「本日からの前線再編により、冥王星軌道防衛線に新型核弾頭による機雷が配備される事になりました。核機雷の動作によって発生する電磁パルスによって地上放送の一部に乱れが起こる可能性がございますが、どうかご理解ください」
 そんなコメントが、天気予報の後ニュースキャスターによって語られた。まるでテレビの電波を乱す程度の事なのだと、そう言い含めているような軽さだった。深く考えさせる事を極力否定するような、そんな物言いだった。
 事実、深く考えずにこのコメントを受け取ったものは少なくなかった。自分が楽しみにしている番組で映像が乱れる事があったらやだなと、その程度の印象を持つ者は多くいた。その言葉の深刻さに気づく者はほんの僅かだった。重要な防衛線をひとつ破棄して、敵に当たってくれるかどうかすら分からない機雷を配置するという事が、一体どういう事なのか。
 8月。日本は夏だった。残り少なくなっていく夏休みを味わい尽くすために、子どもたちはただただ地面を駆けていく。ずっと続いてきた夏の風景だった。これからも続いていくはずの風景だった。終わりを嘆き叫ぶものは、蝉だけだった。
 皆がこの光景は永久に続いていくものだとばかり思っていた。なぜならば、事実それは人間の視点で見れば永久に近いほど続いてきたものだったからだ。『終わり』を自分の物として理解する事など、『終わっていない』生物には不可能だった。そういう意味で、人類は酷く『滅び』というものに対して不感症だった。
 蝉が死にたえ、夕日が赤く眩しく染まり、星が叫ぶように煌き光る。夏が、終わりに近づいていく事を世界が伝えていく。




「ねえユリお姉ちゃん。夏っていつまで夏なの?」 
 その幼い声と幼い質問の持ち主の方を見ると、一人の女の子がじっとこちらを見ていた。幼いなりに真剣な表情の彼女を見て、もしかして先ほどの質問は何か哲学的な問いなのかと心配する。そんな高度な問いかけに優雅に答えてやれるほど、ユリお姉ちゃん―――芹葉ユリには学はない。彼女の歳……およそ小学校低学年程という事実を考慮するとなぞなぞの類の答えを返してやるのが何より無難な気がしたが、それはそれで問題だ。夏はいつまで夏かだなんて、そんななぞなぞ知っちゃいない。学が無いだけじゃないくて頭も固いのかと自分に呆れながら、ユリはなんとか答えを頭から振り絞る。
「夏はえーっと……秋分の日までは夏かな」
 彼の答えはなんともまあ面白みもない一般常識的な回答だった。だが仕方ない。何も思い浮かばなかったのだから。
「秋分の日……? それっていつ?」
「大体9月の後ろぐらいだよ」
 そっかと呟いて、少女は何かを考えこむように頭を垂れる。なんだかよくわからないが、彼女は終わる夏とやってくる秋の事に関してすごく悩んでいるらしかった。子供なりの深刻そうな顔は可愛らしいものではあったが、それでも本人にとっては大問題らしくうんうん唸っている。
 彼女の名前はアリアという。苗字は知らない。少し前に彼女とこの公園で知り合い、そしてなんだか意気投合してしまった。ユリの友人である片桐アスカには精神年齢が近いからじゃないのと妙な毒を吐かれたものの、こうしてたびたび遊ぶような関係になってしまった。小学生の少女と遊ぶという高校生もどうかと思うものの、ユリは彼女を放って置く事なんて出来なかった。その一番の理由は彼女の袖口から覗く肌にある。やんちゃな子供だからというだけでは済まされないような傷が、いつだって見てとれる。彼女はそれを当たり前と言うように痛みを表情に映すことはせず、そしてそれを見るたびにユリは心を痛めた。
「夏が終わると何かあるの?」
 そうユリが聞くと、彼女は黙ったままこくんと頷いた。哀しそうな表情でこちらを見ながら、ぽつりぽつりと言葉を漏らす。この子にとっては自分の体に刻まれた傷よりも、これから話す内容の方がとても辛かったのだろう。
「夏終わると……ここにきちゃいけなくなるから」
「それって……どうして?」
「どこか、別なとこ行くの」
 その大きな瞳に溜まった涙を見られたくないためか、アリアは顔を再び伏せた。その所作の所為で眼尻に溜められた涙はすぐに地面に落ちた。夏の日差しで乾いた地面は少女の涙を吸って、何もなかったかのように振る舞うのに一役買う。
「そう、なんだ……」
 何かを言わなければいけないと分かってはいたが、またしても何も言葉が思い浮かばなかった。本当に自分の頭の鈍さに悔しくなる。彼女の涙を止めてやる言葉も、彼女の家庭の環境に深く関わる勇気も、何一つユリは持ちあわせる事が出来なかった。
 その胸の痛みを無理に気にしないように、ユリは口を開いた。できるだけ明るく振舞い、アリアの悲しい顔を見なくて済むように。それは逃避なのだろうかと、自分に問いかける暇も与えたくはなかった。
「じゃあ……また会えるように、指きりしようか?」
 最悪な言葉を口走ったと思った。後悔が、胸の中に溢れる。今彼女に必要なのはそんな薄っぺらい約束ではないだろうに。それを知りつつも白々しい言葉を平然と吐いた自分に幻滅した。大人がいつもやってのける卑しい子供のあしらい方だと絶望した。
 ユリのその胸の痛みに歪んだ表情を見てか、アリアはすっと立ち上がった。こちらに顔を向けてもくれずに、わざとらしい明るい声を響かせる。
「今日はもう帰るね! じゃあまた明日! ユリお姉ちゃん!!」
 立ち去るアリアに碌な返事もする事ができず、ユリはその後姿を見送った。結局指切りは出来ずじまいだったが、今となってはそれで良かったと思う。そんな嘘っぱちな絆を一度作ってしまえば、もうこれ以上彼女に何もしてやらなくて良いという免罪符すらなりかねない。
 指切りだけではダメだ。子供じみた約束だけではなくて、もっと身を持った何かを、彼女にしてやれるはずだ。
 だがいくら考えてもユリにその『何か』は思い浮かばず、赤く燃える太陽がその姿を地平に消すまで、ただ一人ベンチに座っていることしか出来なかった。



