残暑の残る日差しは無情にも地面を焼いていた。この季節だけは、まるで太陽が人を苦痛に晒すために存在しているように思える。そのさんさんと照りつける光を受けて、天蘭学園はなお一層輝いて見えていた。この場所が若者たちの夢を体現する所であるのだと誇っているかのごとく。その自信過剰にも思える佇まいに気を滅入らせる者も少なくはなかった。角田悟という人間も、その一人である。
 その悪意さえ感じる日差しに当てられていた角田悟は、いつもの仲間たちと3人で昼食を摂っていた。そして、彼は物を口に運ぶのと同じ頻度でため息をつく。その気にしてくれと言わんばかりの一連の行動を見て、彼と共に食事している友人2人……桐野の石井は互いに顔を見合わせた。どちらが彼にそのため息の意味を尋ねるか目線で合図しあっているかのようだった。
「はあ……」
 もう何度目になるか分からぬため息についに我慢の限界となり、桐野の方から話を切り出す事になる。せめて彼から飛び出る話題がそれなりに意味のあるものであって欲しいと願ったかどうかは定かでは無い。
「何かあったの悟くん。なんだか心ここにあらずって感じがするけど」
「何かあったのもなにも……芹葉さんの事に決まってるだろ」
 悟は酷く落ち込んだ様子だった。夏の暑さが残るこの空間でも、彼の周囲だけは湿っぽい空気さえ感じる。桐野はああそうかという顔をして、そして石井は気に食わないという表情をした。石井は表情だけではなく、直接言葉にして伝えてくれた。彼は思ったことをそのまま口にすることを美徳としているかのようであった。
「お前俺からユリちゃん奪っといてそんな事言うのか。殺すぞ」
 随分とまあ辛辣な言葉を簡単に吐く。彼は、悟がユリとパートナーになってからずっとこの調子だ。ただ単純に、素直に、怒りを表している。怒り心頭である。何かあるたびにその怒りを受ける事になったために、悟はもはやその事に対して何とも思わなくなっていた。他者の怒りですら人は慣れ親しむ事が出来るのだなと、変な感想さえ抱いていた。
「じゃあ今さらだけど、お前が代わってくれるのか?」
 石井の怒りそのものに反論することもなく、疲れた顔で悟は言った。彼は本当にお前にその気があるならなと返す。怒っている割には、優しくそしてとても冷静な返答だ。悟が今落ち込んでいるだけで、一時の感情にまかせ弱音を吐いているだけなのだと分かっているのかもしれない。その上から目線の理解も、今はただただ鼻につく。
「そんなに芹葉さんとの練習厳しいの? 彼女、優しそうに見えるんだけど」
 桐野のそんな純朴な質問に、悟は言いよどむ。ひとつひとつ、自分のどうしようもない感情を吐露するように、言葉を選んで口から出した。出来るだけ自分の情けなさを表現しないように気をつけて。そういうプライドだけはいっちょ前に持っていたのだ。
「いや、別にどやされてるとかそういう訳じゃないんだよ。ただなんというか……練習する度に、彼女との差を知らしめされるんだ。
 自分が今までどんなに適当にやってきたのか。そしてこれから学ばなければならない事はどんな事だったのか。そういうのがひとつひとつ、事細やかに叩きつけられる。そしてそれにまったく及んでいない自分が晒されてしまう。それがたまらなく辛いんだ」
 桐野は黙って聞く。石井はそれでも気に食わないという表情で口を開いた。
「そんなの気にしてもしょうがないだろ。ユリちゃんと一緒に居られるんだからどうでも良い事気にしてんなよ」
「だから……その一緒に居るのがどうしようもなく辛いって言ってるんだよ」
 どこまでも自分と違い悩みを共有してくれない友人に腹が立つ。それと同時に彼の様に生きられればと思う自分にも苛立った。そんな意味の無い願いをいくら重ねたってどうしようもない事はずっと前から知っていた。知っていたからこそ、余計に憤りを感じる。
「でも石井くんの言うとおり、そんなの芹葉さんとパートナーになる前から分かっていた事じゃない。それを今更悩み出すなんて」
「それは、まあ、そうなんだけど……」
「想像より辛いものだった? 芹葉さんの前で、恥ずかしい自分の姿を見せるのは?」
 悟はぐうと唸る。そう、何より許せないのが、自分の弱さを芹葉ユリに呆れられる事だった。自分がひとつ失敗をする度に拝むはめになる彼女の失望の表情を見るのがたまらなく嫌だった。いっそ素直に罵倒してくれればとも思う。それはそれで、もう二度と立ち直れなくなってしまう程の傷を負いそうだが。
「何にしたって今の俺らからは贅沢な悩みにしか思えんな。だから何のアドバイスもしてやれん」
 元々アドバイスなんてくれた覚えなんて無いのにそう言われてしまった。相談話を持ちかけるとこんなに言い放題されるのだと知った。自分の立場という物がなんとも見すぼらしくさえ見えてくる。頼りなく、そして尊大なこの友人たちのために、またしても悟はため息をついた。口からだだ漏れる湿り気のある空気なぞ、この日に照らされた天蘭学園には似合わないというのに。
「くそ、元々はお前たちの口車に乗って……なんでこんな事に」
 こちらの責任にしてもらっても困るというような表情を、桐野と石井は隠すことなく表してくれる。もうこの場でさえも味方の居ない状況に悲しくなった悟は、視線を自らの弁当箱に向ける。自分を癒してくれるのは親が作ってくれた食べ物しかないように思えた。それはそれで、酷く情けないものだったが。

 しばらく食事を消化した後に、桐野が沈黙を選択した悟に話しかける。彼だけはしっかりと悟の事を考えてくれているのかもしれない。その素朴な友情には感謝すべきなのか。
「もし芹葉さんに良い格好を見せたいなら、自分のテリトリーに引き込んでみたら?」
「自分のテリトリー?」
「そう。自分の得意分野に」
 彼のアドバイスの行き着く先が想像出来ず、悟は言葉を続けるように促す。桐野はにこにこしながら、言葉を続ける。
「研究室にでも招待してみればいいんじゃない? 君がしっかりと仕事をしている様を見せれば、君を見る目も変わるかも」
「確かにそうかもしれないな。ただ問題なのは、俺なんて研究室でも大した仕事してない事なんだが」
「ああ、それはもう、どうしようもないね」
 桐野は笑う。釣られてこっちも情けない笑いが出た。なんて悲しい談笑だ。
 どんな所に居たってダメダメな自分を許せないのが、何よりの問題なのかもしれない。これでどこかひとつでも、自分が役に立っている場所さえあれば、今とは違った自分があったのかもしれない。人に必要とされるという事は、それだけで人間を強くする絆になるのだから。
 ただそれを今更いくつ望んだって仕方のない事だった。この時期になっても自分の居場所という物を作れなかったのは悟の責任だし、また無力さ故だった。出来るだけ気にしない様にしていたそれらが芹葉ユリという存在によって白昼に引っ張りだされた事を嘆いても、もはやどうしようもない。ただただ、ひとつひとつ自分の至らなさに傷ついて、我慢していくしか道は無いのか。
 それらのどうにも自分が望むような答えの出てきそうに無い難題に、悟は心が折れそうな気がした。





