突如天蘭学園の演習場に乱入してきた鋼の巨人。彼はその場に居た2体のT・Gearを容易く打ち倒し、悠然と大地に立つ。その姿はまるで過去の英雄を象った彫像にさえ思え、傲慢な意思をその体躯に宿しているようにも見える。
 大吾は彼の姿を見て、恐ろしいと思った。それはふつうの者たちが巨大な物に対する畏怖とは少し違う。T・Gearの開発に人生の半分を捧げた人間だからこそ理解できる恐れ。それが、大吾の胸を多く占めた。
 目の前の鋼の巨人は、そのフォルムが今現在存在しているG・G管轄のT・Gearのどれとも違った。長年の経験から透けてみる事が出来る設計の思想。それが他の巨人を駆逐するためという恐ろしい目的を持った物だと気付いた時、身震いがした。対T・Gearの、つまり人類に対する敵愾心で産み落とされたこの巨人の悪意が、大吾を襲う。どうしようもない憎しみがあの巨大な物体を作り上げたのだと思うと、人の業なのかと嘆きたくなる。憎悪がこうしてひとりでに動きだし、そして人を傷つけていく。機械仕掛けの悪だと、ひっそりと呟いた。
 悪の巨人は観客席へ向き直り、その手にした火器を観客席に向ける。観客席はその全方位が電磁シールドに守られているはずだったが、それの優位性をいまいち分かっていない一般客にとっては恐怖を煽り立てる行為になった。絶叫があちらこちらから響き渡る。
 ドンと、体の芯まで震わせる音が響く。悪の巨人が引き金を引いたのだ。手にある火器から発射された弾丸が客席を守るシールドに当たり、眩しい光と形容して良い火花が散った。
 客席のシールドはT・Gearまるごと一体の質量を受け止めるだけの強度がある事を知っていた大吾も、その暴虐に体が情けなく反応した。びくりと身体を震わせてしまう。
これはとても恐ろしいものだ。他人が、他人を明確に傷つけようとするその行為は、とても邪悪で身体をこわばらせる。
 自らが安全な檻の外に居ると実感出来なかった観客たちは恐れのあまりその場から逃げ出す事を選んだ。叫び声と共に席から立ち上がり、演習場出口を目指して走り出す。初めの内は数人がその行動をしただけだったが、それらは波のように伝播し、まるで雪で覆われた斜面が決壊するように大きな波となった。雪崩は生れ落ちればもう誰にも止められず、人々は逃げ惑うしかない。
 その観客たちの中にあってもひとり冷静さを保っていた大吾だったが、それでもその思考は人の波に流されようとしていた。確かにこの場所はシールドで守られているが、それがいつまでも維持されるのかは分からない。こうして相手が手を出せない状況のうちに、安全な場所に退避するべきなのではないかと。そんな一見正しい思考を組み立ててしまう。
 多くの人数が一度に同じ場所に殺到したものだから、演習場の観覧席出口は人がごった返していた。今からあそこに急いでも人に揉まれるだけで、外に出るまでにはかなりの時間を要してしまう事になるだろう。それにこういう時に一番危ないのはパニックに支配された人間の方だ。人の波に押しつぶされて死んでしまう可能性の方が、あの巨人に撃ち殺されるよりも高いと見積もったのは間違いでは無い。
 どうするべきか迷い、腰を中途半端に浮かせた大吾は気づかなかったが、彼の元に近づいた人影が居た。彼は音もなく大吾の隣へとたどり着いたあと、逃げ惑う人々に聞かれないように大吾にだけ向けて静かな声を発したのだった。
「よう芹葉大吾。久しぶりだな。俺の顔は覚えているか? 俺は何一つ忘れなかったぞ。ただ何一つも手放さずに、この地までたどり着いたぞ」
 急に背後から掛けられた声に大吾は驚く。声の主の方を振り返ると長身で痩せた男が居た。彼はその体躯に似合わない妙にぎらつく目でこちらを射貫く。まるで視線だけで自分を殺そうとしているかのように思える瞳に、大吾は覚えがあった。
「お前は……笹倉、か? お前、何故この場所に……今、何をやって……」
 緊急事態だというのに突然現れた過去の知り合いの存在に思考が混乱寸前になる。ここから退避しなければという想いも驚きに霧散してしまった。
「座れよ、大吾。お前とは話したい事がたくさんあるんだ。安心しろ。あれの手持ちの装備では、ここのシールドは破れない」
 この状況を誰よりも理解しているかのような彼の言葉に大吾はまたしても戸惑う。彼は何故こんなにも冷静なのかと考えて、おそらくこの事態のおぜん立てをしたのが彼なのだと順当に思い至ってしまった。そう、彼ならそれが出来る。そして動機もある。その身にあまりにも大きすぎる憎しみを抱いている事を大吾は知っていた。誰彼構わず傷つける事を良しとする程までの、熱く痛みを伴う憎しみを。