***


 第二十七話 「空散る光と警鐘と」


***



「明日さー、お祭りあるんだって。一緒に行かない?」
 そんなお誘いが携帯電話から聞こえてきた。電話の相手の名前は片桐アスカ。せっかくの夏なんだからもうちょっと楽しい事すべきだったねと、そんな嘆きにも似た話題からの流れから出てきた言葉なのだったと思う。誘われた彼……芹葉ユリは、特に何も考えずその誘いに肯定の意思を示した。
「うん、いいよ。一緒に行こうか」
 そう返しながら、ユリは自分の左足に目線を落とした。せっかくの夏休みを思う存分楽しめなかった原因……白い包帯の巻かれた足の怪我を見る。あの酷い夏の合宿で、神凪琴音の怪我を3等分してしまって生まれた骨のヒビ。元はといえば自分を助けるために生まれたものであるこの痛みに文句を言うつもりなどまったく無いが、こいつの存在の所為で夏休みを自由に動き回る事が制限されていたのもまた事実だった。今は具合が割かしマシになっているので、新学期の勉学には何の影響も及ぼさないであろう事は不幸中の幸いだったのだが。
「……この街のお祭って、何を祭ってるんだろ」
 そんな呟きがユリの口から漏れた。頭の中に浮かんだ事をただ漏れ流すような会話の仕方だった。気の知れた友人だからこそだなと、ユリは頭の片隅で思う。対するアスカもユリと同じように、特に何か考えるでもなしに返答する。
「さー? もう誰も知らないんじゃない? 蘭華町、何度も市町村合併繰り返したり逆にバラバラにしたりして出来た街だし、外からの人たくさん入ってきたし、そういう昔の事知ってる人もういないんじゃないの」
 誰も意味を知らなくても自動的に続いていく行事というのもなんだかぞっとしないなとユリは思った。まさにそれが神の意思の介入であるかの如く、人々は毎年毎年祭りを開くというのか。なんだか妙な感動を覚える。いや、さすがにこの街のどこかには祭りの由来を知っている人間がいて、明確な意思を持ってその行事を遂行しているのだろうけど。自分たちが知らないからといって存在すらしていないと思い込むのは単純すぎると戒める。
「あ、そうだ。ユリさ、浴衣着てく?」
「……」
 ユリは一度携帯電話を耳から離し、通話相手の名前を確認する。ディスプレイに表示されている名前が片桐アスカのものである事を確認し、彼女が自分の本当の性別を知っている事を記憶の中から確認し、そうしてもう一度携帯電話を耳につけた。ここまで丁寧に手順を踏んだのだから、ユリに思い違いはないはずだ。
「確か、ボクが男だって知ってるよね?」
 もし忘れてくれたのであればそれはそれでオッケーだ。女子トイレに入ろうとするたびにわざとらしく舌打ちしてくるアスカを気にする事がなくなるのであれば、それはそれで多少は学園生活に対する不安も消えてくれる。そんな捻くれた願望を裏切るように、電話の向こうの彼女の吹き出す音が聞こえた。酷い冗談だと抗議しておいた。
「あー、うん、そうだったね。すっかり忘れてたわ」
 上機嫌な声を隠そうともしない彼女に、ユリの方にも苦笑いが出る。
「なんでそんな事聞くの?」
「いやー、ほら、さ。浴衣着てこうかなっと思って」
「アスカさんが?」
「そう、何か問題でも?」
 とんでもないですと電話の向こうの彼女に伝えた。正直なところ、祭りに浴衣を着ていくような性格の人間じゃないと思っていたので、ちょっと意外だった。正直にそれを伝えると絶対怒るはずなので、ぐっと言葉を飲み込んで腹の中に隠す事にする。
「でも……それとボクが浴衣着るかどうかってなんの関係があるの?」
「だってさ、せっかく浴衣着てバッチリ決めてきたのにさ、隣に同じように浴衣着た美少女が居たら居心地悪いじゃん?」
「……」
 アスカの顔は見えないがユリの反応を楽しみにしている事だけはしっかりと理解できた。彼女のニヤニヤとした表情が簡単に想像できる。声の調子だけでこれだけ向こうの様子が分かるのだから、アスカとは映像越しの通信なんて必要ないなと妙な事を考えてしまった。
 なんと答えるべきか迷っていると、アスカが軽口を続けてくる。
「私の美貌に惹かれて男たちが群がってきたら、ユリが追い払ってね」
「じゃあボクの方に群がってきたらアスカさんがどうにかしてください」
「あははははっ!!!!」
 アスカはユリの返しがえらく面白かったらしく、我慢する事無く大きな笑い声を出した。その笑いが収まらぬまま、その時は私に任せときなさいとまで言われてしまった。


 ユリは部屋の窓に切り抜かれた外の風景を見る。真夏の太陽に照らされているそれは少し前までとても外出なんてする気になりそうに無かったものだったが、今はほんの少しだけ楽しみに溢れている場所のように思えた。
「あの……ちょっと誘いたい人居るんだけど、連れてって問題ないかな?」
「うん? 誰? 男?」
「いや違うけど」
 窓の外に広がるただ青く広い空を見ていると、アリアの事を思い出した。だから、ついついそう言ってしまった。彼女とはあれっきり会っていなかった。会ったとしても、自分が何を告げてやればいいのか分からずじまいだった。何をしてやれば良いのか、彼女は何を望むのか、検討もつかなかった。
 だからそんな不甲斐ない自分に出来る事なんて、せめてただ少しでも彼女を笑顔にしてやろうと苦心する事しかないように思えた。
「あ〜、アリアちゃんね。うん、もちろんいいよ。連れておいで」
 アスカの了承を得たので、後は本人への確認だけだ。雲ひとつない空の広がる日中に外出するのは憂鬱だったが、やらなければいけない決心が出来るとそれも容易い関門にしか思えなかった。





 アスカとの長電話を終えたあと、自室を出てリビングに行くと星野美弥子がソファに寝そべっていた。夏休みなんて関係ないのに毎日こうもダラダラしてる彼女を見ると、さすがにいろいろダメだろうと思えてくる。思うだけじゃなくて実際ユリは口に出してそれを言った事があるのだが、それを受けた星野美弥子は身体を横にしたまま『私みたいな大人になっちゃダメよ優里くん』と悪びれずに言ったのだった。自分を反面教師として誇るかのようなその態度に、どうやったらここまで開き直れるんだと呆れ果ててしまう。そしてその図々しさが少しばかり羨ましい。
「明日友達とお祭り行こうと思うんだけど、お小遣いちょうだい」
「んー……? お祭り?」
 ちょっかいをかける意味でもとりあえず小遣いの催促をしてみてみると、美弥子が本当にだるそうにこちらを向いた。先程まで自室でだれていた自分が言うのも何だが、こうはなるまいぞとユリは心の中で誓う。
「祭り行くんだ? こんなに暑いのに……」
「美弥子ネェも一緒にいく? 一日中家の中でゴロゴロしてるより良いと思うんだけど」
「ええ〜……いいよ私は。それに優里くんの友達も一緒なんでしょ? ちょっとその年頃の子たちと遊びまわるのは気恥ずかしいというか……」
 恥じ入るように美弥子はてへへと笑う。恥ずかしいという感情があるなら今現在の自らを振り返るべきだと思うのだが、そんな事を言うと小遣いがもらえなくなってしまう可能性があったのでユリはしっかりと口を噤んだ。
「ん〜、まあいいや。この優しいお姉ちゃんが、ばーんとお小遣いくらいあげましょう! おみやげ何か買ってきてね」
「わー、さすがだなお姉ちゃーん。やっさしー」
 わざとらしいおだてにも、美弥子は悪い気はしなかったようだ。ガハハと豪快な笑い声を出しながら、テーブルに置いてあった財布に手をかける。だが、その武将笑いはすぐに止まってしまった。
「ありゃ、手持ちないや。……そうだ、明日お金下ろすついでに買い物行こうか?」
「いいけど……なに買うの?」
 今度はにしししと美弥子は笑う。ものすごく厭らしい笑顔だった。この短時間に3つの異なる笑いを見せてくれるとは。喜怒哀楽が激しいという言葉は良く聞くが、喜の感情だけが激しい人もいるのだと妙な感心があった。
「やっぱりさ、祭りって言ったら浴衣だよね! めちゃんこ可愛いの買ってあげる!!」
「いやいやいやいや……」
「着てくれないならお小遣いあげない」
 ぐぬぬぬと唸っているユリを見て、美弥子はホホホと高笑いした。これで四つ目の笑いだ。
 とりあえずユリは、明日までにアスカに対して上手い言い訳を考えなければいけなくなってしまったようだ。




