだろうか?
 とにかくこれ以上のこの議題に関する議論は修羅場を連想させるため止めにした。



 ***


 天蘭学園の入学式は普通の学校と同じ様な風景だった。
 まあ、PTAの会長ではなく防衛庁の偉い人が挨拶したりしているのだが。
 あまりにも緩すぎる気がするが、これは軍事学校というイメージによって入学者を狭めるということを防ぐためなのだろうか?
 そんなこんなで大した出来事もなく入学式が終わってしまった。

「ふわ〜、眠たかったぁ」
 千秋があくびをして呟いた。
「あはは、確かにね」
 ユリも目をこすっている。
 彼女たちは入学式が終わったので教室に帰るところである。もう何もやることが無いため、後は自由に帰ってよいと麻衣教諭が言ってた。
「あれ……?」
 ユリはふと違和感を感じた。
「どうしたの?」
「えっと……何かが足りない気がする」
 周りを見渡すが何が足りないか分からない。
「……あ〜、またかぁ」
 千秋は気付いたようでため息を吐く。
「アスカだよ。いつの間にかいなくなってる」
 そう言われて周りを見ると確かに彼女の姿が見えない。先に教室に向かったのかと思ったが、教室に姿が無いところを見ると違うらしい。
「アスカは実は方向オンチでね、慣れてない場所だとどんな狭い範囲でも迷うことが出来るの」
 笑いながら千秋は言う。そういえばアスカとユリが出会った時も彼女は道に迷っていた。その時は学園の広さのせいだと思っていたのだが、どうも違ったらしい。
「探しに行ったほうが……」
「うん、そのほうがいいね。アスカが自力で戻ってくるのは不可能だから」
(不可能なんだ……)
 アスカの方向オンチはかなり重症らしい。
「それじゃボクはあっちのほうを探してくるから」
「うん、ユリちゃんも迷ったりしないでよ。一人で手一杯なんだから」
 千秋はアスカが居なくなったのをあまり深刻にしていないらしく、冗談まで言っている。多分彼女は何度も居なくなったアスカを探すという行為を経験済みなんだろう。さすが中学時代からの親友である。


***


「ここに……居るわけないか」
 アスカを探していたユリが入り込んだ所は植物園の様な場所だった。と言っても植物園が学園内にあるはずが無いので、多分整地されずにほって置いた為に木が生い茂ってしまったのだろう。
 これも広大な敷地にある天蘭学園の特色なのだろうか?
(活用されてない土地があるなんて知れたら地主は悲しむだろうなぁ)
 なんて見ず知らずの人のことを考えながら一応奥に入って調べてみる。さすがにどれだけ方向オンチの人間でもここが校舎と関係ない所だというのは分かるはずである。そう思ったとおりこの場所にアスカの姿を見ることは出来なかった。
 確かにアスカは居なかったのだけど、
「し、死体!?」
 目の前には髪の長い女性が横たわっていた。
 天蘭学園の制服を着ているのでここの生徒なのだろう。
「……誰が死体ですの?」
 死体と呼ばれた女性が起き上がった。どうやらただ寝ていただけだったらしい。
「え、あ!! ご、ごめんなさい」
 生きている人間と死体を間違えるなんてとんでも無いことだが少しばかりフォローをさせてもらう。この場所は木が生い茂って太陽が入りにくく全体的に暗かった。あと女性の肌が雪で作られた様に白かったことが誤解の原因になったのだと思われる。
 ただそんなことは間違えられた本人には関係は無く、間違えた人間に対して冷たい視線を投げかける権利は十分にあると思う。
「ほ、本当にすみませんでした」
 女性の痛みを感じそうな視線を受けながらユリはもう一度謝る。
(やっぱり怒るよねぇ……)
 よりにもよって死体に見間違えたのだからどんなフォローも大してやくに立たない気がする。こうなったらただ謝り続けるしかないのだ。
「追っ手……というわけでは無いようね」
「え!?」
「いえ、こちらの話よ。気にしないで頂戴」
 彼女はそういうとユリに微笑みを向けた。見間違えたことに腹を立てていたわけでは無かったらしい。
「それよりあなた新入生ね? こんな所でなにをしてらっしゃるの?」
「えっと、友人を探してて……」
 天蘭学園の制服にはいろいろ特徴があり、女生徒のスカーフの色は学年ごとに違うのだ。だからすぐに何年生か知ることが出来る。ちなみに彼女はユリとスカーフの色が違うため上級生であることがすぐ分かる。
「そう、友人をね」
 女性は立ち上がると寝ている時についた制服の乱れを直す。寝ていた所を見ると綺麗な白い布が敷かれているので大して汚れていないのであろう。っていうかこの状況で昼寝しているとは思わずに、死体が安置されていると考えるのは早合点にもほどがある。
「ここでは誰も見なかったわよ」
「あはは……やっぱりそうですか」
 ユリは見上げて返事をする。この女性はプロポーションが良く背が高い。そのため(一応)男であるユリだが顔を見るためには見上げなければならなかった。
「それじゃ、失礼します。本当にさっきはすみませんでした」
 軽くお辞儀をして引き返そうとする。
「ちょっとお待ちなさい」
「は、はい!?」
 呼び止められるとは思わなかったので硬直してしまう。女性はユリに近づくと右肩を手で払った。
「草が付いていたわよ」
 どうやらこの先輩は後輩の面倒見がいいらしい。ユリは綺麗な顔が間近にあることに照れつつ礼を言った。
「あ、ありがとうございます」
「いいえ、どういたしまして。身だしなみには気を使いなさい」
「はい、気をつけます」
(いい先輩だな……)
 とユリは思いながら、植物園と自分の中で勝手に名称した場所から出て行く。振り返って見ると女性も気付いたらしく肘から先で手を振ってくれた。その仕草がなんだかとても様になっている。さっき話していた時に感じた上品な言葉遣いからも、きっと彼女はいい所のお嬢様なのであろう。
 しかし謎なのは……
「追っ手って……誰から逃げてたんだろう?」