***


 第三十一話 「歯車たる者たちと積み上げていく物と」


***


 天蘭学園の年に2度ある一般人への施設開放日。ひとつが芹葉ユリと神凪琴音が死闘を繰り広げた新入生歓迎大会で、もうひとつが一月後に迫る天蘭祭。決して軽くない負担を強いている納税者たちに、あなた達のお金でこの学園は何を若者たちに学ばせているのかと示す日。直接口にする事は無いが、そういう意図を持っているお祭りである事は間違いなかった。
 他人に胸を張って自分たちのやってきた事を示すというのは気楽にやれる事ではない。それを重々承知している生徒たちは、ただひとつもみっともない所は見せないように努力を尽くす。少し前まで世間一般に生きている子どもたちとなんら変わりの無かった彼ら彼女らには少しばかり重すぎる志なのかもしれないが、それに弱音を吐く者はひとりとして居なかった。人類を救うという、どこか冗談めいた目標を掲げている天蘭学園に自ら入っていった者たちには、大した問題であると思われなかったのかもしれない。その強き心と意思は、それこそ人類全体の宝だと形容しても良い誇らしい物に違いはなかった。
 そしてその強き意思ゆえ、時おりどこかにしわ寄せが来る事もある。ヘマをしてはならない。ミスをしてはいけない。そんな強迫めいた想いのために、被らなくても良い問題が誰かに振りかかる事も。降って湧いたその問題が、今日は芹葉ユリの元に飛んできた。


「ユリちゃ〜ん」
 どこか情けない声色をしながら、友人が自分の元へとやってきた。そんな普段見ない姿に、ユリはどうしたのかと少しばかり心配になった。まだこの段階では、友人が何かに弱り切っているとしか感じない。
 場所は天蘭学園の教室。ちょうど今日の授業が全て終わった所で、放課後の練習に繰り出そうと思っていた所の事だった。
 自分に近づいてきた友人……石橋千秋がユリの前まで来ると、急に頭を下げる。その突然の行動に、ユリは面食らうしかない。何か自分に謝罪したい事でもあるのかと、心当たりをいくつか頭の中に巡らせてしまった。
「ど、どうしたの千秋さん!?」
「実は実は……ユリちゃんに、どうしても頼みたい事があるの! もう本当に申し訳ないんだけど、お願い! 聞くだけ聞いて!!」
 彼女の顔色からそれは本当に困っているのだという事が知ることが出来る。彼女の口から出る物が出来るだけ深刻でなければ良いのだがと、ユリまで不安に駆られてしまった。
「明日ってお休みでしょ? それで……ユリちゃんの都合さえ良ければ、ウチの研究室手伝って欲しいの。どうしてもどうしても人手が足りなくて……天蘭祭まで間に合わないかもしれなくて」
 少なくともユリが想像してしまった事よりもずっと軽いお話だった事に安堵する。いや、千秋自身にとってはそれこそ差し迫った危機だったのかもしれない。どうにかせねばならぬ、大きな障害だったのかもしれない。ただ失礼ながらユリは操機主科でありパイロット候補生だったのだから、直接関係のある事ではなかったのだ。
 ユリは千秋の言葉で、技術科には天蘭祭での催し物を準備しなければならない事を思い出す。模擬戦でのT・Gearの調整と共にそれをやっていかなければならないなんて、彼女たちは彼女たちなりに大変そうだなとまたしても他人ごとのような感想を抱く。ユリにとっては、明日の休日を潰すのは好ましくないように思えた。特に心労が祟るこの時期にはしっかりと休みを取る事も大切かもしれない。前の新入生歓迎大会の時のように、途中で体調不良で倒れてしまっても困る。それは十分承知していたが、頼られているのにやすやすと断れるほど、自分本位な人間でも無かった。それに、千秋たち技術科が普段どんな事をやっているのかを知るのも面白そうだ。
 そうとなっては、答えは決まっているような物だった。
「うん、いいよ。手伝ってあげる」
「本当!? ありがとうユリちゃん!! 大感謝だよ!!」
 本当にユリの返答が嬉しかったのか、千秋はこちらを見て拝みだした。そのあまりにも大げさな彼女の喜び様に苦笑してしまう。よっぽど切羽詰まっていたのだろうかとユリは心配にもなった。
「お礼に作業終わったら、行きつけの喫茶店でケーキ奢ってあげるよ。本当に美味しいから、期待してて」
「うん。期待してるよ」
 作業の見返りは甘味なのだそうだ。その事に対してはユリは不満は無い。むしろ無償で引き受けようと思っていたのだから、十分すぎるお返しだ。
 ユリはひとつ気になっていた事を千秋に聞き返した。彼女が自分より前に、そのお手伝いをお願いする人間の事を思い出したから。
「アスカさんにも頼んだの?」
「うん、もちろん。真っ先に頼んだよ。あの子の不器用さとガサツさはよく知ってたけど、背に腹は代えられないしね」
 千秋は笑ってそう答える。確かにユリの目から見ても、技術科の作業を出来るような細やかさなど、アスカは持ちあわせていない気がする。それでも人手が欲しかったのだと言うことは、本当に追い詰められていたのか。そんな本人が聞いたら確実に怒る失礼な感想をユリは抱く。
「でも操機主科のボクたちに出来る事なの?」
「そこは心配しないで。難しい事なんてさ、さすがにお願いしないから」
 その言葉にユリは安堵する。難しい事を求められたって、それに応えられる自信なんてなかった。なにせそれらは技術科のテリトリーで、こちらからすればまったく未知の分野だったのだから。お手柔らかにしてもらわないと困る。
「じゃあ明日私の研究室に……あっ、そっか。場所知らないか。じゃあ校門の所ででも待ち合わせしようよ。着いたら連絡頂戴。迎えにくるから」
 千秋はニコニコと笑いながら明日の手順を整えてくれる。彼女にしたがって動けば問題なさそうだ。千秋の研究室の様子を見ることが出来るのは今から楽しみだった。こうやってパイロット候補生になるという幸運に恵まれなければ、技術科を受験するつもりだったユリにとっては特に。
 明日はいい天気に恵まれれば良いなと、ユリは頭の片隅で祈る。