***



 まだ少し痛みを感じる左足を酷使して、ユリは丘の上の公園へとたどり着いた。時刻は午後6時を差しており、昼に比べると日差しも優しくなっていた。しかしまだ日は陰る様子を見せず、その存在をしっかりと空に主張していた。夏の太陽には殺意を感じるなと、変テコな被害妄想が頭をよぎる。
 ユリは公園内部へと目を向ける。そこでは見知らぬ子供たちが数人遊んでいて、その中にアリアの姿も見て取れた。夏休みに入る前は独りで遊ぶしかなかった彼女だが、やはり子供というのは友達を作る天性の才能を持ち合わせているらしく、いつの間にかこの公園によく来る子たちと友人になっていた。もしかしたらもう自分が彼女に付き添う理由なんてないのではないかと思う事もあるが、そんな思いは彼女のユリを見つけた時の笑顔でかき消されてしまう。もしかしたらアリアにとって自分が必要なのではなく、ユリこそがアリアを必要としているのではないかとさえ思ってしまう。
「あ! ユリお姉ちゃん!!」
 砂場で遊んでいた彼女はユリの姿を見つけ、思いっきりの笑顔で彼を迎える。こんなにただ純粋に人を待ちわびる事なんて子供の時しか出来ないなと、ユリはもう二度と会うことのできない両親の事を想った。ほとんど古ぼけたその思い出の中で自分はどのような顔を親に見せていたのか、しっかりと記憶を掘り出す事は出来なかった。



「お祭り……うん、行きたいけど……」
 公園のベンチに座ったアリアは、ユリの頭の中で描かれた想像とは違って表情を曇らせていた。遊び盛りの彼女が自分の誘いを受ければ喜んで首を縦に振るだろうといううぬぼれがあった事は否定できない。結構ショックを受けながら、ユリはその理由を尋ねる。
「もしかして、都合悪かったかな?」
「遅くまで遊んでたら、ダメだって」
 彼女の親族でない赤の他人の自分には、それなら仕方ないねと言うしかなかった。おそらく彼女に傷を作っているであろう保護者が、そんな一般常識的な事をアリアにしっかりと守らせているのには憤りを感じるが、それを無視して彼女を連れ回す事なんてできやしない。結局自分に出来ることなんてほとんど無かったのではないかと打ちひしがれる。
 そんなユリの表情を見てか、アリアはしばし頭を悩ませる。そして思考を数巡させた後、決意を持った目で彼を見た。
「でも……うん、大丈夫! 私お祭り行くよ!」
「え? でも……いいの?」
 アリアはほんの少し困ったように笑う。不自由な形に押し込められて生きている自分を自虐するかのように、努めて明るく言った。
「ユリお姉ちゃんと一緒にいたいし、ほんのちょっと悪い子でもいいや」
 こんなに良い子が自らを悪となさねばならぬほどの重荷を背負わせた事に、ユリは心を痛めた。彼は出来るだけ笑顔で良かったと言ってあげたが、うまくそれをやってのけた自信は無かった。




***



 蘭華町駅。JRといくつかの私鉄、そして快速モノレールに乗り入れる事が出来る巨大なステーション。蘭華町の人口からすると不釣合いなほど大きなその駅は、天蘭学園の最寄り駅だった。快速モノレールが本線から不自然にこの駅まで引っ張られているその路線地図を見れば、誰だってなんらかの力でこのような駅が天蘭学園の近くに建てられたのだと理解できる。モノレールで行ける隣の駅が衛星などの発射基地最寄り駅なのがいい証拠だ。何かあったら、生徒や物資をモノレールにつめてロケットまで一直線に運び込める。その有事が何を想定しているのかなんてユリのような学生には想像する事も出来なかったが、なんにせよ綺麗に保たれた蘭華町駅からただようどこか非日常な香りを感じる者は多かった。そんなこの駅が、アスカとの待ち合わせの場所だった。
「昔からあまり好きじゃなかったんだよなぁ……ここ」
 液晶ディスプレイが埋め込まれた柱にもたれ掛かっていた少女……に見える少年はそう呟いた。彼は今日購入したばかりの藍色の浴衣に袖を通し、髪を結っていた。着付けおよびヘアコーディネートしてくれた星野美弥子によると、浴衣着てるとうなじにクリティカル属性が付与されるらしい。ユリはゲーム脳だねと冷たく言い放ったが、えらく上機嫌だった彼女は気にした素振りさえ見せなかった。
「ちくしょう……なんだか今更恥ずかしくなってきた。ボクはいったい何してんだホント」
 たまに感じる視線で、羞恥心が刺激される。綺麗な浴衣は、男性だけでは無くて女性の気をも引くらしい。今日は祭りがあるんだと納得な表情をして、それとなく浴衣の柄に目を這わせる。彼女たち女性の視点から見て不自然な箇所が無い事を心から祈る。
 足の怪我もあって最近は自宅で過ごしていたので、ラフな格好で過ごす事ができていたというのに。スカートなんて新学期が始まるまで着なくていい事を素直に喜んでいたというのになんでこんな事にという後悔に頭が支配される。
「いや……待てよ。浴衣なんて男だって着る事あるんだから、むしろ学校の時より男らしい格好をしてるんじゃなかろうか。うん、間違いない。そうに違いない」
 こんな可憐な浴衣なんて着ている男見たこと無いけどと心の中で付け加えたが、とりあえずアスカへの言い訳はこれで行く事にした。言いくるめる事が出来る自信はまったくなかったが。


「ういーっすユリちゃん! おひさ!」
「うわっ!」
 ボーっと考え事をしていたユリに元気な声がかけられる。自分の驚きように少しばかり恥ずかしさを覚えながら声の主の姿を確認すると、にこにこと機嫌の良さそうな石橋千秋と片桐アスカの姿があった。彼女は二人とも卸したてらしい可憐な浴衣を着ていた。
「うわー、ユリちゃん、その浴衣いいね! とっても綺麗だよ!! ……あ、もちろんユリちゃんもね。それも含めて綺麗って意味でね」
「あはは……ありがとう千秋さん」
 千秋とは夏休みに入ってから一度も会っていなかった。休みに入ってすぐに合宿に行ってしまったし、帰ってきてからは怪我の療養のために一緒に遊びに行く事も出来なかったのだった。ただメールや電話などでのやりとりはそれなりにしてたので、彼女の肌がやけに健康的な黒さになっている理由も分かっていた。怪我してた者にとっては、その行動力が羨ましい。少しぐらい分けてくれとも思う。
「千秋さんの浴衣も綺麗ですよ。……あと、アスカさんも綺麗です、はい」
 先ほどから一言も喋らずにニコニコと笑顔を振りまいているアスカに、ユリはそうおべっかを使ってみた。効果があったのか分からないが、先ほどよりも怖いぐらい優しい笑顔で、うふふと笑ったのだった。まさかここまで胃が痛くなるようなプレッシャーをかけられるとは思ってもいなかったとユリは嘆いた。
「ねぇユリ? 私はね、別に怒っているわけじゃないのよ? ただちょっと引っかかるというか……。なんでー、私にー、嘘ついたのかな?」
 本当に全然気にしてませんよー的な声色をアスカが心がけているのが丸分かりだったので、なんと答えるべきかユリは困ってしまった。下手な言い訳して雷でも落とされたら堪らないので、ここはなんとか上手く説明して事を収めるべきだ。
 ……とは思っていたものの、目だけは笑っていないアスカを前にして高等な言い訳が浮かぶ気もしなかったので、早々に弁解は諦めた。傷口が大きくなる前に全部ぶっちゃけた方がいろいろと気が楽だ。
「ええっと……これ着たらお金くれるっていうんで、着ました。あははは……」
「え? なに? あんたなんかヤバイ商売してるの?」
「いや、違うから!」
 なんだかまた変な方向に誤解されそうだった。事の原因である美弥子をユリは恨む。