***


第三十六話「憎しみでの殺人と信念での戦争と」


***



 大吾と笹倉という男との邂逅のその少し前、謎の巨人が突入してくる前の展示場。そこにはただこの祭りを楽しみにしている人々が満ちていて、思い思いに興味ひかれた展示物へと歩み寄っていた。それら人の群れは自然と流れを形成し、それに歯向かって歩く事を非常に困難にさせた。ユリは仕方なく、その人の流れに身を任せて特に何を考えるわけはなく歩いた。
 ユリは技術科の展示場を見て回っていたのだった。自分の次の出番まではまだ時間がある。ここで気を紛らわせていた方がこれから先の戦いを考えるより気が楽になるように思えたのだ。そしてその選択はおそらく間違いじゃなかった。準備段階ではどこか殺風景に思えていたが、その時よりもはるかに飾り付けられ賑やかになった展示ブースを見ていると、お祭りの華やかさを感じられる。自分たちが常日頃暮らしている学園の姿は見て取れず、今このときだけは全ての者を楽しませようという想いを感じ取れる程に、別の世界を見せてくれていた。毎日これぐらい気前の良い優しさを見せてくれてもいいのにと、変な感想さえ抱いてしまう。子の集う場所は、人に優しくあるべきだ。
「芹葉さん。第一試合勝ったんだって? おめでとう」
「あ、ありがとうございます」
 展示区画を歩いていると新型動力炉の展示ブースに居た技術科の生徒にそう声をかけられた。見知らぬ人にこうやって自分の勝利を祝われるといのはとてもこそばゆい物なのだと知った。どのように対応するのが正解なのか、いまひとつ分からない。堂々と胸を張るように振る舞うべきなのだろうか。
「調子はどうですか? お客さん、見に来てくれてます?」
 ユリは目の前の彼女に、そう言葉を返す。
「うん、まあまあって所かな。うちの展示物ものすごく大きいから、やっぱり目立つみたい。興味もってくれるよ」
 技術科の生徒は、そうにこやかに返す。自分が勝利を掴んでいたのと同時に、彼女たちは自信を手にしていたのかもしれない。それはきっととても尊い物だ。自分たちが何を為すために頑張っていたのかそうやってひとつひとつ確認していけば、きっとこれからの道を迷う事なんてなくなるはずだから。あの無謀なストライキの後だと、どうしてもそんな事を思ってしまう。
「良かったですね。たくさんの人に見てもらえて」
 ユリはそう微笑み返す。これでよかったのだと、どこか安心していた。彼女たちはきっともう大丈夫だ。今日の事を忘れなければ、きっと明日を迷う事はしない。


 何か、声が聞こえたような気がした。その現実かどうか分からない囁きのした方を……第三演習場の方向を向いてみると、うっすらと煙のような物が立ち上っているように見えた。すごく白熱した試合でも行われたのだろうかと、そんな見当違いな事を考える。
思考がいまだしっかりとした現実感を持った事実を導き出せずにいると、、突如けたたましいサイレンが学園中に備え付けられていたスピーカーから鳴り響いた。耳をつんざくそれは辺り一帯を一瞬で支配し、今このときを持って日常は終わったのだと知らしめる。そういう意図と意味を持った叫びなのだ。だから思わずユリは、耳を覆う仕草をしてしまった。
『第三演習場において非常事態が発生しました。これより天蘭学園の保安スタッフにより、避難誘導が行われます。一般入場者は係員の誘導に従って避難してください。天蘭学園の操機主科、技術科は所有のIDで近くの格納庫へと退避してください。
 繰り返します。第三演習場にて非常事態が発生しました。一般入場者は係員の誘導に従ってください。天蘭学園の生徒は、近くの格納庫へと移動してください。
 これは訓練ではありません。訓練ではありません』
 まるで一瞬にして世界が誰かの悪い夢の中に入ってしまったかのようだ。ただちにここから逃げ出せと、そんな事を本気でのたまっているのか。冗談であれば趣味が悪く、とても正気とは思えない。
「班長! 動力炉どうしましょう!? ここを離れたら炉の管理が……」
「大丈夫! 遠隔操作でモニターしてるし、停止させられるから! それより早く格納庫に向かって! 私もすぐ行く!!」
 ユリのそばでそんな会話が交わされる。周囲が慌ただしく、騒がしくなってくる。あの放送は自分だけに聞こえた幻聴だという可能性が、こうして否定された。
「一体何が……」
 ユリは第三演習場の方をもう一度見る。あの場所でいったい何が起こったのか。非常事態といのはどういう事なのか。頭の中を駆け巡るそうした疑問が、答えを求めてやまない。あの場所に居るであろう大吾と美弥子は果たして無事なのだろうか。なんらかの事故が起こっていた場合、もしかしたらもう会う事さえ出来なくなってしまうのではないか。そんな恐ろしい想像さえ湧き上がる。
 頭を振ってよくない想像を追い出して、ユリは近くの格納庫入口へと向かう事にした。今自分が居る場所から一番近い格納庫は、件の第三演習場の地下格納庫だ。本当に放送に従って非常事態の起きた場所の近くに避難することが正解なのか迷う。もしかしたら放送者も混乱していて、指示を間違ったのではないか。疑い出したらきりがないが、そんな疑念が頭を過る。
 ユリは最後にもう一度だけ第三演習場の方を見て、覚悟を決めた。普段の訓練で教え込まれている、上からの命令に疑問をはさむ事無く従う事。そんな有無を言わさぬ訓示をこの非常時にも思い出す事が出来た。多分それは思考の放棄に他ならないのかもしれないが、それはそれで上手く行くのだと経験則で教え込まれてきた。だから今は命令に従って動くべきなのだ。軍人としてそう仕込まれた。