***


 翌日。天蘭学園の校門に、休日だというのに制服を着込んだいでたちでユリは立っていた。隣には自分よりも5分早く着いていたアスカの姿もある。彼女は隠すこと無く大あくびを何度も繰り返した。どうもついさっき目覚めたばかりらしい。お昼に近い時間帯だというのにと呆れた笑いが出そうになった。
「休みの日だって言うのに制服着なきゃいけないなんてなんか煩わしいわね」
 携帯で千秋に到着したのだという連絡を入れたアスカがそう呟いた。その感想はもっともな物だと思える。
「確かにそうだけど、制服着ないと天蘭学園に入れないし、仕方ないね」
「そう、そうなのよ。それが一番面倒くさいのよ。IDパスカードだけじゃダメなのかしら」
「私服だと関係者かどうかわかりづらくなるからじゃない? ほら、空母だとジャケットの色でどこの作業要員だか分かるようにしてるみたいな」
「あー、ごめん。ミリタリー系はまったくピンと来ないわ」
 一応軍事関係者のはずの彼女の発言にユリは笑ってしまう。まあ仕方のない事で、天蘭学園はそういう匂いがとても薄く感じる場所なのだから。それこそ、注意深く観察しなければただの楽しい学校のように思えてしまう程までに。
「アスカ〜、ユリちゃ〜ん!」
 学園内から千秋が駆けてきた。連絡を入れてからそれほど時間が経っても居なかったし、おそらく電話を受けてすぐに走ってきてくれたのだろう。夏の日差しはまだ続いていたので、ずっとこの場所で立っているのは辛かった。そのため、素直にその心遣いはありがたく思う。
「わざわざ休日にごめんねーホント」
「本当いい迷惑よ。こんな前から人手が足りないって、あんた達の研究室ホント大丈夫なの?」
 アスカはだるくて仕方がないというようにそう答えた。嫌々来ているのは分かっていたが、それでもこうして結局ちゃんと付き合っているのは友情のおかげなのだろうか。二人の間でしか分からないその信頼感を窺い知る事は出来ない。
「まあなんとかなれば……というかなんとかするさ! そのために、2人に協力してもらっているんだから」
 それもそうかとユリは納得する。千秋は続けて、詳しくそこの所の話を教えてくれた。
「一応本番までの時間はあるんだけど、月末にはもう形になった物を見せられる形にしておかないといけないんだよね。なんか、審査があるんだって」
「審査?」
「うん。一般人に見せられない類の機密を使用していいないかとか、安全性は大丈夫なのかとか。だから早めに準備しなくちゃいけなくて、こんな時期なのに急ぐはめになってるの。
 それにしてみたら模擬戦の機体調整なんてまだまだ時間あるから楽だよね」
 今まさにその機体調整で躓いているユリにとっては羨ましいお言葉だった。そう言えば悟の研究室での活動は大丈夫なのだろうかとユリは思う。自分に付きっきりで、サークルに時間を割いているようには見えなかった。今この場になるまで彼のそういった心配をしなかったのはパートナーとして果たしてどうなのか。そこは、素直に反省する。
「じゃあ案内するよ。2人共ついてきて」
 千秋を先頭に彼女の研究室へと向かう事になる。これから彼女が常日頃過ごしている場所に行くとなると、何だか不思議な気持ちだ。いつも会っている友人の見ることの出来ない一面に触れる気がしてくる。技術科のこういった活動なんて操機主科には普段知りようが無かったのだから、余計にそう思う。
 千秋の先導で10分ほど学園内を歩いた。休日に見る学園の風景はどこか新鮮に映った。学園に居る生徒の数が少ないからだろうか。どこか隙間の空いたようにさえ見える天蘭学園に居心地の悪さを感じる。この学園には生徒たちというピースが無ければ様にならないのだなと、そんな風にも思えた。
 千秋に導かれて、彼女の研究室があるであろう一棟にたどり着く事が出来た。その研究棟に入るために何度かセキュリティチェックを受けなければ行けなかったのは煩わしかった。あのT・Gearの事故の日から、学園内を歩きまわるだけでも面倒になってしまったのだ。この不便さは仕方ないと分かっている物の、そこで生きている者たちにはやはり勘弁してくれという感想しかもたらさなかった。
「さー、入って入って」
 研究棟の3階に千秋の所属している研究室がある。彼女を先頭にしたまま続いて、そのドアをくぐる。ぱっと眺めた所、部屋の中には技術科の生徒たちが10名ほど居るようだった。彼女たち全てがここの研究員なのか、それとも自分たちと同じように臨時の助っ人なのかは分からない。ただ談笑を挟みながら作業を行う姿はリラックスした物で、新参者のユリたちにとってはほっとしたような気持ちになった。
「えーっとまずは私たちのやってる事の説明からするね」
 千秋はユリたちを何かよくわからない物が乗せられた机に案内する。ここが千秋の作業場なのだろうか。彼女の私物らしき工具に貼られた可愛げのあるシールと、金属の光を放つだけの無骨な部品の差にくらくらするような気がした。そんなユリを放っておいて、千秋は彼女の作業場にある布と数センチ四方の鉄の板を指差し、説明を始める。
「私たちの研究所はなんというか……基本的には、T・Gearの装甲板などの素材の研究をしているの。硬くて軽くて形作るのが簡単で、そんな金属を作ろうと躍起になって頑張っているのです。で、今私の机にあるこれが研究成果。これは特定のパルスを受けると硬化する新素材なの。ほら、通常状態だと柔らかいんだけど、こうして電力を流すと……」
 千秋は手元の端末を操作し、持っていた布に電力を流す。すると一瞬でその布はぴんと真っ直ぐに固まり、決して布と形容できない物体に変化した。その日常から外れた光景に、どこか手品のような印象を持ってしまう。
「布と鉄片の両方の特性を持たせられるから、関節の可動域を確保したまま防御力のアップも可能なんだよ。すごいでしょ」
 千秋は自慢気に胸を張る。彼女の説明を受けて、ユリは率直に自分の感想を口にした。
「うん……すごい。ちょっとびっくりした。こう言っちゃなんだけど、こんなに本格的な事やってたなんて思って無かったから……」
「まあ確かに、すごいっちゃすごいかもね」
 ユリと違ってアスカはどこかひねくれている。素直に褒めてやってもいいと思うのに。
「みんなもっと褒めて褒めて〜。……っていってもまあ、確かに精製の作業はある程度こっちでやってるんだけど、その基礎理論はG・Gの研究施設から提供を受けてるから……自分たちはその技術を形にしているだけで、大した事してないんだよね。確かに最新の技術に触れる事が出来るのはすごい経験ではあるんだけど」
 彼女は頭を掻いて照れくさそうに笑った。謙遜はしているが、誇りを持ってやっている事はすぐに理解できた。こうやって彼女たちは、ひとつひとつT・Gearのパーツを作り上げていっているのだろう。そしてそれと共に、自分たちの誇りも。そうやって自分の積み重ねてきた物が振り返る事が出来る技術科を、ユリは少し羨ましいと思った。
「ユリちゃんたちが頑張ってるの、間近で見てたからね〜。私も何かやらなくちゃって思っちゃった。ここで頑張っていれば、いつかユリちゃんたちに追いつけるかな?」
 彼女がそんな風に思っていたなんて初めて知った。以前祭りの時に語ってくれた『やることをやってた』とは、この事だったのかもしれない。ユリは優しく微笑んで、そうかもしれないねと言葉を返した。