「えーっと、じゃあそろそろ行きましょうか?」
 おそらく仕事場から帰ってきたであろう人々が駅に増え始めてきた。さすがにこのまま立ち話を続けるのもなんだったので、ユリがそう促してみた。アスカはちょっと困った顔をして、口を開く。
「あー、うん。ちょっと待って。あとふたり合流するはずだったんだけど……」
「へ〜……誰ですか?」
 ユリはてっきりこの3人で祭りを楽しむんだとばかり思っていたのだが、どうもあと2人追加されるらしい。アスカは頭を掻きながら話す。
「この前図書館で琴音さんと会っちゃってさ、いろいろ話し込んでるうちに誘っちゃったの。雨宮会長も一緒に来るんだって」
「……そう、なんですか」
「ちょっと。なにその顔。私が琴音さん誘ったら悪いの?」
「いや、そんな事ないですけど」
 仲良かったんですねとか言ったら本当に怒り出しそうだったので、口に出すのは止めておいた。それにしてもアスカが琴音を遊びにさそうだなんて。ちょっと言葉では言い表せぬ驚愕を感じたのは事実だったので、表情を取り繕う事も出来なかった。そんなユリの顔を見て、アスカは言い訳しはじめた。
「いやね、ほら、合宿の時にいろいろ助けてもらったじゃん? だからさ、せめて少しは認めてやんないと可哀想じゃん? 鼻持ちなら無いのは琴音さんの個性としてさ、認めてやんないといけないじゃん?」
 本人の前ではとても聞かせてやれない上から目線な発言ではあるものの、アスカと琴音が歩み寄った事は素直に嬉しかった。琴音は琴音で彼女の誘いを素直に受けたらしいし、彼女の方も何か思う所があったのだろう。そうやって互いに歩み寄れたのは大きな前進ではないかとユリは思う。
「あ! あれ琴音さんたちだよね!? 琴音さーん!!」
 千秋が駅構内に入ってきた琴音と雨宮雪那を見つけた。どうやら彼女たちもこちらを見つけたらしく、その歩みの方向を変えてきた。
「あ〜……琴音さんたちもやっぱ浴衣着てきちゃってるよ。これでますます私が目立たなくなっちゃうじゃん」
 苦笑いでアスカが言う。確かにあの2人の浴衣姿は遠目から見ても綺麗に思えた。
「でも、アスカさんも綺麗だと思いますよ。その、お世辞とか抜きに」
「……」
 3秒程アスカに見つめられ、そして頭を叩かれた。
「そういうのはね、出会い頭に言うものなのよ」
 上機嫌を隠し切れないアスカに対して、ユリは次からは善処すると告げた。




***




「で、その子とは何時に待ち合わせしてるの?」
「もう約束の時間は過ぎてるんだけど……」
 琴音たちと合流したユリ一行らは、ユリがいつもアリアと一緒に遊んでいる公園へと着ていた。祭りが行われている神社とは目と鼻の先で、祭ばやしがここにも届いてくる。空気を震わすその音は、一時的にこの場を別の世界へと変貌させる力を持つようにさえ思えた。
 ユリが左腕に巻いた時計を見ていると、不思議そうな顔をして雨宮雪那が質問してきた。
「ユリちゃん、結構ゴツイ時計してるんだね。イメージと違うかも」
「え!? ああ、そ、そうですかね……?」
「うん、もっとカワイイのが似合うと思うよ」
「あはははは……」
 何やってんのよと隣に居たアスカが小声でつぶやいた。確かにちょっとぬかったとは思うが、身の回りのもの全てを女物に変える予算なんてユリにはありはしないのだから仕方ない。そう視線に込めてアスカに返したが、それを読み取ってくれたようには思えなかった。

「えーっと、ボクはしばらくここで待ってみるんで、皆さんは先に楽しんできてください」
 自分が誘ったのだから、アリアが来るまで自分はここに居る義務がある。だが他の4人はそういうわけではない。このまま無為に時間を過ごさせるのは悪い気がしたので、ユリがそう提案したのは自然なことだった。
「でもそれは……」
「こうやって待たせるのも何か悪いですしね。それに多分すぐに来てくれると思いますし」
 それは気が引けるというような表情をしている神凪琴音を気にさせまいとそう言った。だがそれをやすやすと飲むような彼女ではない事も知っていた。このまま問答が続けばそれこそ無為な時間となるわけだが、それは出来るなら回避したいとユリは思う。
「一人でここに置いておくのもアレだし、ひとりひとり交代でユリちゃんと一緒に待ちましょうか?」
 そう提案したのは千秋で、それならまあ仕方ないかとみんな納得してくれる。言いだしっぺは私だしと、まずは千秋自身がユリと残ってくれる事となる。それらの行動は素直に嬉しかったので、ユリは千秋に礼を言った。
 ただアスカの方は言いたい事があるらしく、頬を膨らませて抗議した。
「私琴音さんと一緒にいるのイヤなんだけど?」
「私もアスカさんと一緒にいるの、堪らなく嫌なのだけど?」
 そんな仲の良い文句を口にした2人を、雨宮会長は笑顔で神社の方へ連れて行く。ユリに向かって心配しないでねと言ってくれた雨宮雪那の存在さえあれば、祭りの真ん中でいきなりケンカを始めることは無いだろう。ひとまず安心だと胸を撫で下ろす事が出来た。





「ごめんね千秋さん。一緒に待たせちゃって」
「いいっていいって。それに、ずっと琴音さんの隣にいると緊張するしさー」
 自分に付きあってくれた友人はそう笑って返してくれた。そう言ってもらえると、こちらも助かる。
「千秋さんって……多分、琴音さん好きだよね?」
「好きっていうかまあ、それなりのファンというか……」
 えへへと彼女は笑う。そう言えば神凪琴音の事を最初からよく知っていたみたいだったなと、過去を思い返す。
「天蘭学園に来る前から、そりゃあまあよく知ってたよ。来年から自分が通う所はどんな所なんだろうって調べたら、嫌でも琴音さんの事耳に入ってくるし。私とそんなに歳も変わらないのに、こんなに皆から……全人類から期待される人間ってどういう人なんだろうって、興味も湧いたし。まあまさか一緒に遊びに行く間柄にまでなるとは思ってなかったけど……。これに関しては、ユリちゃんに頭上がらないね!」
 本気か冗談か、千秋はユリを拝む素振りまでしてきた。ユリは笑ってその参拝を躱しながら、琴音を誘ったのはアスカなのだから彼女に拝んでくれと対象を彼女にずらす。
「まあそれもそうか。アスカ、あんなに琴音さんの事毛嫌いしてたのにねー。……何かさ、合宿でいろいろあったんだって?」
「え?」
「あんまり詳しくは教えてくれなかったけど、大変で死にかけたってアスカが。ホント疲れ果てた顔してたよ」
 その時のアスカの表情を思い出しているのか千秋は笑う。ユリも表面上は彼女にあわせて笑ってやったが、内心冷や汗をかいていた。なぜならば、アスカの言う死にかけたというのは、比喩でも大げさな冗談でも無かったのだから。
「でもまあアスカにとってもいい経験だったんじゃないかな? 嫌いだった人を一応認めてやれるようになるなんて、なかなか出来ないことだよ。素晴らしい成長だと思う」
「あはは……その言い方、なんだかすっごく大人みたい」
「まあねー。成長してるのは君たちだけではないのだよユリちゃん。2人が私を置いて合宿に行っちゃったから、私もいろいろ考えたし、やることやってたわけですよ」
「やることやってたって?」
 それは秘密と千秋はいたずらっぽく笑った。それからしばらく夏休みの事を彼女と話す。ユリは左足の怪我のせいでこの公園以外の所なんて数えるぐらいしか行って無かったので会話のネタは少なかったが、千秋の羨ましいぐらいの夏の行動記録を聞くだけで楽しむことが出来た。