 ***


 ユリはしばらくアスカを探し回ったがとうとう見つけることは出来なかった。仕方なく1−Cにユリが戻ってみると千秋とアスカが迎えてくれる。どうやらアスカは千秋の手で発見されたらしい。ユリの姿を見つけるとアスカはすまなそうな表情になり謝った。
「迷惑かけてごめんね」
「ううん。学園内をいろいろ回ってこれたからボクのためにもなったし」
「ま、しかたなかったんだよ。アスカなんだし」
「ちょ、それってどういう……」
「そのままの意味だよ。さ〜帰りましょ〜」
 千秋はアスカの抗議を流して生徒用玄関に向かう。
「うう〜……くやしいぃ」
「あはは……ボク達も行こうよ」
 アスカも唸りながらユリの後に続いていった。


 下校途中にアスカと千秋に何か食べに行こうと誘われたため、今ユリはファーストフード店にいた。ちなみに迷惑をかけた詫びとやらのためにまたしてもアスカのおごりである。
 二階の窓際の席で食事の合間にされる会話の内容は、主に今日の個性的な先生や入学式のことだった。
「だけど『かおりぴょん』は無いよねぇ」
 笑いながらアスカは自分の担任につっこむ。ユリと千秋も今朝の教室の風景を思い出したらしく声をあげて笑ってしまう。

 話は巡りアスカの失踪騒ぎになった時に、ユリは植物園(勝手に名称)で会った女性のことを思い出した。会話を広がらせるためにそれを話す。
「あ、そういえばアスカさんを探していた時に上級生に会ったよ」
「上級生?」
「うん」
 アスカを探すために植物の生い茂った場所を見つけた事。そしてその場所で美人な上級生と出会ったこと。それらを順序だててユリは話す。
「あははは、死体と間違えるなんて」
 アスカは話を聞いて笑っている。まあそれはしょうがない。生きた人間を死体と間違えるなんて大ボケ、普通の人間はやらないのだから。
 しかしアスカの大爆笑とは対照的に、千秋は何か考えている様であった。笑う事もせずに、顎に手を当てて物思いに耽っている。
「先輩の名前は聞かなかったの?」
「あ……聞いてなかったや」
「う〜ん……腰までの長い髪に白い肌、そしてお嬢様らしき人……」
「千秋さん、心あたりあるの?」
「神凪 琴音(かみなぎ ことね)っていう人がそれっぽいような気がするんだけど……」
「神凪琴音って……あの有名な?」
 アスカが驚いて声を上げる。彼女も知っている人物らしい。
「え? なに? 皆知っている人なの?」
 どうやらユリだけが神凪琴音という人物を知らないらしい。彼女たちの友だちか何かなのかと勝手に推測する。
「そりゃT・Gearのパイロットを目指す人なら誰でも知ってるよ」

 アスカの説明によると神凪琴音とは天蘭学園の二年生で、T・Gear操作の類まれなる才能を持っていて、英雄である紗由梨の再来であると言われている女性らしい。T・Gearの操縦技術が同年代に比べて突出しているのは当たり前だが、全ての学問においてもその才能は発揮され、しかも容姿端麗で大企業のご令嬢。どこを取っても完璧な人間で憧れる者も少なくないとのこと。
 あまりの完璧っぷりに、何となくその存在は嘘っぽいように思える。
「まるで完璧超人だね……」
 そう呟いたユリがなんでそんな有名な人物を知らなかったのかというと、意図的にT・Gear関係の情報を耳に入れようとしなかったためだろう。諦めざるおえなかった夢を直視できるほど心の整理が出来てなかったのだ。
「でも……多分それは無いかなぁ」
「え? 人物像は同じなんでしょ?」
 千秋の否定的な意見にユリが疑問を持つ。
「だって……ユリちゃんが会った人って優しそうだし」
「優しそうだと神凪さんじゃないの……?」
「これはあまり知られてない話なんだけど」
 千秋が少し声を潜めた。何か言ってはいけない事を口にする前兆のように。
「どうも神凪さんってすごく厳しくて怖い人らしいの……。他人に対してとても冷たくて……それで天蘭学園にあることわざが出来ちゃってね」
「「ことわざ……?」」
 ユリとアスカは同時に聞き返してしまう。
「触らぬ神と……神凪琴音に祟りなしってさ」