「とりあえず2人に手伝って欲しい箇所は、この布にこの鉄片を縫いつける作業だね。付ける場所はマーカーで書いてあるから、ちゃんとこの番号通りにくっつけてね。そうしないと電荷かけた時に上手く硬化してくれないから」
 千秋に自分たちがやる作業の手順を一から教えられる。指示書に従って布に鉄片を縫い付けるというそれは、先ほどのハイテクな技術披露とは程遠く見える。ユリは、その感想を直接言葉にしてみた。
「なんというか……すっごく地味な作業なんだね。なんかこう、もっと大変な事任されるんじゃないかと思ってた」
「誰でも出来るような作業だからこそ、操機主科であるユリちゃんたちを誘ったんだよ」
 それはもっともな物言いだ。パイロット候補生に高度な事を求めるほど鬼では無かった事にひとまず安心する。
「はぁ〜……地味なのは良いけど、大変そうなのは変わらないわね。私、裁縫とか苦手なんだけど?」
「アスカには、そこん所の几帳面さは求めてないよ。取り敢えずちゃんとくっついてれば、どれだけ見てくれが変でもオッケーです」
 最初から綺麗さは期待してないという発言にアスカは頬をふくらませた。さすがに他人に言われるとカチンと来たのだと思う。ユリもその裁縫の類は得意では無かったが、やるだけやってみるしかなさそうだった。

 ユリとアスカは、二人の作業場として研究室の一角へ案内された。そこには自分たちと同じような一年生のタイを付けた少女たちが5人地面に直接座っていて、黙々と布を持って鉄片を縫いつけていた。彼女たちの足元に大量の布地が見て取れ、これら全てに針を通さなければいけないのだろうかと不安に駆られた。
「私もやるから、さっさと仕上げちゃおう。早く終われば終わるだけ、早く帰してあげるから」
 そう言って千秋も座り込む。こうしてユリとアスカ含め8人でこの単純作業をやる事になったのだが、この人数でも終わりの光景を予想出来ない程、積み上がった布地は高く見える。この頂に挑むのが8人というのは、ちょっとばかし心もとない。
 ユリも千秋に習い、直接地面に座ってみる。ここの研究室はきちんと掃除が行き届いているらしく、床のタイルは大層綺麗だった。少しの埃でも邪魔になるような研究を行なっているのかもしれない。そういう場所に自分たちの様な部外者をホイホイ誘い込んで良かったのだろうかと他人事ながら心配になった。もしくは、そんな事構ってられない程切羽詰まっているのが今の現状なのか。
 床に直接座るとタイルの冷ややかさが直に肌を襲った。こういう時スカートは不便すぎると、そんな女性に在るまじき不満さえ出かかった。本当の女性たちはこれに文句も出ないのかと不思議にさえ思う。
「この素材ってさ、もう実戦とかで使ってるの?」
 ただ黙って作業を続けるのは退屈だったので、ユリは千秋にそう話しかけた。ちなみに自分たちより前から作業していた5人の女生徒たちは、こちらをちらちらと見るだけで話しかけてもくれなかった。
「今はT・Gearにインストールするためのドライバを作成中だから、まだ実戦には持ち込まれてないよ。もしかしたら私たちの知らない所で、運用テストされてるのかもしれないけども……そんな事、私たちに教えてくれるわけもないしね。そういう情報って機密扱いで、直接G・Gの研究施設に送られるんだって。ひどいよねー、細かい作業私たちにやらせてるのにさ、テストの結果だとかは私たちにくれないんだから」
 そう頬を膨らませ、不満気に千秋は言う。操機主科である自分たちにはあまりピンと来なかったが、技術科にはとても気に食わない事らしかった。ただ彼女のどこか子どものような不満の表し方は他人事ながら微笑ましく思ってしまった。
「でも天蘭学園では何度か練習機使ってテストしてるんだよ。そこそこ使い物にはなってると思う。まあ現状では製造コストの高さと安定性からすぐに既存の装甲の代わりにはならなさそうだけどねー。盾とかマントとか、そういう2次防御の使い方としてがぴったりあっていると思うよ」
 こうやって少しずつT・Gearの装備が作られていくのだろうか。そう思うとなんだか感慨深い。一歩一歩のその歩みが、未来の技術としてG・Gを支えていくようになるのだろうか。それを今の段階から手に触れる事が出来たのは、なかなか良い経験だと思う。
「いつかこれがT・Gearの装備として実戦で使われるようになってくれたら嬉しいんだけどねー。まだそれには時間がかかりそう」
 千秋はどこか誇らしげにそう語った。彼女たち技術科は自分たちがT・Gearの未来を作っている事に誇りを感じているのかもしれない。その感情が技術科の根底を支えているのではないかと思えた。そして同時に、少し羨ましく思える。自分たちのやっている事がしっかりと未来に通じているのだとその若さで思えるのはとても尊い事に違いなかった。