***


 笹倉という男はかつて、大吾の部下だった。若くしながらT・Gearの開発に精通し、誰よりも未来を期待された者、それが彼だった。T・Gearパイロットの女神たちとはまた別の形での希望の象徴であり、おそらく彼がこれから生み出していくであろう技術が、人類の生存を支えるのだと誰もが信じていた。しかし今彼は、こうして自分の前に居る。今にも倒れてしまいそうな頼りない風貌で。ここでこうして立っているのは激しい執念のおかげなのだと言わんばかりの体裁で。
「座れよ芹葉大吾。立ち話は疲れるんだ。最近、まともに寝てもいないから……もうろくになっちまったわけじゃないんだろ? 俺の言葉は聞こえてるよな?」
「笹倉、お前は何故……」
「お前の返事は聞いてないんだよ。これは、提案じゃあない。命令なんだ。そこの所を、お前はしっかりと理解しておくべきだ。そうしてくれると、これからの話がとてもスムーズに進む」
 彼は夏だというのに暑いコートを着ていた。そうしてその右手で、コートの内側をこちらに見せる。実物は初めて見たが、コートの内側に黒い拳銃を見る事が出来た。彼は初めからこちらと会話する気など無かった。暴力で従わせようとしている。
 大吾は黙って頷いて彼を刺激しないようにゆっくりと腰を下ろした。彼はどこか気を張り詰めているように見え、とても正気には思えなかった。何がきっかけに爆発するのか分からない。
「どんな気持ちだ芹葉大吾? こういう形で、俺と会えるなんて思ってなかったろう? もしかしたら俺の事なんて忘れていたんじゃないか? どこかでのたれ死んでしまっているのだろうと、そう思っていたんじゃないのか?」
「笹倉、お前がアレを作ったのか?」
 大吾はいまだ観客席にしっかりと銃口を向けている鋼の巨人を指さした。笹倉は一度確かに笑った。
「よく出来ているだろう? 加工は現地の作業員を使ったが、指示を出したのはすべて俺だ。簡略化すれば、専門的なスタッフがいなくても十分T・Gearは作れる。それがどんなに素晴らしい事はお前なら理解できるよな?」
 戦場で使用に耐えうるクオリティの兵器を求めれば、自ずとそれに関わる人間の能力には高い水準が求められるようになる。作る者の練度があがれば、それだけ良い兵器を作れるという話。オーダーメイドの服の作るかのような作り手と使い手の心の通じ合ったそれはある意味究極に理想の武器の作成方法で、そして現実感の無いロマンチズムだ。だが、今現在G・GそれをモットーにT・Gearを開発している。職人と呼ばれる者たちの経験則によって底上げされた精度を持った高水準の兵器。それがG・GのT・Gear。Twilight war modelという刻印に乗せられた誇り。
だがその思想は、現世代の兵器需要を見るに間違っている。どのような人間でも、短時間の訓練によってそれなりに物になる武器を作り出す。大量生産が前提の現在の工業理念から言えば、それがもっとも理想的で模範的だ。そしてこの男は、それを成し遂げたというのか。G・Gが禁忌としているT・Gearの生産工程の簡略化を。大量破壊兵器となりえる禁断の大量生産化に踏み込んで。
「お前は今何をしている。一体何が目的で……」
「『竜の牙』だよ。老いぼれジジイの頭でもその名前は聞いた事あるだろ? そして目的なんて単純な物だ。この学園を、ぶっ潰してやろうと思ってな」
 思わず彼に掴みかかりそうになったが、拳銃の存在を思い出して何とか身体をとめた。怒りや失望といった想いで心がぐちゃぐちゃになる。あれほど人類を救う希望になるのだと思われていた人間が、今はこうして他者に牙を剥いている。それは恐ろしく酷い事だ。悲しい裏切りだ。
 大吾が抱いた怒りは、昔の彼を知っているが故に生まれた物だった。良き過去が、悪しき今を許さんと吠え立てる。