「あ、雨宮会長だ」
 千秋と20分ほど会話した後、雨宮雪那がこちらへと歩いてくるのが見えた。自分たちが彼女を視界に入れている事に気づいているようで、軽く手を振ってくれた。



***


「合宿で言った事、考えてくれた?」
 ユリの隣りに座り、立ち去った千秋を見送った雨宮雪那は開口一番にそう尋ねてきた。いきなりだったので雪那のその言葉の意味を正しく理解する事できず、ユリは間抜けな表情を彼女に見せてしまう。
「ほら、恋人に、琴音さんはどうかって」
「ああ、ああ……その話ですか」
 あれからいろんな事がありすぎて、そんな話なんて忘却の彼方だった。それにその話を今更蒸し返させられても困る。
「あれ? あの話に決着ついてませんでしたっけ?」
「そう? 私からしたらただ単にはぐらかされただけなんだけど」
 ニコニコと優しいほほ笑みを浮かべながら雨宮雪那はそう責め立てる。前々からどこか感じていた事だが、彼女はただ優しいだけの人間じゃない。自分の何かを押し通すためには、時にただ黙って笑っていた方が良い事を知っている人間だ。そしてそれが通用しないとなれば、早々にそれを捨て去った方が機敏に動ける事もおそらく知っている。
「ボクは、琴音さんとは……」
「もしかしたら明日、人類が滅びるかもしれない」
「え?」
 ユリの言葉を遮るように、突拍子も無いようなことを雪那は口にした。言葉の真意を問いかける前に、彼女が言葉を続ける。
「セカンド・コンタクトからもう8年も過ぎて……人類は忘れてしまったけど、私たちは常に、人類存亡の危機に瀕しているんだよ。それの滅びだってなんの前触れもなく、ただ唐突に行われちゃうようなものなの。たった一匹の特別な竜が到来すれば今までの全てが瓦解するような……そんなギリギリの戦いを私達は続けている。もちろんG・Gはそれこそ本当の意味で命をかけてこの星を守っているけども……それでも人類は1度滅びかけてる。ファースト・コンタクトを含めれば2度かな」
 雨宮雪那は夕暮れに染まる空を見上げた。いつの間にか夕暮れ空に現れていた一番星が、自らの存在を誇るかのように煌めいていた。雪那はその輝きはじめた一番星の向こうにいる、戦女神たちの事を見ている気がする。
「ユリちゃんにどんな想いがあるのかよく知らないけど、でも私は琴音さんの友達だから。だから、できるだけ彼女に楽しい時間を過ごして欲しいの。いつ無くなっちゃうか分からない地上でね」
 空から目を移して、ユリの方を見て雪那は笑う。彼女は恐ろしい人だ。ひとつひとつ逃げ場を潰して、それでいながらユリに決断させようとしている。そして彼女はユリに対する切り札を笑いながら切ってきた。
「琴音さんね、来年宇宙に行っちゃうんだよ」
「え?」
「本当なら3年生終わってから宇宙にあがるものなんだけど……ほら、琴音さんって変に優秀でしょ? だから、ユリちゃんとは半年とちょっとしか一緒にいられないの。もちろんユリちゃんも2年後には宇宙にあがることになると思うけど、でもそれはユリちゃんが順調にパイロットになれた場合であって、そしてその時まで人類があり続けた場合の話」
 ユリの思考をその瞳から読み取ろうと、雪那はこっちを真っ直ぐな瞳で見射る。動揺を顔に出した覚えは無かったが、それでも彼女はこちらをしっかりと見透かしたように思えた。
「ユリちゃん。私はね、琴音さんに幸せになってもらいたいの。人より才能に恵まれて、人より努力して、そんな人間がこのまま寂しく独り身で地上とさよならしちゃうなんて悲しいでしょ? 頑張ったんだから、少しはご褒美がなきゃ。
 だからお願い。彼女の事を思うなら、あの子ともっと一緒に居てあげて。ただ一緒に居るだけで琴音さんの心を満たせる人間なんて、ユリちゃんしかいないんだから」
 人の苦悩も知らないで身勝手な事を言うなと思った。このまま琴音を騙して一緒に居る事に自分が何も感じていないならば、ずっと前からそうしてる。さすがに口に出せないその言葉のせいで、雪那に対して返事する事は出来なかった。
「雪那さんって……琴音さんの事好きですよね?」
「まあ大体の部分は好きだね」
 こちらの心を思う存分揺さぶってくれたお礼に何かジャブを打たなければと思ったユリの言葉を、雪那はすんなり受け止める。そのあまりの動じなさと何か含んでいる部分がありそうな返答に、ユリは呆気にとられてしまう。
「自分の意思を貫くためなら努力をいとわない琴音さんが好き。それを決して表に出さないように振る舞う琴音さんも好き。その癖、他人にもその志を強いるために煙たがられる事の多い琴音さんが好き。『正しさ』を正しいままにやってのけるから、気付かないうちに他人を傷つけてる琴音さんも好き」
 後ろ2つは決して褒めているように聞こえないのだが。そのツッコミを挟む余地なく、雨宮雪那は言いのける。
「でも、T・Gearに乗ってる琴音さんは好きじゃない。というよりも、気に食わない。忌々しいとさえも思う」
「え?」
「ユリちゃん、私はね、琴音さんに勝ちたくて勝ちたくて仕方なくて、そしてそれを絶対に諦めてない女の子なんだよ。『神凪琴音に挑むことを諦めたあなた達』とは違って」
 明らかにそれは自分を含む『凡人』というカテゴリーの者たちに宣戦布告しているかのような言葉だった。いくらユリでもこのまま言われるだけなのは我慢ならなかったが、何一つ返す言葉が見つからなかった。おそらくそれは頭のどこかで雪那の言葉を認めてしまったからだし、そしてまた例え何か上手い言い返しが思いついたとしても、それに意味が無い事を理解していたからだと思う。いくら啖呵切った所でそれを行動に移さなければ意味が無い。騒ぐだけなら、それこそこの夏に溢れる蝉にだって出来る。
 押し黙ってしまったユリを見て、雪那はごめんねと謝った。彼女の苦笑している表情を見れば、本当に反省している事はすぐに見て取れた。
「ユリちゃんが琴音さんと一緒に居られる時間が少ないように、私が琴音さんと真正面からしっかりとやりあえる時間も少ないからね。ちょっと焦ってるのかも。だからほら、一緒に頑張ろうよ! 方向性は違うけどさ!!」
 出来れば自分も、『あなたの側』に立ちたいのですよと言い返す事も出来ずに、ユリは曖昧に笑うしか無かった。