 ユリを含め8人の生徒たちは、ただただずっとと作業をこなしていく。おおよそ1時間近く、こうして布地に鉄片を縫い付けるという作業を行なっている。その作業の単純さにあくびも出てくる。そして酷く、飽きてきていた。
「えっとその……芹葉ユリさん、ですよね?」
 ユリの対角線上に居た技術科の少女から、急にそう尋ねられた。これまでずっと黙って作業をこなしていた彼女に急に話しかけられて驚いたが、なんとかその驚きの感情を出さずに返事を返してやる。
「はい……そうですけど」
「や、やっぱり。そ、そのっ、応援してます。今度の天蘭祭頑張ってください」
「あ、ありがとうございます」
 突然の激励にどこか気恥ずかしさを覚えた。また、自分の事を他人に知られているというずっと慣れない感覚もむず痒かった。
「ユリさんその……質問あるんですけど良いですか?」
 今度はその隣に居た名も知らぬ少女がそんな事を言い出した。もしかしたら彼女たちも退屈で退屈で仕方なくて会話を続けたくて仕方ないのかもしれない。それはユリも同じだったので、少女に対して黙って頷いた。
「ユリさん、毎日どんな練習してるの?」
 変なことを聞くものだと思った。他人の練習風景なんて聞いて面白い物なのだろうか。その疑問を口にはせずに、ユリは返答してやる。
「ええっと今は……歩く、練習とか」
「え? そんな練習だけであの神凪琴音をボコボコにできちゃうの!?」
 そうだったら苦労しないんだけどねとユリは苦笑で返す。今、一から歩行練習をしてるのは悟の調整下でも動けるようにするためであって、神凪琴音に勝つための物ではない。その事に少しばかり焦りを感じていたユリにとっては耳が痛い質問ではあった。
「毎日琴音さんと練習してるってホント?」
 別の少女から次はそんな質問が飛んできた。ユリは律儀に答えてあげる。
「少し前まではずっとやってたけど。今はそんなに」
「そうなんだ。噂本当だったんだ。琴音さんとずっと一緒に練習してたから、新入生歓迎大会ではあんなにすごく動けたの?」
「いやそれは多分……千秋さんとアスカさんのおかげだと思うけど」
 ちょうどその時は琴音と仲違いしてた時期だった。もう遥か昔に思えるあの頃を思い出しながらそう答えた。今考えて見れば、本当にあの時はがむしゃらに練習を積み重ねるしかなかった。今の様に迷う時間さえ無かったのだと思う。ほんの少しだけ、あの頃に帰りたくなる気持ちもあった。
 ユリから返答をもらった少女は意外そうな顔をしていた。神凪琴音以外と練習を積み重ねていた事を知らなかったらしい。
「私もっ、私も聞きたい事あるんだけど良い!?」
「えーっと、どうぞ」
 今度はその隣の少女が手をあげた。この一連の質問攻めは一体何なのかとこちらが聞きたいぐらいだった。
「琴音さんってどんな人? やっぱり怖いの?」
「いや……優しい人だよ。手取り足取り教えてくれるし」
「そうなんだー! 意外ー!!」
 きゃっきゃと話題に花が咲く。どこか怖い人だと思っていたのにという言葉も聞こえてきた。自分の知らぬ所でそんな印象を持たれてしまっている琴音も可哀想だなとユリは思う。
「じゃあ次の質問なんだけど……」
「ちょ、ちょっと待って。なんでそんなに聞きたがるの?」
 ユリの真っ当な質問に少女たちは顔を見合わせる。そしてその中のひとりがどこか照れたように口を開いた。
「だってほら、ユリさん有名人でしょ? こういう機会でも無いといろいろ聞けないから……」
「そ、そう。有名人なんだボク……」
 なにやら自分の伺い知れぬ所でいろんな噂が飛び交っているように思える。こういう物は今のうちに対処しとかないと、どんどん大事になっていく気がしてならなかった。
「とりあえず、ボクの噂とかそういうの全部教えてくれたら答えるよ」
 ユリがそう言うと彼女たちは喜んで巷に出回っているユリに対する噂話を教えてくれたのだった。中にはユリは模擬戦で1対多数を相手に立ちまわったなどという荒唐無稽な話さえあった。おそらく神凪琴音に対して善戦したからそういう風に思われたのだろうが、そこまでの力を自分は有してなんていない。このままだと噂の芹葉ユリの存在だけがひとりでに大きくなって、とんでもないしっぺ返しを食らいそうだった。

 しばらく作業の片手間に会話を楽しんだ。ユリとの会話に少女たちも慣れ始めたらしく、何気ない日常生活の話題も口に出し始めた。それにアスカと千秋も加わり、それなりに会話が弾んでいる。
 同じ部屋に居る他の生徒……この研究室の先輩方はそれを注意する素振りさえ見せなかった。多分つまらない作業をさせていると分かっていてか、これくらいの不真面目さは見逃してやろうと思っているのかもしれない。
 彼女たちの優しさに甘えて、ユリもその会話に加わっていた。それに話している間の方が作業も捗る気がする。
 話は巡り巡って間近に迫る天蘭祭の話に。彼女たちの何人かにも操機主科のパートナーが居るらしく、自分たちの相棒の話に自然と行き着く。だがそれはあまりユリの居心地が良くなる話では無かった。
「ホントむかつよねー。あいつら、こっちの事なんて何も考えて無いんだよ」
 いきなり飛び出した文句にぎょっとする。彼女はこちらを見ること無く、言葉を続けた。
「ここはもっと早くとかここはもっとふわっととか。そんな曖昧な注文しかしてこないしさー。それでこっちがしっかりと考えた調整を否定されるんだからやってられないよ」
 その少女の愚痴に、隣に居た技術科の少女も同意する。
「そうそう。なんて言うか言ってる事が適当なんだよね。的を射てないというか。自分たちの感覚が全てだとか思ってるみたいな。こっちはしっかりと授業で学んだ理論を元に作業してるのにさ、それを何の意味の無い物だって思ってるの」
「あるある。G・Gが保有してる20年あまりの実戦データに基いてやってんのに、それを知らずに否定してるのが笑えるよね。こっちはお前らの、何倍もT・Gearについて知ってんだっての」
 どうやら彼女たちは操機主科についての文句は尽きないようだった。このまま口を挟まなければいつまでも話を聞かされそうだ。彼女たちのパートナーでは無いのだから気にする必要なんて無いはずなのだが、居心地は悪いのには変わりない。無関係の自分も責められている気がしてくる。
「あ……別にユリさんについてどうのこうの言ってるわけじゃないよ。私たちのパートナーがどうしようも無いってだけで」
 こちらの複雑そうな表情に気付いてそう弁明してくれたが、ユリは悟の事を思うと素直に受け取れなかった。もしかしたら自分も、悟の意思をいくらか無視していたのかもしれない。そういうすれ違いが当然の様にあったのかもしれない。それを今まで見てみない振りをし続けただけかもしれない。だから、彼女たちの不満は素直な形で受け取ってやるべきだ。
「ウチの先輩も操機主科といろいろあって、すっごいケンカしたらしいよ。やっぱりパイロット候補生なんかと、私たちじゃやってけないのかも」
 そんな絶望にも似た嘆きが少女の口から放たれた。それをユリは否定してやる事も出来ず、ただ黙って受け流す。それと同時にどこかほっとしていた。自分たちのコンビだけが問題を抱えているわけで無いと知ったからかもしれなかった。