 慌て泣き叫ぶ群衆をかき分け、ユリは第三演習場地下格納庫へとたどり着く事が出来た。自分以外にも多くの生徒たちがここに集まっており、それぞれ不安そうな顔を張り付けている。おそらくここに居る誰もが、現状を何一つ理解できていない。困惑と恐怖に支配されたまま、命令通りにここに来た。それは正しい事だったのか、誰も評価してくれない。このようなどこ吹く風に揺らめく立場に追いやられる事は、とても恐ろしい事なのだとユリは初めて知った。
 鈍く照明を反射する格納庫の壁材はいつもと変わらぬはずなのに、今日は一段と冷たく見えた。灰色の壁は不安の象徴のようだ。濁った色は何の希望もこの場所に見出す事を拒否しているかのようだ。だがおそらくそれは見たままの姿じゃない。きっと自分の不安に塗りつぶされた心がそのように目に映したのだと知って、またいっそう恐ろしく思えた。
「ユリ! 大丈夫だった!?」
「ユリちゃん、良かった……」
「アスカさん、千秋さん……」
 自分よりも前にこの格納庫に来ていたらしい友人二人が、自分を見つけて話しかけてくれた。知った人間をこの場所で見つける事が出来たのは幸いだ。これで少しは気が楽になった。ただこの場所で震えるばかりじゃなくなる。
「琴音さんも居るよ。私たち一緒にここに来たの」
 そう言って千秋は後方を指さす。そこには琴音と雨宮雪那の姿があって、二人とも真剣な顔をして何かを話し合っているようであった。
「これ、一体なんなんですかね。非常事態って何が起こって……」
「わかんない、全然。でも演習場に居た子の話だと、知らないT・Gearが学園に入ってきたとか何とか……」
「知らないT・Gear?」
「よく分からない。本当の事なのか、錯乱しての妄言なのか、全然わかんない」
 千秋はしょげた様子でそう呟く。誰もがこの事態を把握しようと一生懸命になっているようだが、残念ながらそれは実っていないようだ。決して晴れてくれない意図不明の恐怖感にどうにかなりそうになる。
「みなさん! 聞いてください!!」
 集いに集ってゆうに50人を超えた避難者たちのいるこの格納庫内に大きく声が響く。何事かとそちらを見ると、ユリたちの担任である藤見教諭がそこに居た。指導者の存在にユリは安堵する。もしかしたら彼女が、正しい方向に自分たちを導いてくれるかもしれない。そんな希望を持ってしまう。
「本日12:50、この天蘭学園は他の組織からの攻撃を受けました。現在もその脅威下にありますが、現時刻をもってそれを武力によって排除する事が決定されました」
 他の組織からの攻撃という現実離れした発言に眩暈がしそうだった。とても正気の言葉であるとは思えない。悪い夢を皆で見ている気がしてくる。
 混乱を鎮めるために、彼女の口から生み出される言葉を聞きとめようと必死になる。藤見教諭からもたらされる言葉だけが、自分たちの置かれた状況を俯瞰的に教えてくれる物だった。蜘蛛の糸にも思える程頼りないが、今ここではそれだけが頼りだ。
「非常事態マニュアルに従い、脅威を排除するため、天蘭学園は衛星軌道上の静止爆撃衛星を使い、学園敷地内を空爆します。使用される弾種はBX16型燃焼プラズマ弾頭。弾頭は格納庫外壁材を貫通できません。つまりはここに居る間は安全ですので、空爆終了後まで全員ここに待機するように」
「バカなっ!!」
 思わずユリは叫ぶ。空爆? 敵を排除するために、この学園を? 気が狂ってそんな事を言い出したのであれば理解できる。だが冷静な客観的分析でその結論に行きついたのであれば、とてもおぞましい事だ。それは狂気よりもまた違う形で狂っている。
 ユリは授業の一環でこの天蘭学園の上空に待機している空爆衛星の事を知っていた。地上にあるT・Gearを不正使用された場合に鋼の機体を一片残らず焼き尽くす事を前提に作られたそれは、確かに今の状況下では事態を打開するもっとも有効な手段かもしれない。そして、その衛星が使用出来るプラズマ弾頭の限界の事も教わった。藤見教諭の言う通り、その弾頭では格納庫を貫く事は出来ない。もともと空からの強襲に耐えられるように設計されている各格納庫の耐久度はどれも折り紙付きで、天空からの暴虐を許さない代物だった。
 だがそれは外にいる人間には当たり前のように適応されない。この格納庫内にいない、一般観客たち。まだ避難途中である彼らを守る外壁など、天蘭学園には存在しない。
 生身の生物はあまりにも熱に弱い。タンパク質は40度前後で凝固し、焼けた肺では酸素を肉体に取り込む事さえかなわなくなる。局所的にすべてを焼き尽くすのがプラズマ弾頭の有効性であると教師たちは語ったが、それが発する熱が、奪い取る酸素が、人を容易く殺すのは間違いない。
 そこまで思考してようやく、何故自分たちがここに集められたのか分かった。そして一般入場者たちとどうして避難場所が分けられたのかも。命の選別が、まさにこの時行われたのだ。未来の人類の希望たる生徒たちを助けるために。そしておそらく避難施設に入りきらないであろう一般人たちを、切り捨てるために。
 その決断をこの土壇場でくだした人間なんておそらくいない。これは、はるか前から決まっていた非常事態マニュアル通りに動いての結果なのだろう。そうであったとしても、それはとても恐ろしい決断だ。何があっても人類の希望を絶やさぬという、鋼の意志にさえ感じる、おぞましい覚悟だ。
「先生! それは……ダメです。外に居る人たちはどうなるんですか? 空爆に耐えられる場所への避難は……」
「それは、今は考えなくても良い事よ芹葉さん」
 思考を放棄させるように、藤見教諭は静かに語り掛ける。もう彼女の中では覚悟が固まったのかもしれない。見知らぬ者たちを殺し、自分たちを生かすのだと。