 ***


「くしゅん!!」
 祟り神にされてしまった女性……神凪琴音はとても分かりやすいクシャミをしていた。
 琴音は数時間前からこの木が生い茂った場所で休んでいた……と言うよりは隠れていたのだけど。ここは琴音にとって、とびきりの隠れ場所だった。生き生きとその存在を大地に根ざしている木々が四方を囲み、俗世間から隔離されたような空間を作り出している。この世界だけは、世間からの雑音から身を守ってくれるような気がしていた。
 まあ少し前に新入生の少女に一人の時間を邪魔されたわけだが、たいして機嫌は悪くならなかった。理由は良く分からないけど。
「私は死体じゃないわよ……」
 その時のことを思い出して笑みを浮かべてしまう。なんだか迷い込んだ子はとても愛らしい少女だった。
「さて、もうそろそろ時間ね……」
 そう呟いて琴音は歩き出す。入学式……二年生にとっては始業式なのだが、それが終わってからずっとここにいた。始業式が終わればすぐに帰っても良いと教師に言われいたため、帰りのホームルームのことを気にする必要も無かったのだ。緩やかや放課後のひと時をこの場所で過ごせたのはかなり気分が良かった。まあ、別にここに来た理由は心のリラックスのためだけでは無かったのだけど。
 そう、神凪琴音には、この場所で時間を潰さなければいけない理由があったのだ。



「ああ!! 琴音さま!!」
 琴音が天蘭学園の校舎に戻り、ゆっったりと廊下を歩いていると琴音の名を呼ぶ声がした。その声に聞き覚えがあったので、琴音はゆっくりと振り返る。
 気のせいか、彼女の表情は硬い。
「一体どこにいらっしゃったんですか? ずっと探してたんですよ?」
 そう言いながら女生徒が軽快な足取りで琴音に近づいてくる。一応説明しておくけども、神凪琴音は二年生である。そして彼女に近づいてくる女性も同じく二年生だった。つまり、同じ学年であるにも関わらず『様』付けなのだ。
 別にこの歳で大統領をやっているだとか、アイドルグループの一員だとかいうわけじゃない。いつの頃からか『特定の団体』に所属する人物にはそう呼ばれるようになってしまったのだ。
 その『特定の団体』と言うのは……
「今度どこかへ行かれる時はきちんと『親衛隊』にお伝えくださいね?」
 本人の知らぬ間に作られてしまった『親衛隊』と名乗る『琴音さまファンクラブ』のことである。


 ***


 最初にファンクラブの存在を友人から聞いた時は何かの冗談かと思っていた。確かにやたらと見知らぬ人間が自分に付きまとうことが多くなったような気がしたが、神凪琴音という人間は他人に対してさほど興味を持つことをしない人であったため気にしなかった。
 今思えばその時に何かしらの行動をしていれば、自分の行動すらも束縛してしまうような組織に発展しなかったかもしれない。なんにせよ後の祭りなのだが。
 そもそも親衛隊って何から琴音を守るのだ? 確かに有能なパイロット候補生である彼女は人類にとって大切な宝であると言えるが、パイロットの保護はG・Gの諜報部やら守衛部が機能しているはずだ。つまり、まったく要らない存在だった。

「えっと……火狩さんだったかしら?」
「はい!! 火狩 まことです!!」
 いや、別に名前は聞いてないから。等と言えるわけ無いので曖昧な笑みを浮かべて言葉を続ける。
「私でもね、一人になりたい時がありますのよ?」
 一応親衛隊のプライドを傷付けないように自分のプライベートの大切さを語ってみる。
「しかし……琴音さまをお守りするためには……」
「別に私は誰かに守ってもらわなくても……」
 そう琴音が言いかけると彼女はすぐに
「琴音さまはご自分だけの身ではないのですよ!?」
 と、叫んできた。まるで身重の人に対する言い方である。
「もういいわ……好きにして頂戴」
 琴音はやすやすと説得を諦めた。これ以上何を言っても無駄だと思ったのだろう。というかこれくらいでどうにかなるならここまで苦労はしていない。
「はぁ……」
 彼女には聞こえないように溜め息を漏らす。
(今日はファンクラブなんかに捉まらないと思っていたのに)
 ただ琴音はそう思いながらなんとも無愛想な顔で自分の教室に向かっていくのであった。


 第三話「二人の教師と先輩と」 完





目次へ  第四話へ