 単純な作業と、それに伴う会話を続ける事3時間。地味な作業でもひとつひとつ積み重ねていけばしっかりとした形になるもので、ユリたちに割り当てられていた部分はそれなりの形になっていた。
「アスカさんは……なかなか酷いね」
「う、うるさいわね。だからこういうの苦手なんだってば」
 隣に座っていたアスカの仕上げた物を見て、ユリはついつい生の感想を漏らしてしまった。彼女の作成物はユリの言うようにさほど出来の良い物ではなく、縫いつけた部分がガタガタに歪んでいた。ここの簡易的な責任者となっている千秋が修正を要求しないのだから、特に問題は無いのであろうが。
「うーん……じゃあちょっと休憩しようか?」
 自分たちの作り上げた物の出来栄えを満足気に見やって、千秋はそう言ってくれた。ユリは背筋を伸ばし、大きな欠伸をする。数時間座りっぱなしだったために、身体のあちこちから骨の鳴る音がした。
「コンビニに買い出し行ってくるよ。何か飲みたい物ある?」
 作業員のユリたちを労ってか、ドリンクをご馳走してくれるらしい。その厚意は素直に受け取っておく。ユリは少し前からまとわりついている眠気を覚ますためにもカフェインが必要だった。その要望を千秋に出してやる。
「紅茶がいいな。出来ればストレートで」
「おっけー。分かったよ。君たちは? 何が良い?」
 千秋は他のメンバーにも聞いて回る。ユリはもう一度伸びをして、身体を整えた。そしてその勢いのまま立ち上がって、気分転換のためにとりあえず研究室から出る事にした。

 研究室から出たユリは、取り敢えず廊下に嵌めこまれている窓を覗いて外の景色を視界に入れてみる。この研究棟からはちょうど自分たちがいつも放課後に練習を行なっているT・Gearの格納庫を見ることが出来た。休日だというのにその格納庫へと歩みを進める少女の姿があり、その身を休ませずに夢に向かって努力している者たちが居る事を知った。その者たちに感心するのと同時に、どこか歩み続ける事を強制されている業を背負った人間なんじゃないかとも思う。
 そのまばらな人の姿の中に、馴染みのある背格好を見つけた。彼は校庭を急ぐでもなく横切っていて、目の前の校舎へと入っていこうとしている。遠目からでもちゃんと分かる。彼は、ユリの相棒である角田悟その人だった。
「休日にも学校来てたんだ……」
 思えば彼も技術科なのだから、千秋と同じように研究室の手伝いがあるのかもしれない。失礼な話、今までそういう自分と一緒に居ない部分の悟というのを気にした事が無かったので、初めて思い至ってしまった。彼はもしかしたら忙しかった身であったのにも関わらず、自分の練習に付き合ってくれていたのではないかと少しばかり心配になった。不満があれば直接自分に伝えてくれれば気を揉む必要なんて無いのだが、それを悟に要求するのも酷に思える。
「はあ……でもボクの方から気を遣ってあげないとダメなのかな」
 先ほど技術科の者たちの愚痴を聞かされたのだから、余計にそう思う。自分の知らない場所で不満をぶち撒けられても困るしと付け加える必要もあった。
 悟のことを分かってやるために努力してやる必要があるのかもしれない。その事は、しっかりと心に留めておく。




***


「終わったー!!」
 千秋が叫び、周りの作業員たちも歓声をあげる。作業の地味な過酷さの所為か、ユリも一緒に声をあげてしまった。
 とにかくこれで、千秋に頼まれた区分の全ての作業が終了した。少々重い鉄板を扱う小手先の作業が続いたためか指の関節はごわつき、まるで自分の手では無いかのように思えた。放っておくとプルプルと震えだしたので、明日は筋肉痛になるかもしれない。
「ユリちゃんありがとー! 今日は本当に助かったよー! 感謝してもしきれない!」
 千秋はニコニコと微笑んで自分の震える手を握って言った。そこまで喜んでもらえると、頑張ったかいがあったかと思えてしまう。単純なものだと自分にもちょっと笑えてしまった。
「うっわー、外見てよ。真っ暗になってる」
 アスカの言葉に導かれて部屋の窓を見てみると、確かに彼女の言うとおり夜の風景が広がっていた。まだまだ日の沈みが遅いこの時期だったために、素直に驚いた。いつの間にかそんなに時間が経っていたというのか。
「もう遅いから、早く帰った方がいいかもね」
「私はもうちょっとやる事あるから、2人とも先帰ってて。今日は本当にありがとうね」
 千秋はそう言った。まだ彼女には作業が残されているらしい。彼女の頑張りようは素直に尊敬に値した。アスカは千秋に2、3言会話して、こちらに向き直った。
「じゃあ私たちは先に帰ろっか?」
「えーあーごめん。ボクもちょっとやる事あるから、アスカさん先に帰ってて」
「やることって?」
「まあ何と言うか……見学みたいな物?」
 ユリが何をしたいのかよく分からなかったらしく、アスカは怪訝な顔をしてこちらを見た。一から全て説明する気は無かったので、ユリは笑って誤魔化す。