「どうしたの? どこか、元気ないみたいだけど」
「いえ、まあ、別に……何でもないですよ?」
 雪那と交代してくれたのは、先ほどまで2人の話題に上がっていた神凪琴音その人だった。その話題がちょっとは明るい話であればよかったのだが、お世辞にもそう言えない会話の後では、彼女にどう接していいのか困る。その迷いはすんなりと表情に現れていたらしく、琴音はユリの事を心配そうな目で見ていた。
「待ち合わせの子とは親しいの?」
「ええ、まあそれなりに……。必ず来るって約束してくれたんですけど、まだ来てくれませんね……」
「そう、ちょっと心配ね」
 ユリが心情を吐露してくれないと悟ったのか、隣に座った琴音は話を変えてきた。また変な気を使わせてしまったなとユリは思う。
「ええっと琴音さんはその……」
 来年になれば宇宙に行っちゃうんですかと言いかけて、ユリは口を閉じた。本当はその真偽を確かめたかったが、琴音が自分にそれを教えてくれなかったのは何か理由があるのではないかと思い至り、最後まで口にする事が出来なかった。というよりも本当の所、彼女から直接その話を聞かされてしまえばもう自分にはどうしようも無い事が淡々と進んでいるのだと思い知らされるのが、怖かっただけなのかもしれない。
 途中で言葉を切ったユリを、琴音は再び心配そうな目で見る。何か言葉を続けなければと焦ったユリは、よく考えずに自分の思考を吐き出す。
「琴音、さんは、その……ボクのこと、どう思ってますか?」
 しまったと思った時にはもう口の中の言葉を全て吐き出した後だった。先程まで雨宮雪那と琴音にまつわる色恋沙汰の話をしていたものだから、こんなとんでもない言葉が出てきてしまった。
 ユリは琴音が返事をする前にうやむやにしようとする。彼女がもしユリの質問に真摯に答えた場合、ユリにそれを断る事なんて出来ないと思っていたのだから。
「ユリは……私にとって、大切な人よ。出来れば、ずっと一緒に居たいと思っている」
 ユリが押しとどめる前に琴音から紡がれた言葉は、深読みすれば告白と捉える事も可能なものだった。だが先程雨宮雪那との会話を挟んだユリには、その言葉を良い方向に受け取ることは出来なかった。まるで自分を庇護する対象であると言うかのようなそれをやすやすと飲み込めるほど、ユリはまだ自分に諦めがついてない。
「ユリは……私の事、どう思っているの?」
 頬を染め、ユリから視線を微妙にずらして琴音はそう聞いてきた。どのように答えたものかしばらく迷って、ユリは口を開く。
「琴音さんに模擬戦で勝てるようになったら言います」
 ユリのその意地をはるかのような返答にしばらくぽかんとしていたが、琴音はすぐに頬を緩ませた。そしてその時がくるのを待っていると、本当に慈愛に満ちた声で返してくれたのだった。雪那の語った正しいことを正しいままにやってのける琴音の意味を、今ならよく理解できる。彼女に悪気は無いのだろうが、確実に存在する大きな壁のようなものを突きつけられて、笑ってられる人間は少ない。
 このままではダメだとユリは思う。手が届かない人間だと一瞬でも認めたが最後、彼女と一緒にいる事が苦痛に変わる予感がする。それが嫌だと思うならば、自分は必死になって藻掻かなければならないと、心に刻み付ける。そんな煩わしい信念を持ち続けなければいけなくても、ユリは琴音の下から離れるのは嫌だった。
「2学期始まったら……またT・Gearの練習に付き合ってもらっていいですか?」
「ええ、喜んでお相手させてもらうわ」
 琴音は笑ってユリのお願いを了承してくれた。