 だが生かされる側の自分たちが、それに納得できない。他人の死によって生かされる事を許せない。そうであるにも関わらず自分たちの意志を無視して物事が進んでいく。決して踏み入れてはいけない領域へと踏み入って行く。
 ユリは激情にかられた。人を守るためにこの学園にたどり着いた自分が、それを許せるわけがないのだ。犠牲となる罪のない命を無視できるような生き方など、選べるわけがない。
「それは……ダメだ! ボクたちは他人を助けるためにこの学園に居るんですよ!? そんなボクたちが他人を捨てて……そういう風になったらこれからが生きていけない! 人を見殺しにして、それで人類の希望を背負える人間になれるわけがない!」
「芹葉さん、これはもう決まった事なのよ! これ以上私たちの進行を邪魔するようなら、あなたを一時的に拘束します!!」
 ユリの叫びに、藤見教諭は彼自身を鎮圧する事で事態の収拾を図ろうとする。熱くなる頭の中でも、これはとてもまずい事だとユリは冷静に考える事が出来た。彼女は自分を敵とみなすだけで、こちらの意見に賛同をしめさない。いや、そもそもこの場において生徒たちの意見など必要ないのだ。大切なのはこの緊迫した状況下で人類の希望である生徒たちを生き残らせる事で、駄々をこねる子供を諭している必要なんてない。それはとても合理的な生存選択だ。そしてとても冷たい。
「空爆は何分後ですか麻衣先生」
 とても落ち着いた声が格納庫に木霊する。先ほどまでの自分たちの言い争いを無かったかのように扱うそれは、ユリの隣に居た片桐アスカの口から出てきた物だった。
「……定刻13:20を予定しています。つまり、あと10分後という事ね」
「そう。なら、あと10分はもがける時間があるってわけだ。幸いにもここは格納庫なんだから、敵に対応できる手段……Acerはたんとある」
「何を言っているのアスカさん!?」
 にやりと一度笑って、アスカは練習機の格納されているエリアに向かって走り出した。突然の出来事に、その場に居る誰も反応できなかった。
 ユリはぶるりと身体を震わせる。アスカは自分に目をくれる事もなく駈け出した。この格納庫にあるAcerを使って、外に居る敵と戦おうというのか。それはとても怖い事に違いないはずなのに。命を賭けなければいけない事のはずなのに。自分の命と他人の命を天秤にかけて、そして決断した人間が自分の友なのだと思うと素直に喜ぶ事も出来ない。自分もそう在るべきなのではないかと、そう心迷わせてしまう。
「誰かあの子を止めてきなさい! これは重大な命令違反で……」
 アスカの突然の行動を予測できなかった藤見教諭は近くに居た生徒にそう命じようとした。しかしその言葉が言い終わらないうちに、一人の生徒が動いた。その者の名は、神凪琴音。彼女はこの緊急事態だというのに何一つ取り乱す様子を見せず悠然と立っていた。普段と何も変わらない彼女の様子に安心感を覚えたのは事実だ。この時こういう場では、冷静な振る舞いをしなければ人から頼られる存在にならないのではないかと、そんな学習もしてしまう。
「私がとめてきます。もちろんT・Gearに乗り込んだ相手に生身でどうにかなるわけじゃないですから……私も練習機へと搭乗する事になりますが、構わないですよね?」
「琴音さん何を……」
 彼女のどこか含みのある発言の真意を問いただす前に、すらりとそこから逃げ出すように琴音はアスカの後を追う。霞のように手からすり抜ける彼女を、誰も掴む事なんて出来やしない。
ユリはなんとなく琴音のやろうとしている事が理解できた。琴音は、アスカを止めるという大義名分を背負って、アスカに加勢するつもりだ。まさか彼女がアスカの戦う意志を尊重するなんて思ってもみなかったユリは、素直に驚いた。あの夏合宿の時にも感じた事だが、もしかしたらアスカと琴音の思考の方向性は同じ所を向いているのかもしれない。とても好戦的で、力でねじ伏せられるならばそうするべきだと、そんな単純極まりない哲学さえ持ち得ている。おそらく彼女たちの考え方は非常にシンプルで、それがゆえに正しい。降りかかる火の粉を自らの力で制圧して、そして自分は誰にも負けないのだと叫ぶ。それはうかつに隙を見せれば踏みにじられるこの世界にはとてもお似合いな考え方だ。負けないために、失わないために拳を握る事が必要な時は確かにある。
 そして自分も、それに続かなければいけないのではないかと思う。友人たちが命を賭け、決断したのだ。自分だけがこの安全な場所に籠っている事など許されるのだろうか。まるで彼女たちに背中を押されるように、心が揺れる。そんな物は彼女たちに負けたくないという心理が生み出した無謀さだ。英雄の強い意志によって生まれた戦意ではない。それを自覚してしまっていたユリは、彼女たちに続いて一歩踏み出すのを躊躇した。彼は賢かったのだ。それ故に、戦う事を躊躇ってしまった。賢人ではあるかもしれないが、それは戦士としての資質には欠ける。
「あわわ、どうしようユリちゃん。アスカも琴音さんも行っちゃったよ……」
 知った人間が連れだって行ってしまった事で不安になったのであろう。千秋は情けなくそんな声をあげる。この場所に残されたユリは、彼女を落ち着かせてやる役目を担った。
「多分、二人なら大丈夫だよ。きっと」
 そんな何の根拠もない励ましを口にする事しか出来ない。意味の無いその文言をいくら重ねたってどうにもならないのはユリも理解している。今大切なのは、行動する事だ。人を救うために自分が出来る事は何なのか、考える事だ。そして考え抜いた結果、自分の命を危険に晒す事になったとしたら……それを甘んじて受け入れる覚悟も必要になる。
ユリは人知れず、その拳を握った。手に生まれる痛みが、自分がまだ生きている事を教えてくれる。そして戦う力と意志が自分の手のひらに収まっている事も。