 アスカと別れた後、ユリは研究棟を歩く。操機主科である自分にはこの付近を歩む事など稀だったので、なんだか不安にかられる。夜の帳が下りて静かになった事もまた、その気持ちに拍車をかけている気がする。
 他人もそれほど見かけない廊下をしばらく歩いたら、まだこの時間でもさんさんと光を発している部屋を見つけた。おそらく千秋たちのサークルと同じように未だ作業を行なっている研究室なのだろう。ユリの求める人物……角田悟が、入っていった部屋に間違い無いのは、あの休憩時間に確認済みだった。
 ユリはそのまま真っ直ぐ部屋へと進み、入り口の前に立つ。他所様に急に尋ねてくるという暴挙を許してもらえるように、出来るだけ心象を良くするように振る舞う事を心がける。
「すみませーん」
 扉を2度叩いて声を出した。しばらく待つと部屋の中で何かが動いている音がして、扉がゆっくりと開いた。
「はい……どちら様で……って、芹葉さん!?」
 扉を開けたのは見知らぬ少女だったが、彼女はこちらの事を知っているようだった。度々起こるこの認知の温度差に戸惑うものの、もう驚き疲れた。ユリは努めてにこやかに、彼女に話しかける。
「角田悟くんいますか? ちょっと話したい事があって、訪ねました」
「は、はい。悟の奴ですね。居ると思います。外で待つのもなんですから、中にどうぞ……」
「ありがとう」
 確かに薄暗い廊下でただ待っているのは寂しい物があったので、見知らぬ少女の厚意を受け取る。彼女に導かれるまま部屋に入ると、先程まで居た研究室と同じように物が雑多に積み重ねられた光景が見えた。どう働くかも分からない機械の部品たちも素人目には奇妙なオブジェに思えた。
「悟くーん。お客さんだよー」
 少女が研究室の奥に声をかける。すると床で作業をしていたらしい一人が頭を上げる。その顔はよく見知った物だった。
「せ、芹葉さん……その、何か用?」
 傍目からはよく分からない機械の組み立て作業を中断して角田悟はこちらへ来た。そしておずおずとユリの機嫌を伺うように話しかけてくる。どうも彼は自分にびびりすぎていると感じてならない。まさかこの場でもう付き合いきれないのだと絶縁状でも叩きつけるように思われたのか。どちらにしてもユリにとっては心外だった。
「ちょっと遊びに来たんだけど、ダメだった?」
「へ? あ? 遊びに? いや、全然構わないけど……」
 どこかホッとしたような表情を彼は見せる。それに釣られて、ユリも微笑む。
「芹葉さんっ! もしかして、うちのサークルに見学しにきてくれたんですか!?」
 悟とユリの会話を傍で聞き耳を立てていたらしい研究員の少女が、こちらに嬉しそうに駆け寄ってきた。その声に周囲の生徒たちもこっちを見やる。どうも、こうして見学に来てくれるのは彼女たちにとって嬉しい物であるようだった。それがこの研究所に入ってくれないであろう操機主科の人間でも同じなのだろうかと、少しだけ疑問に思う。
「普段悟くんが何やってるのかなって気になって。いろいろ見せてもらって良いですか?」
「はいもちろん! 芹葉さんなら大歓迎ですよ!! ほら、悟くん、ボケっと突っ立ってないで、ちゃんと案内して」
 彼女のタイの色を見るに同級生なのであろうに、顎で使われる悟に笑ってしまった。彼はどうもこの研究室の中で一番の下っ端らしい。悟も悟で大変だなと、妙な気遣いさえ生まれた。
「ええっと、じゃあ芹葉さん。こっちきて」
 悟に誘導されるまま部屋の一角へと歩く。彼らに割り当てられた研究室はかなり大きなもので、普通の学校であれば体育館にさえ使えそうな広さだった。ただその広い空間も、雑多な荷物たちによってかなり空間を狭められている。その荷物の向こうに、おそらく10メートルはあるのではないかと思われる扉も見る事ができた。搬入口か何かなのだろうなと、ユリは説明を受ける前に勝手に納得してしまう。
「そう言えば全然聞いた事無かったんだけどさ、悟くんのサークルって何やってるの?」
「え? ええ? それ知らずに見学に来たの?」
「ボクは悟くんが何やってるのか知りたくてここに来たんであって、研究室の活動に興味があったわけじゃないから」
 そう、千秋の手伝いで技術科の者たちの愚痴を聞かされたおかげで、自分があまりにもパートナーに無関心だった事に気付かされた。相棒がこの学園で何を学び何に悩んでいるのか、それを知らずにいるのは不誠実に思える。悟の出来の悪さを責める前に、まずこちらから歩み寄らなければならない事も多いような気がした。
 悟はユリの質問に対して、出来るだけ分かりやすく答えようと努める。
「ええっとなんというか……T・Gearに使う、新しい推進力の研究というか……まあ、簡単に言えば、ロケットみたいなものだよ。宇宙で、T・Gearを早く遠く飛ばすための」
 子どもにも分かりやすいその説明がちょっと鼻につくものの、彼の努力通りちゃんと意味は理解できた。操機主科の自分の頭でも、彼らの研究内容を想像する事はできる。
「で、これが天蘭祭で発表しようとしてる推進力の……一部分。ロケットに火を点火する箇所の、基盤というかなんというか。実際のロケットになるとT・Gearに装着できるぐらい大きくなるから、この研究室じゃ作業出来ないんだよね。そういう大掛かりなサイズを組み立てなきゃいけなくなると、格納庫で作業してる」
「そっか。前に格納庫で悟くんの先輩に会ったけど、そういう作業のために格納庫に居たんだね」
「そうだね。その通り」
 ユリの目の前に示された部品は金属の塊としか形容出来なくて、これがどのように組み合わされてロケットの一部分になるのかよく分からなかった。表面にプリントされた回路図はなぞの文明の文様にしか見えないし、いくつか見て取れるアタッチメントは歪な突起物としか思えなかった。どうせならロケットの外郭部分でも見れた方が楽しかったかもしれないと勝手な感想を抱いてしまう。
「悟くんはどうしてこの研究室に入ったの?」
 他の研究員に気を遣って、小声でそれを尋ねた。悟はその突然の質問に驚く。
「ど、どうしてって言われても……なんとなく、目についたからとしか言い用が無いんだけど……」
 悟は困ったようにこちらを見る。それもそうかと笑いながら、ユリは言葉を続けた。
「でも何か第一印象でピーンときたからこのサークル選んだんでしょ? その何かを知りたかったんだけど」
 彼が今までどのような思いで生きてきたのかなんて知らない。どんな気持ちで、この学園に居続けたのかなんて興味ない。それがユリの正直な心だったが、このままではいけないのだと思う。こうして天蘭祭という共通の目標に向かって走りだす間柄となってしまったのだから、ひとつひとつ互いの事を知っていかなければならない。それは互いに課せられた義務のようなものだったし、また自分たちに与えられた権利のように思えた。
 だから、彼の実感を聞きたかったのだ。ふわふわと浮ついた心の動きを、その生の言葉で示して欲しかった。そういう理解を少しずつ積み上げていけば、きっと互いの理解に繋がると思うから。
 ユリの難しい質問を受けて、悟はしばし考え込んだ。しばらく頭を唸らせて、ぽつりぽつりと言葉を漏らす。
「俺がこの研究室に入ったのは……多分、『分かりやすかった』からだと思う」
「分かりやすい?」
「そう。分かりやすい。ロケットっていう物の行き着く先が、俺みたいなのでもすぐさま想像できた。一番早く、一番遠くに行くための物っていうそういう思想が、理解できやすかったんだと思う。
 いや、まあ実際入ってみるとそんな単純なものじゃなくて、いろいろ考えなくちゃいけなかったりしたんだけど。でも、とっかかりはそうだったんだと思う。その分かりやすさが、俺の性に合ってた」
 なるほど。彼の言うように確かに分かりやすい。行き着く先が、目標とすべき物が。そういう風に示してやれば、彼もそれなりに進めるんじゃないかと思えた。少なくとも現状でウジウジ悩んでいるよりは、ずっと建設的な一歩を踏み出しているように思える。
「そう……いいねそれ。君のそのロケットで飛べるようになれば、ボクも地面をのたうち回らずに済む」
 そう笑って毒を吐いてやると、彼も苦笑で返してくれた。
 彼には目標が必要だ。それを示してやるためにユリは自分の心内を語りはじめた。
「ボクも似たような物だよ。竜を倒して人類を救うってのが、単純で行く先が見えていてその道を選んだ。でもね、操機主科に入れたのはホント偶然だったんだ。予期せぬ幸運が積み重なって、この場所に立つことができた」
 今にして思えば、本当にそれはユリにとって幸運だったのだろうか。何やらいらぬ業を、いくつも背負いこんでしまった気もする。だが曲りなりにも、自分の夢だったのだ。それを不幸というものなんかにしたくなかった。
「でも今ではその幸運だけに満足しきれなくなって、てっぺんに居る琴音さんまでよじ登ってなりたくなった。これっておこがましい事なのかな? ほどほどの幸運で、我慢しておくべきだったのかな?」
「それは……」
 ユリが何を語ろうとしているのか薄々気づいているのか、悟は言葉を濁した。自分を鼓舞しようとする言葉の、恐ろしさに気付いたのかもしれない。
「もしボクのわがままに付き合ってくれるなら、もうしばらく我慢してやってよ。君には辛い時でしか無いのかもしれないけど、ボクには何より大切な時間なんだ。もっともっと高くて遠い場所に、いけるかもしれないんだから」
 悟はただ黙る。彼に合わせて、ユリの夢を分かりやすく語ってやった。ロケットで遠い所まで行きたいと思った彼ならば、自分の全てを使って高みを目指したいと思ったユリの事を理解してくれるのではないかと思った。ただ彼のその様子じゃどうも望んだ返答なんて聞こえてこないなとユリは諦めかけたが、その意に反して強い声が響く。
「俺にとっても、大切な時間だよ。いや、大切な時間になれば、良いと思ってる。自分が変われるチャンスなんだって、そういう事は分かってるんだ。だから……うん、なんとか君に付いていけるように、頑張るよ」
 こうしてコンビを組んで初めて彼から『頑張る』なんて聞けたかもしれない。言葉の意味としてはまだまだ不確かで、そのモノ自身に価値なんて無い言葉だったのかもしれないが、それでも大きな一歩のように思えた。
「じゃあ、明日からまたよろしく」
 そうやって彼に手を差し出す。悟はどうするか少し心迷わせて、おずおずと手を握ってきた。
 相互理解とは程遠いとは思うものの、こうやって少しずつ隙間を埋めていく必要がある。そしていつかその隙間をしっかりと埋める事が出来たのであれば、あの神凪琴音とも対等に戦える気がした。