「はい。ユリのためにかき氷買ってきてあげた。ありがたく受け取りなさい」
「ありがとうアスカさん」
 琴音の次にやってきたのはアスカだった。彼女でちょうど一巡した事になる。ひとり15分から20分程度ユリに付き合ってくれたので、それが3人分でもうすでに1時間ほど経ってしまった事になった。さすがにここまで待たされているとアリアの身が心配となって、自然とユリの口数は減っていってしまった。アスカもそれを察してか、無理に話しかけてきたりはしなかった。ユリ用のかき氷と共に買ってきたたこ焼きを食べながら、もうすっかり暗くなった空に目を向けている。
「アスカさん……」
「ん? なに?」
「えーっと……今日は誘ってくれてありがとうございました」
「ははは、なんでこのタイミングでそんな事いうの?」
「忘れないうちにと思って」
 それはいい心がけねとアスカは笑って返した。ただその笑顔にはどこかしら影のような物が見えた。自分が落ち込んでいた所為で彼女のテンションまで下げてしまったのかと、ユリは反省する。
「ごめんなさい。なんか、勝手に落ち込んじゃってて。アスカさんも気ぃ悪いですよね」
「いや、まあ別にそういうわけじゃないよ。もともとちょっと凹んでたし」
 元々気落ちしていたと言われても、出会い頭から今に至るまで楽しそうにしていたアスカを見てそれをそのまま信じる事なんて出来やしない。その思考をアスカはユリの表情から読み取り、苦笑いで返した。
「人間って不思議なもんで、いくら落ち込んでたっていつまでも落ち込んでいられるわけじゃないよね。凹んでいる間だって確実にお腹すく訳だし、シリアスな考えしてても腹は鳴るし。何かの拍子でバラエティ番組が目に映ると、何の考えも無しに笑っちゃう。多分人はずっとひとつの感情だけ持って生きるようには出来てないんだね。出来れば楽しい感情のまま遊び呆けたいけど、でもふと頭を過ぎる悩み事を、無視する事も出来ない」
 そのふと頭をよぎった悩み事に支配されたのが今の自分なのだと、アスカは暗にそう言った。
「悩み事ってなんですか……?」
 ボクが聞いても良い事なら、聞きたいですけどとユリは付け加えてそう聞いた。アスカはうーんと頭を捻って、どうしたものかと困った表情をした。
「ユリってさ、将来の事って考えた事ある?」
 アスカから聞かされたその一声に、ユリは面食らってしまった。これが彼女の言う悩みという奴なのだろうか。漠然とした将来への不安といった、ある意味で歳相応のその悩みをアスカが持ち合わせているとは、失礼ながら思ってもいなかったのだ。
「特にそんなに深く考えた事は無かったですけど……」
 そうユリは答えたが、その言葉はある意味で嘘だった。学校の課題をこなしてパイロットになるという単純な目標にのみ目も向けるだけで、意図的にそのルートから外れた時の事を考えないようにしていた。真剣に見つめて何か良い結果が出てくれるような物で無い事は重々承知していたからこそ、目を背けていた。
「私はさあ、なんとなく母さんみたいになるんじゃないかって思ってたよ。パイロットになって宇宙にあがって、私の父さんみたいな人見つけて子供産みに地球戻って。そしてまた宇宙にあがって、そこで大切な人たち残して死ぬのかもって。もしかしたらそうなるよりずっと前に一人寂しく死ぬのかもって。
 まあ、多少差異はあるだろうけど、そういう風に生きて死ぬんだろうなって、ずっとそう思ってた。母親がそういう生き方と死に方したから、余計に、そういう風にしか生きられないと思ってた」
 アスカがいったい何を言わんとしているのか、ユリにはわからなかった。パイロットとして模範的な生き方……そして一般的な死に方だと思うそれらに、何の問題があるのかとさえ思ってしまった。その考えも顔に出ていたのか、アスカはユリを見て痛々しく笑う。明らかに笑顔に失敗したそれに対して、ユリは何も言う事が出来ずに彼女の言葉を待った。
「合宿の後、ミーアの奴と連絡とった?」
「え? ああ、いえ……一度連絡入れてみたんですけど、結局つながりませんでした」
「そう。あいつ、病院に入れられてるらしいよ。名目上はリハビリのためらしいけど、間違いなく精神疾患で収監されてるってさ」
 なんでそんな事を知っているのかと目で問うと、アスカはすんなりと教えてくれた。
「本人から聞いた。多分ユリが電話する前なんだろうね。私もいろいろ聞きたい事があったから、あの狂人に電話した」
 アスカは視線を夜色に染まった空へと向けた。一度唇を深く噛んで、言葉を搾り出した。
「あいつが合宿の時に私に言った、2%の子どもってどういう意味なのか、教えろって。あいつはそれを渋ったけど、教えてくれないなら合宿で起きたこと全部ぶちまけるって脅した。そしたらあいつは……」
 アスカの言葉が簡潔に、途切れ途切れになっていく。それが自分の心に鞭打って、無理やり言葉を紡ぎ出したからだということぐらい、ユリにもすぐに理解できた。
「ユリ、私は、お母さんみたいなろくでもない生き方なんてしたくないと思ってた。でもどこかで、結局お母さんみたいに家族残して死ぬんじゃないかとも思っていた。何の思い出もくれなかった母親に憎しみはあったけど、でもそれはT・Gearのパイロットの宿命のような物って、そういう風に思う事で、仕方ないと思うようにしてた。でも違う! 私は多分、お母さんのようになれやしない! なんであの人は『私を産んだのに』そのまま放っておけたんだろうか? だってそれはものすごく『幸運』だったはずなのに」
 ほとんど最後は泣き声に変わったそれでアスカは叫ぶ。彼女は目を向けていた空からこちらに視線を移し、痛々しく笑った。
「多分お母さんは、本当に、心の底から、私の事なんてどうでも良かったんだ。多くの人たちから祝福され、たった2%の幸運を享受したにも関わらず、それでも彼女を地球に繋ぎとめる絆にならなかったんだ。
 でも、もういいよ。そんな事、どうでもいい。大切なのは、私はずっとお母さんとは違って自分の子に寂しい思いをさせてやらないと誓ってたし、それはもう当然のように出来ると思っていたって事。そしてそれが、とんでもない思い違いだって事」
「アスカさん何を……」
「ユリ……私、ううん、私たち、子ども産めないかもしれない。私たちの98%は、多分、どうやったって産めやしないんだ……」
「何を、バカな……そんな事、あるわけ」
 ユリの反応を無視する形でアスカは言葉を続ける。もう彼女はこちらを見てくれていなかった。
「ミーアは言った。T・Gearのパイロットの宇宙での健康被害の割合は……一番多いのが長い宇宙空間でのストレス障害で、次はエアフィルターに雑菌が繁殖して起こる宇宙船単位での感冒。そして宇宙放射線による被曝障害。
 ただこれらに隠れる形でパイロットの妊娠率が異常に低かった現場のみで語られはしていたけども、G・Gはずっと認識していなかった。それは多分パイロットが『KIA』(作戦行動中の死亡)になる事なんて珍しくなかったし、年齢を重ねて地球に降りた人たちは妊娠適齢期を過ぎていたから、表立って注目されなかったんだと思う。それに、ストレスとか放射線とか、そういう原因もあるって思われた。
 でも、いくら何でもパイロットの第一子の出生率が低すぎた。同じく宇宙で活動している後方支援部隊よりも遥かに、パイロットだけが子どもを産めなくなっていた。彼女たちとT・Gearパイロットの違いなんて限られてて……もう分かるよね?」
 ユリはミーアが夜の森で吐き捨てた言葉を思い出していた。竜は、ただ一匹で人類を滅ぼせる。もちろんそれは物理的な暴力の話ではない。竜の火力は十分人にとっての脅威となるが、人類を滅ぼすまでには至らない。それほどまでにこの星では、人の数が多い。だが、アスカが語るように『何か』によってもたらされる力によって人の出生が制御できるとするのならば。
「私たちは『力』を授かった。その力を与えてくれたのは、本来敵であるはずの竜から。ずっとずっと不思議に思ってた。あれらは本当に本当に私たちを滅ぼしたくて仕方がないのに、なぜ自分たちの障害となるような物を授けるのか。そして、それを分かっていながら侵攻をやめないのか。
 なんの事はない。あのくそったれどもには、ただただ単純な勝算があったんだ。地球に到達して倒されれば、それだけでその地は『汚染』される。もちろんすべての人に作用するわけじゃあないけど、それでも生命のラインを途切れさせる事が出来るのならば、世代を重ねるごとに深刻な問題になる。10人に1人を生命のサイクルから外して、次の代でも同じような割合だけ間引いていけば、10代後ぐらいには人類は今の文明を維持する事は不可能になる」
 宇宙を越えてやってくる敵の、果てしなく長期的に計画された侵攻に目眩がする。奴らは最初から、人類と1000年以上に渡って戦争するつもりだったのだという事実に、気が遠くなる。
 ユリはもはや漆黒に染まりいくつもの星々を映すようになった空を仰いだ。すこしは気が晴れるかと思って視界に映した夜空だったが、ユリが先ほど見つけた一番星の姿が見えなくなっている事に気づいて、ああと呻いた。
 消えた星の正体なんて少し考えれば分かる。あれは、遥か彼方で弾けた、核の火だ。


 雨宮雪那は言った。もしかしたら人類は明日滅ぶかもしれない。大いに危機感を持ち、そして刹那的に生きろというその言葉はある意味で間違っていた。滅びは明日訪れる物ではない。今この瞬間に、すでに始まっている。
 足下に目を移すと短い寿命を終えたであろうセミが転がっていた。今のこの日常にだって死が満ち満ちていているのにも関わらず、この瞬間までそれを知覚出来ずにいた。8年前のあの日、セカンド・コンタクトによってこの世の形あるものは全て理不尽に姿を消すものだと叩きこまれたはずなのに、その痛みさえも薄らいでいた。アスカの言うとおりだ。人は、常に苦しみを抱えて生きる事さえ自由にできやしない。ふとした時に気づく死の不安を、ずっと片隅に追いやることもできない。幸せの中に瞬間的によぎる闇に怯えながら、おぞましい現実の中に釣り餌のように垂らされる幸運を噛み締めながら、そうやってしか生きていけない。
 ユリは救いを求めるように隣に居るアスカを見た。彼女もまた、ひどい現実をどう直視していいのか分からずに、頭を下げていた。何か彼女に声をかけてやらなければと思うが、いい言葉が何一つ浮かんでこない。他者を奮い立たせる、そういう言霊を持ち合わせていない。英雄のように、振る舞えない。
 励ます事を諦め、アスカから目を離して前を見た。20メートル先から、街頭に照らされた道を駆けてくる小学生ほどの年齢の少女の姿が見えた。彼女はこちらに気づいているようで、離れた位置からでも嬉しそうなその表情が見えた。
 彼女がこちらに来る十秒にも満たない間に、どうにか心を奮い立たせなければならない。出会い頭で、曇らせた顔を見せるわけにはいかない。ユリは一度目を閉じて、あの儚い一番星やセミの死骸の映像を、忘れようと努めた。