***



「何年ぶりになる? こうして話す機会は? もうずっと……お前の顔を真正面から見ていないように思えるよ。そんな顔してたっけなあ? どんなに時が洗い流そうと決してお前の顔だけは忘れないだろうと思っていたのだが、どうもそんな事は無かったようだ。時の流れは無常だな。今こうして、老いたお前を見ると特にそう思う」
 大吾の隣に腰を据えた笹倉は、どこか懐かしむようにそう口にした。そんな親しい言葉を連ねながらも彼はこちらに気を許したわけではない事は、その右手をコートの中に入れている仕草から分かる。おそらくその身に隠した銃に触れており、いつでもこちらを殺せるのだとアピールしているのだ。
 出来るだけ彼を刺激しないように言葉を選ぶしか、今の大吾に選択肢は無かった。ご機嫌伺いを続ける事で何か現状が打破されるわけではない事は重々承知していたが、それでも他に活路を見出す事は出来なかったのだ。自分の弱さを呪いさえする。
「お前も忘れているんじゃないのか? その悠久にも思える時の中で、自分の罪を希釈したんじゃないのか? そうでなければ生きれんだろう。自殺の衝動から逃れられんだろう。それだけの事をしたんだからな。本当に、自分がした事を忘れちまったんじゃないだろうな?」
 彼の問いかけを無視するわけにはいかなかった。大吾は彼が望むように、悔いた言葉を口にする。この強制された懺悔に、彼は満足するだろうか?
「ひと時たりとも忘れていない。そして、お前が私を憎む理由も良くわかっている。私の所為で……お前は妻を亡くしたのだからな」
「やけに簡単に口にするじゃないか。卑屈なお前の事だから、一生かかってもそれを認める事は無いだろうと思っていたぞ。だが本当に心の底から詫びているとはとても思えんな。お前、今でも思っているんじゃないか? 確かに人は殺したが、それは組織のシステム上不可避な問題であって、あれは不運が積み重なった結果での不幸だったのだと。自分は運命に翻弄されただけで、殺意の無い加害者になってしまったのだと。
 ああ、なんてくそったれた理屈だろうな。俺はもちろん、そんな馬鹿みたいな問答をするためにここに現れたんじゃないぞ? それだけは理解してくれるよな?」
 彼は大吾を嘲るように笑って言う。おそらく自分の言葉は何一つ彼に響かない。いくら真摯な態度を取った所で、彼の歪んだ心がそれを否定する。それだけはこの問答でしっかりと理解できた。
「俺たちの仕事……あの、Lilium用の新型動力炉の開発プロジェクト。俺はそれで、早い段階から炉の危険性を主張していたよな? 教えてくれ。何故それを、無視したんだ?」
「他の研究者の計算では十分実用に値する数値が出ていた。決して、君の進言を無視したわけじゃない」
「そうか。それで結果はどうだった? 俺の進言の方が正しく、お前はT・Gearの研究施設をひとつ吹き飛ばした。当時研究員だった俺の妻と一緒にな」
「それは……事実だ。君が危険性を予見していたのは君が誰よりも才を持ち合わせていたからだ。君の言葉を聞けなかったのは、私たちの考えが浅かったからだ。それは間違いない」
「俺の妻だけじゃない。研究員を何人殺した? なあ、教えてくれないか。どうやったら、【生きれる】んだ? そんなに人を殺して、何故平然としてられる? どうして自ら命を絶たない?
 なんでそんなにただただ老いていられる? 不思議で不思議で仕方ないんだ。教えてくれよ芹葉大吾」
 彼の悪意のある言葉に何も言い返す事は出来なかった。長らく生きて、それでも答えが見つからなかった問いがそれなのだ。何故自分は生きているのか。その価値があるのか。自分を酷く病むその問題を直視する意思の力は老いた大吾にはもう無い。
「笹倉。もしお前がコレを私への復讐のためにやっているのなら……今すぐやめてくれ。この老いぼれを殺すなら、その手にある拳銃で殺せばいい。T・Gearを使う必要なんてない」
「ははははは! 何を言い出すかと思えば、お前は本当に救いが無いぐらい愚かなんだな! 復讐? たかがお前ひとりのために、これだけの事をやったのだと? それだけ自分に価値があると思っているのか!? 本当に救いようがない。どうしようもなく馬鹿で物知らずだよお前は」
 笹倉はおかしくておかしくてしかたがないようであった。大吾は彼のくるくると変化する感情をじっと見守る。それは台風に煽られた風車のように、じっと過ぎ去るのを待つしかないように思えた。
「人生の先輩に、良い事を教えてやる。憎しみで殺せるのはな、1桁までなんだよ。2桁より上は、憎しみじゃあ殺せない。お前たちが正義や信念と呼ぶ物でしか、2桁より上は殺せない。プラスの気持ちでしか、戦争は起こせないんだぜ」
 笹倉はぎらつく瞳で大吾を射貫く。彼のその魂を直接射殺すかのような目に大吾はぞっとした。彼の発したリアリズムは、彼の今まで歩んできた人生がそれを口にするよう命じている。もはや常人が当たり前のように感じる倫理観、そういったものとは無関係の場所で生きてきたのだと、そう証明しているかのような物言いだ。そしておそらく、その常人の誰よりも彼は真理に近い。戦争という、日常にはありえない物を直視する立場に居る。
「そうだよ、戦争だよ。俺たちは戦争やっているんだ。ちんけな殺人とはわけが違う。もはややけっぱちの殉教がもてはやされるテロリズムでさえもない。勝つために戦略を立て、勝つために戦術を駆使し、勝つために戦場を支配する。そういう現実感をもった戦いをしているんだよ。
 だからお前に一番の特等席で見せてやるよ。俺たちの戦争を。これからこの地上を支配するであろう恐怖の戦争を」
 彼は正気ではない。そしておそらく、彼を壊したのは自分なのだ。大吾はそれを理解した。