 悟の説明を受けた後、まるで立ち代るように研究員がユリを案内してくれた。彼女たちにとって自分のやってきた事を誰かに説明する事をとても尊いと思っているのは明白だった。パイロット候補生の自分にもやさしく噛み砕いて説明してくれるのだから間違いないだろう。きっと一般のお客さんたちに自分たちの成果を発表する場でもある天蘭祭も楽しみにしているのだろうなと、説明を受けながら頭の片隅で考えた。
「じゃあそろそろ帰ります。今日はありがとうござました」
「いえいえ! またお暇になったらいつでも遊びに来てください! 歓迎しますから」
 最後に自分を案内してくれた少女にそう言って、ユリは研究室から出る事にした。帰る前に悟に挨拶してから出ようかと思ったが、彼は何やら作業の佳境中らしく忙しそうなのでやめておいた。
 研究室の扉に手をかけようとしたユリだったが、その手は空を切ってしまった。自分が扉を開けようとする前に、外から誰か入ってきたのだ。
「あ……ごめんなさい」
 扉から入ってきたのは自分よりも年上に見える少女で、どこかで見たような顔をしていた。突然の邂逅にうろたえたユリはすぐに彼女の事を思い出す事は出来なかった。
「ええっと、こちらこそ」
 彼女が部屋に入れるように身体をずらす。彼女は一度自分に軽くおじぎして、そしてさも当然のように研究室内へと入っていった。その一連の仕草を眺めて、ようやくユリは彼女が誰か思い出した。格納庫で会った、悟の先輩だ。そして琴音と喧嘩紛いな事をした人。彼女は深刻そうな顔でユリを見やった。出会って間もない人間ではあるが、人好きのしそうな風貌だった彼女がそんな表情をしている事は気になった。
 ただそうやって彼女の顔をじろじろ見るのも失礼だと思ったので、ユリはそのまま研究室から出る。しばらく廊下を歩くと後ろからざわつく様な音声が聞こえた。距離があったのでしっかりとその内容を聞き取る事が出来なかったが、あの先輩が持ち込んだ何かによって研究室がざわめいたのは間違い無かった。
 なにか悟たちの研究室に問題が発生してしまったのだろうか。それは確かに気になったのだが、部外者である自分がそれを聞きに戻るのもおかしい。結局は彼らと関係の無いパイロット候補生なのだから。
 ただ、ユリのその想定は間違っていた。彼女の持ち込んだモノが、技術科に広まるそれらが、操機主科に関係ないモノでは無かった。それを、ユリは後に知らしめされる事になる。



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 第三十一話 「歯車たる者たちと積み上げていく物と」 完






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