***


 星野美弥子はソファに寝そべりながら、手に持った空調のリモコンをいじっていた。いかにちょうど良い具合にエアコンの風を自分に当てれるか試行錯誤しているその姿は、怠惰という言葉そのものを表現しているかのように思える。とてもじゃないが、他人に見せてやれるようなものじゃない。
 しかしそれを他人とも身内とも言えない芹葉大吾……ユリの祖父が見ていた。このまま彼女の堕落を放っておけば孫の教育に悪いと踏んでか、少々厳しめの口調で注意してやる。
「美弥子。いつまでだらけているつもりだ。もう日が沈んだのだから、少しはしっかりしなさい」
「ん〜あ〜……はい、がんばります」
 まったくもって頑張る気が欠片も見えない姿勢のままの美弥子。本当にどうしようも無い奴だと、大吾はため息をついた。
「お前も優里の奴と一緒に行けば良かったろうに。そんな風にだらけて無駄に時間を過ごすぐらいなら、あいつに何かご馳走してやれ」
「いや〜、さすがに『人生、常時無礼講』を信条として生きている私でも、若い子たちの中にやすやすと入っていけるほど図太くはないと言いますか……」
 毎日特に何かするわけでもなく過ごしている癖にまったく負い目を見せないような美弥子であっても、それなりの気の遣い方は出来るらしい。どうせならその気遣いは自分の生活態度を改める事に費やして欲しいと大吾は心から願った。
「それに夏はなんというか、気が滅入るのです。外に出ると若々しい力に満ちた年頃の男性女性、そして幼子たちが楽しそうにしていて、そこに自分の居場所を見つけるのはちょっと無理というか……」
「美弥子もそれなりに年頃の女性だろうに。何を言ってるんだ」
 そんな大吾の返しに、美弥子はたははと力なく笑う。それは昨日ユリにいくつも見せてやった笑顔とは違い、自分に失望して仕方なくて、そして身から滲みでてしまったかのような笑みだった。
「たまに外に出て同じぐらいの歳の女性見ると、なんで彼女たちはこんなに輝いて生きてるように見えるんだろうって思っちゃう。自信満々に笑って、きっと明日はもっと素敵なものになるに違いないって、そう自然と思えているような顔はどうやったら出来るんだろうって思う。もしかしたら彼女たちはそれを自覚していないのかもしれないけど、もう何も持ち合わせていない私からしたら、そういう風に振舞っているようにしか見えない。
 子供連れの女性を見ると、彼女たちは何故あんなにもしっかりと前を見て生きていられるのか不思議に思う。私は10年も20年も先であっても、こうやってこうして子と共に立ち続けるのだという、そういう鉄の意志さえ見て取れる。彼女たちにとっては子が希望そのものなんだろうか? 10年20年先を思うがままに生きる事が出来る子と共に在るから、あんなに未来へ進むのを怖がらないのだろうか?」
 美弥子は夕暮れに染まった窓の向こうを見やる。外から聞こえてくる帰宅途中であろう子供たちの笑い声が、自分とは違う場所に生きてるような感覚を受けるようになったのはいつからだったかと、考えさせられる。
「子どもなんて欲しいなんて思ったこと無かった。それは多分……まあ私の、ちょっと特別な交友関係のアレだったんだろうけど、自分には関係のないものだと思ってたし、それが特に寂しいものだなんて思ってなかったのに。
 今でもその根幹は変わってないけど、でもあれだね……優里くんみたいな子どもだったら、産んでみたかったよ」
「何人生全てが終わってしまったかのような事を言うんだ。今からだって、まだ嫁の貰い手は見つかるだろうに」
 美弥子の『傷』を知らない大吾はそう言った。美弥子は彼の呆れたような言葉に、もうおばさんだからなあと笑って返した。彼は素直にその冗談で笑ってくれたので、これ以上美弥子の後悔が口から漏れる事もなさそうだった。
「大吾さんがもっと若ければ、私大吾さんのお嫁さんになってあげても良かったのに」
「上から目線な所悪いが、私は妻一筋なんでね」
 大吾は台所へと向かいながら軽口にそう返した。先程まで濃く心にかかっていた霧を無かったものにしたいかの如く、美弥子は軽口を続ける。
「大吾さん、浮気とかしたこと無かったんだー。いいねそういうの、女として羨ましいよ。大吾さんは夫の鏡ですなー!」
 少しばかりわざとらしいおべっかに、今日の夕食は豪華なものにしてくれという願いを込めた。そんな見え見えな打算に大吾は苦笑いするだろうと予想していたのだが、彼の声色は想像していたのと少し違った。
「浮気はしなかったが、構ってもやれなかった。G・Gの仕事……T・Gearの開発も忙しかったしな。今に思えば、可哀想な事をしたと思う。それは妻に対してもそうだし、娘……優里の母親にもな」
 そう口にして、大吾は寂しそうに笑った。美弥子は、ただただ優しく返すしかなかった。
「だから、優里くんには甘いの?」
「ああ、そうかもしれんな。そして、優里だけじゃなくてお前にもものすごく甘い。毎日ぐうたらしている奴をまだ家に置いてやっているのがその証拠だ」
 明日からはしっかりしろと釘を刺して、彼は歩みを再び台所へと向けた。美弥子はわかりましたと彼の背中に誓うしか無い。



「はあ……」
 一人残されたリビングで、美弥子はため息をつく。外からは相変わらず子供たちの声が聞こえていた。もしかしたらあの子たちはユリと同じく祭りへと向かうのかもしれない。楽しい夏の思い出を作るために。それはただただ単純に羨ましかった。そして、本当に自分とは関係のない所に生きている者たちが居るのだと思い知らされた。
「まあいいさ。覚悟してた事だしね。ただ私は、【2%】に選ばれなかっただけなんだから」
 そう言えば、セカンド・コンタクトの混乱冷めやまぬ時に行われたあの実験は、星野美弥子に消えぬ傷を刻みつけたあの罪には、何か意味があったのだろうか。ただいたずらに生命の禁忌に触れただけだったとするならば、もう自分には幸福になる資格なんて無いとさえ思う。そう思えてしまうような事を、彼女はしてしまった。
 美弥子は大吾に注意されたにも関わらず再びソファに寝転んだ。そして出来るだけ窓の外から聞こえてくる幸福そうな音たちを耳に入れないように、しっかりと両手を耳に当てて目を閉じたのだった。

 点けっぱなしだったテレビに映るアナウンサーの女性が頭を下げた。そして口を開き、滑舌の良い声がリビングに響かせる。
「先ほどVTR中に映像の乱れがあった事をお詫びいたします」
 遥か遠くから届いたその電磁波はまるで、人類全てに向けられた警鐘のようにさえ振る舞う。




***



 第二十七話 「空散る光と警鐘と」 完







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