「片桐さんが練習機Acerを無断使用して演習場エレベーターに……」
「貨物シャフトの電源をシャットダウン! 彼女をここから出さないようにして!!」
「ダメです。非常用手動ハッチの開閉を確認……。42番練習機、外に出ました」
 そんな小競り合いが、格納庫に急きょ設けられた司令スペースから聞こえてくる。話の内容に聞き耳を立てていると、どうやらアスカは皆の制止を振り切って外に飛び出していってしまったらしい。本当に練習機一機で現状を打開できるのだろうか。やはり彼女の行いは無謀だったのでは無いのか。いろんな想いが頭の中を駆け巡る。こうしてただ待っているだけだと不安で頭の中がごちゃごちゃしてくる。
 隣に居た千秋の表情を見ると、彼女も自分と同じように不安そうな顔をしていた。多分思う事は皆同じなのだ。ここに避難している生徒たちすべてが、固唾をのんでアスカたちの行動を見守っている。
「アスカ……大丈夫なのかな? 敵、どんな武器持ってるのか分からないのに……。練習機なんてほとんど丸腰だっていうのに……」
 誰に話しかけるでもなく、千秋はそうぶつぶつと呟く。そのつぶやきを聞くと改めて事の重大さを確認してしまう気がする。そして、そんな恐ろしい場所に友人を見送っただけの自分にやるせなささえ感じる。
「……ねえ千秋さん。もし外に居るのがT・Gearなのだとして、それに練習機であるAcerで挑むのは無謀?」
「そりゃあそうだよユリちゃん。Acerは形はそりゃあ他のT・Gearと同じだけど、いろんな部分が省かれてるんだから。火器管制とか、データリンクとか。人工筋肉のトルクだって、やっぱりいろいろ制限かかってるし。
 もし敵のT・Gearが現在G・Gで制式採用されている物と同質の設計であるのなら……大人と子供の差だよ。とてもじゃないけど勝てっこない」
「じゃあ例えば、同じ制式採用前提のスペックならば、十分戦えるわけだ? 少なくともスペック上では同条件。そうでしょ?」
「え……? まあ、そう言えばそうだけど。ユリちゃん、何をする気?」
「この学園にたった一機だけ……いや多分地球上に一機だけ、制式採用のT・Gearと同条件の機体がある事を思い出したから。だから、ボクは行くよ」
 地上試験用の機体としてこの地で組み上げられたLiliumの事を思い出した。アレの作業員たちから聞いた話が本当なのであれば、今現在稼働可能な状態にある。あれならば、少なくとも能力では負けていないはずだ。そうでなくても、囮ぐらいには役に立つかもしれない。そんな算段を組み立てた。もしかしたら冷静に考えればまったく的外れもいい所な考えなのかもしれない。ただただアスカたちと同じ戦場に立ちたいと急ぐあまり、自分に都合の良い方向に考えただけの机上の空論なのかもしれない。そうだったとしてもユリはもう止まる事は出来なかった。このままここでじっとしている事なんて出来ない。
「無茶だよユリちゃん! 死にに行くようなものだって! 危なすぎる!! アスカも琴音さんも、なんでこんな……。
 そういう事って、大人に任せていればいいじゃない! ユリちゃんたちが一生懸命になる必要なんてないよ! 私たち、まだ生徒なんだよ!? ただの子供なんだよ!?」
 千秋の言う事は非常に正しい。間違っている所などひとつもない。ただ強いてあげる点があるとすれば、世の中にはその【正しさ】を正しいままに受け取る事が出来ない人間が居るという事だ。
「千秋さん……多分、それじゃあダメなんだよ。ボクたちは将来人を助けられるような人間になるために勉学に励んでいるわけだけど……でもそれって、大人になればすぐに出来るようになる事じゃないでしょ? 子どもである今この時だって、決して見捨てて良い正義が在るわけじゃないでしょう? これは将来のためでもあるし、また自分のためなんだよ。今ここで誰かを見捨てる事を良しとしたら、きっと未来でも胸を張ってパイロットをやれない。だから自分のために戦うんだ。上に居る一般入場者のためじゃなくて」
「……ユリちゃんもやっぱり、パイロットなんだね。自分の身ひとつで正義を体現する側の人間なんだね。そんな事言われたって、全然わかんないよ。そんな風に戦えるなんて、普通じゃない事なんだよ。特別な事なんだよ? あなたたちはちっとも気づいていないようだけど……私は、それがとても羨ましい」
 急にしょげた千秋の肩に手を置いて、そして優しく語り掛けてやる。希望を、自分だけの物にしたくなかったから。
「ボクたちと技術科は根底は変わらないよ。だって、人を助けるためにこの学園に入ってきたんだから。誰かを救う事を望んだ人たちだから。ただ、その表現する方法が違うだけだよ。
 ボクたちはこうして緊急時に奮い立つ事で希望を示して。君たちは平時に自分の出来うる限りをもって仕事をこなして。そういう違いでしかなく、本質的には同じなんだ。千秋さんにも、いつかそれが分かる」
 ちょっと説教じみた事を言ってしまったのを反省して、ユリはこの場の集いからそっと抜け出す事にした。アスカへの対応に追われ右往左往しているこの状況であれば、気づかれずに抜け出す事も難しくはないだろう。千秋は黙って頷いて、見送ってくれる。
 ユリが目指すのは試験格納庫に格納されているであろうLilium。本来であれば地上で存在を許されぬT・Gear。その矛盾を形容した兵器が、今この窮地を打開するための希望になる。
 急がなければならない。より最悪な事態へなる前に。これ以上余計な血が流れる前に。
 希望は呪いの花言葉を持つ巨人に委ねられた。




***


 悪の巨人は暇を持て余していた。手にしている自動火器を何度か観客席に向かって発射したが、そのすべての弾丸は電磁障壁によって防がれた。その事には特に落胆は無かった。この作戦の前に行われたブリーフィングで自分の火器の性質と、そして天蘭学園の構造について頭に叩き込まれていた。だから自分の使用している徹甲弾では彼らに傷をつける事は出来ない事は理解していた。
 だが何より納得できないのは、それを知りながら他の弾種を持たせてもらえなかった事だ。電磁シールドを無力化するには、散弾や炸裂弾などといった面に平均的に衝撃を与えられる攻撃が有効だ。そうすれば電磁境界面に発生した負荷を御する事が出来なくなって、システムがシャットダウンする。それを十分理解しながらも、『彼』は巨人に別種の弾頭を持たせなかった。おそらくそれは、携帯できる弾薬に限りがあるから。ただ一体でも多くのT・Gearを倒すために、それらに有効な徹甲弾のみを持たせた。激しい温度を持った執念が、それをさせている。
 銃弾を無為に打ち込む事に飽きた巨人は、作戦の場を移動しようかと考えた。多くのT・Gearが安置されているであろう格納庫などが戦場の舞台には適しているかもしれない。そこでならば、火器で穿つ的がたくさんありそうだ。
 第三演習場の外に意識を向けた瞬間、悪の巨人から少し離れた地面が弾けとんだ。地面が吹き飛んだ衝撃で土埃が舞い、巨人の視界を奪おうとする。埃にセンサーをやられないように左手を使って目を保護しながら、巨人は状況を確認しようとした。するとすぐに、地面に空いた穴から大きな黒い影が飛び出してきたのが見えた。瞬間の事ではあったが見間違える事はしない。何十時間も積み重ねた訓練で頭に叩き込まれたそのフォルム。天蘭学園の保有しているT・Gearもどき、Acerだ。
 この学園の中に自分と戦う決意をしたものがいるのだという事実に、悪の巨人は震えた。さきほど倒した2体のように、戦うという事がどういう事なのか分かっていない役立たずとは違う者が居るのだという僥倖に歓喜した。戦いはこうでなくてはならない。一方的な蹂躙ではなくて、互いに牙を剥け合うような関係でなくてはならない。その想いは歪んだ信仰心のようなものであったが、悪の巨人にとっては自分の根底となっているものだった。
 飛び出してきた敵を補足しようと頭を動かしていると、後方から何かが地面を踏み鳴らす音がした。とっさに寒気を感じ、頭を屈める。その数瞬後に先ほどまで頭があった空間に轟音を立てて鋼の健脚が通り過ぎる。そのすべてを切断してしまいそうな蹴りが自分に向けて放たれた物だと理解して、明確な戦意を確認して、笑いに似た高揚が頭の中を支配する。あのT・Gearに乗っている彼女はこちらと戦う気で、そして十分に勝てる算段があるのだと思っている。そうでなければ自分を一撃で鎮められる火器を持った相手にここまで接近出来るものか。
 ようやく目の前に現れたお目当ての好敵手の存在に悪の巨人は笑いが零れそうになる。全てがこの時のためにあった。厳しい訓練も、痛みを伴う肉体の改造も、心をすり減らす虐待と形容されるしごきも、全てはこの瞬間のために。自分の存在価値はこのようないびつな形でしか証明できない。敵を討ち、負かし、その死体を下に敷いてようやく確認できるアイデンティティ。万人が蔑む人生を、歩まざるおえない者も居る。
 巨人は手に持っていた自動火器を背中のハードポイントに連結させた。相手は丸腰のAcerだったので飛び道具を持ってして制圧する事は容易かったが、それではすぐに終わってしまう。それがたまらなく惜しく思えたので、こちらも無手でもって応戦する。相手もそれを察したのか、先ほどの不意打ち紛いの攻撃を続ける事をせずに、しっかりと自分に向き合った。それを見て、再び笑いが溢れ出そうになった。向こうもまた、力と力のぶつかり合いを望んでいる。それは武士道精神だとかいう言葉で美化される、何よりおぞましい戦闘本能だ。自らの力でもって他者を制圧したいという、シンプルな征服欲だ。向こうも自分と同じくおかしく歪に狂っているのだと察して、悪の巨人は心から満足した。私は孤独ではない。この広い広い世界には、自分と同じく、まともに生きれない憐れな者がいるのだと。
 気の合う仲間と一時のダンスを楽しむため、悪の巨人は大きく一歩を踏み込んだ。



 第三十六話 「憎しみでの殺人と信念での戦争と」 完


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